見出し画像

コーヒーの匂いがする

 寝起きに1杯のレギュラーコーヒーを淹れることは、いつの間にか長年のルーティンになっているが、ここ数日間は匂いのしないコーヒーを淹れていた。

 コーヒーだけではない。柔軟剤も、食器用洗剤も、歯磨き粉も、ハンドソープも、シャンプーもトリートメントからも、匂いがしない。炒めたゴーヤチャンプルも、炊きたてのご飯からも、匂いが何もしてこない。私の好きな、コピックインクのアルコール臭も、古い本の埃っぽい褪せた匂いも、木製の机の引き出しの中の匂いも何も感じない。

 風邪をひいたらしい。

 7月最終週木曜の夜ぐらいから喉痛、クシャミ、鼻水、悪寒の症状があったが体温は平熱。木曜は職場事務室の冷房が効きすぎて日中ずっと寒かったからだろうか。職場の空調は建屋全体で管理されていて、現場で動き回って作業してる人のほうが圧倒的多数である。金曜は在宅勤務、次の出社時は週明け月曜日。寒い場合でも着込めるよう、上着を持って行ったがやはり冷えた。悪寒とクシャミが止まらない。普段は冷房大好き人間なんだが、よほど不調らしい。複数人が居る職場は己一人の都合だけで空調を設定出来ない。やっぱり自分に最適な環境にできる在宅勤務が一番だ。
 一番高熱が出た(といっても37.7℃)夜の翌日に予約して受診した、発熱外来の簡易抗原検査では、新型コロナとインフルエンザ陽性反応は出なかった。どうやらごくフツウの従来型の夏風邪らしい。医師曰く、新型ではないフツウの風邪でも、粘膜がやられるとニオイがしなくなることもあるという。
 悪寒、喉の痛み、クシャミ、鼻水は随分マシになってきた。咳だけはしつこく残る。あと、嗅覚問題。はじめは、ニオイがしていないことに気付かなかった。

 在宅勤務中、天気が良かったので仕事の合間に布団を干したが、取り込んだ布団から「干した布団のニオイ」がしないことが最初の違和感だった。
 ニオイは、何もしなくても当然の如く受信する刺激だから「ニオイがあるはずのモノからニオイがしてこない」と理屈で意識しないと、自分の嗅覚が効かなくなっていることに気付かない。その時、鼻詰まりはあったが、鼻で息が出来るぐらいには回復していた。慌てて色んなモノを嗅いでみるが、やっぱり何も感じない。
 自分は確かにこれまで、ありとあらゆる場面で密かに「ニオイ」を楽しみながら人生を生きていたのだが、「ニオイ」なんてこの世にはじめから一度も存在してなかったかのように、何も感じなくなった。
 ニオイがしないと、味覚もあまり感じないようで、甘い…?と思う、しょっぱい…?ような気がする、苦い…?かもしれない、とか、自分の感じる味覚に確信を持てない状態になる。
 そんな状態で数日、在宅勤務をこなしつつ、病院から貰った感冒薬を飲み、ひたすら体を休めて過ごす。やたら眠くなるのは薬の副作用らしいが、病気を治すならとりあえず寝たほうがいいに決まっているので、眠気に従う。咳き込むと腹筋が痛み、眠れなかった夜や、咳で目覚めることもあったので、大人しく眠れるのはこっちも好都合だ。

 昨日昼間、鼻をすすった際に何か「ニオイ」のような刺激を受信した。
 何だかイケそうな気がしたので、友人から貰ったアロマオイルを嗅いでみると、微かに鼻を通る刺激が感じられた。本当にすごく微かで、神経を鼻に集中させないと逃してしまうぐらいの感覚だが、数日振りの「ニオイ」の感覚だった。日数にしてたった3〜4日なのだが、嗅覚がとてつもなく長い間封印されて、もうすっかり錆びついてしまったかのようだった。
 その日はコーヒーからはまだニオイ情報を受け取れなかった。歯磨きしても、洗濯をしても、風呂に入っても無臭。食べ物のニオイは、モノによっては微かにするようなしないような状態だが、味覚は微妙に戻っている。甘味と塩気がやや強く感じる。

 今日は、アロマオイルの香りがはっきりベルガモットだと分かるぐらい嗅ぎ取れた。コーヒーからは、コーヒーの湯気の中に僅かに匂いが感じられる。コピックはフタを開け、ペン先を鼻に付くぐらい近付けるとニオイのような刺激を感じる。どれも対象物と鼻がゼロ距離でのこと。嗅覚回復度合いでいうと、全盛期と比較して約50%ほどだろうか。
 それでも「匂いがする」のと「しない」のとでは、外界から感じる情報量が全然違う。


「コーヒーの匂いがする」

 ただそれだけで、何かに感謝したい。






周囲では、新型コロナでもインフルエンザでもない、夏風邪が流行っているとのこと。自分はまんまとやられてしまいましたが、随分元気になりました。皆様もお体に気を付けてご自愛ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?