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【閲覧注意】京王線刺傷事件に公序良俗に反してでも思うこと

昨日のニュースが世間を騒がせた。
ハロウィンの夜、京王線の電車内にてジョーカーに扮した男が刃物を振りまわし、火をつける凶行に及んだ。

各メディアでは男は「仕事や人間関係に行き詰まってたので、人を殺して死刑になりたかった」
「ジョーカーに憧れて犯行に及んだ」
などと供述したと報道されている。

画像は読売新聞オンラインより引用

男は決して許されるべきではないし、
誠に勝手な推測ながらこの事件に遭い、深く傷ついたり、恐怖を受けた人も沢山いると思う。

だからここから先は
公序良俗とは全く別の僕自身の思うことを厚かましくつらつらと書き留めるものである。
そのため僕も社会正義としては許されるべきではないことを書いてしまうかもしれない。

僕はこの男を悪と端的に睨みつけることが出来ない

理由は幾つかあるが、
まず僕は直接の被害者や関係者ではない為、
犯人に恨みや怒りを抱く権利はない
処遇をどうするかは法律の問題だと思っている。

次に
僕も彼と全く同じ人生を歩んでいたら、
同じ選択をしないとはいえない。
さらに僕も同じ人間だから、
何かに行き詰まって身勝手に孤独感や
劣等感を覚えていつ加害者になるのかわからない
恐怖を感じたから。

「人生終わらせたいなら勝手にどうぞ」
っていう意見もあるが、
僕も自分で終わらせる度胸がないタイプの人間だから、生殺与奪権を他人に預けたいっていう気持ちも
本当に不謹慎極まりないがある。

だからこそ
男の劣等感の自己アピールの手段が
物理的な暴力に頼ったものっていうのが
安直ですごい肩透かしで寂しく思う。


(ワーナー・ブラザースサイトより引用)

何より「ジョーカーにあこがれて」云々の発言が1番気に入らない。

まるで、みんなが知ってるものを選ぶという
没個性的で大衆的、ユニークさがない。
とんでもなく言い訳くさいし、
作品、キャラクターを理由に
自分に対する批判の的を広げてずらそうとする。
その弱さが垣間見えた気がしたからこそ腹が立った

さらにジョーカーという
今や多くの人が知るスーパーヴィランを真似る
というのは話題作りのために社会的に知名度や
ちょっとした人気者に憧れるくらいに彼は十二分に
社会的な人間に見えてしまう。

(Amazonの販売ページより引用)

個人の好みバリバリだがジョーカーの本質はアランムーア版だと仮定している。
何が言いたいかと言うとジョーカーは不幸な生い立ち境遇は言い訳にも動機にもならない「取るに足らないこと」と捉えて自己の体験を特別視する人間のアンチテーゼだから、

彼はジョーカーに本当に憧れたなら
ジョーカーに憧れて…なんて絶対言えないはず、不幸だから悪人になるプロットを否定するのが
ジョーカーなんだから

もっとも、こういう人が生み出すのは、僕たちのような社会でやってけますって宣う一般人である。
勝手に心の何処かで劣等感や疎外感を煽る
シュチュエーションを作ってるのも僕ら1人1人
の行動かなと思う。

僕もいままでで「こいつあわねぇな、こいつ空気読めねぇな」と感じた人間を避けるようにして生きてきた。
無視したり、軽くいなしたりその積み重ねがこういう事に繋がると妄想する。

だからこの事件を知った僕に出来ることは
常に自分の行動が事件の引き金の一つかもと
気にする事と
僕もなんとか社会とか時代とかそんな集権的なものに追いすがって疎外されないように生きていこうと決めた。
そうしないといつか取り返しのつかない事をして
人に迷惑をかけるのかもしれない。

※最後に
本稿は全てメディアや報道を元に感じたもので
事実とは大きく異なる可能性があります。

※ページ最初の画像はTBS系のニュースアーカイブから引用

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