★29 どうか、今夜だけでも、私のことを忘れないでいてください、

 身体を感じて。これからこの世で一番好きな人に会いに行ってきます。今日で最後にする。迷っていたら坐骨で座れない。本当は、この身体的転移があの人のところで扱えたら、って思うけれど。未練を残さない。なぜやめようとしているの。苦しいから。トラウマの再演。あの人と母はぜんぜん違う人なのに、母に対して感じていたことと同じことをあの人に感じていたこと。そして、母に対してしたことをあの人にもしようとしていること。孤独が怖い。あの孤独だけはもう耐えられない。あの人は敵じゃないのに。怖い。打ち明けるのが怖い。でもこのままじゃ苦しくて。他の道はないのか。ずっと耐性領域にとどまりながら感情でいっぱいになる。受け入れられないな、って感じたら、今日は、終わりにしようと思ってきたんです、って言おう。ごめんなさい。あの人はなんとも思っていないのに、面倒ばかり起こしてごめんなさい。感情が激しすぎて。
 謝っていたら坐骨で座れないの。怖い。身体を感じて。落ち着いて。大切なことだよ。あなたが今日打ち明けようとしていることは、扱おうとしていることは。怖い。本当に怖いよ。痛い。本当に痛い。落ち着いてね……。
 
 
 
 ああ、あの人の絵を描いておこう。あのドラペリーを右脳が記憶しているうちに。ああ、愛という言葉で表現して、したい、愛している、愛している、愛して、執着、愛、恋して、もう、
 あの声が失われて、あの人の存在が失われて、もう、あの声が、でも、依存を、
 愛している。愛している。愛している。愛している。血がのぼせている。会いたい。寂しくて、あの声がもう永遠に失われた、何故生きているのか、全くわからない、みぞおちが、よじれて、生きている意味が全くわからない、あの愛が、
 なぜ? なぜ苦しんで、あの愛、あの愛は仮初めだとか、それを垣間見るだけだとか、虚しいだとか、
 好きだと打ち明けて、受け入れられて、なぜ、こんなに気が狂いそうなほど、苦しくて、寂しくて、生きる意味をすべて喪失したのか、なぜ彼女を、失おうとしたのか、愛していたのに、なぜ離れたのか、彼女から、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ別れたのか、
 素直に受け取ればよかった全て。あの優しさをすべてそのまま愛として、受け取ればよかった、彼女はすべてはじめからそのつもりだったのに、私だけ怯えて。怯えて怯えて、震えて。あの人のあの優しさをすべてそのまま愛として受け取ればよかったのに、なぜ、なぜなの、すべて素直に、愛されているのだと、きれいな心で、すなおに受け取らなかったの、きれいな、純粋な、好意、優しさ、誠実さだったのに、怯えて、疑って、
 執着だとか、自分は汚れているだとか、わかってもらえないだとか、どうして、
 なぜ、自分の人生を自分で捨てたの、頭で、あの人の優しさを、疑って、一人で、苦しんで、全て彼女の純粋な優しさだったのに、彼女からしか得られなかったものが確かにある、何度思っただろう、何度もわかって、気づいて、いたのに、なぜ、それを駄目に、捨てて、
 あの人の全存在が失われて、これからもうどうやって生きていけばいいのかわからない、もう二度とお会いできないのなら、私も彼女も死んだのと同じで、
 なぜ甘えて、暴れて、不満を言って、なぜ、わかってくれないと、悶えて、彼女は私を憶えていないと、苦しんで、
 アリス・ミラーなんて一度も読まなければよかった。
 彼女はずっと大きく包んで、
 理想のお母さんだと思っていたことまで打ち明けておけばよかった。
 ああ今夜だけでも、私のことを思い出して、一度、私のことを思い出してほしい、今日が終わる前に。
 理想のお母さんだと思いながら、恋していたこと、心の底から愛着していたこと、
 全く死んだのと同じだ。なぜ生きているのかわからない。これからどうして生きていけばよいのか。あなたに会うために生きていたのに。
 あの人にお会いすることが自分の人生で。人生の全てだった。なぜ別れた。一度も拒絶されなかったのに。
 打ち明けて、受け取ってもらえた。
 受け取ってもらえると思っていなかった。
 拒絶されるはずだと、どうして、あんなに震えるほど怯えて。
 ああ、会いたい、お会いしたいです、お会いしたいです、心からお慕いしています、
 ああ、話せば、話せば全て、わかってくださる人だった、なぜ、
 傷ついていない私でお会いしたかった、
 もし傷ついていなければ、あなたの思いは、優しさは、すべて偽物の愛だと、愛は気持ちが悪いと、あなたは私を気持ち悪いと思っていると、あなたはわたしが嫌いであると、汚いと思っていると、愛なんて言葉は気持ちが悪いと、なぜ、
 叔母が死んだ時、一緒に寄り添ってくださった。泣いてくださったのに。わたしも泣いて。
 なぜそれを嘘だって、はねつけて、あまのじゃくに、
 どうして胸を苦しくしたの。どうして……。どうして受け取れなかったの、素直に。過去のせいだ過去のせいだって、わかってくれないって、どうして、
 あんな人他に居ないって、わかっていたのに。
 わかりすぎるほどはじめから分かっていたのに。苦しくて。
 一度人生が終わった。
 拒絶されるとばかり思っていたから。もし受け入れられたらどうするかって、
 どうか、今夜だけでも、私のことを忘れないでいてください、お願いです、私とあなたがこの世界で生きている今日、最後にお会いした今日、今日だけは、今日が終わる前に、私のことを、忘れずにいてください、
 彼女に忘れられていると、ずっと怯えきっていた。彼女は忘れないでいてくれたのに。執着せずに、忘れずに、私を応援するために、ずっとそこにいてくれたのに。そうなんだって、それが正しいあり方なんだって、
 愛、愛着していた、愛着していたなんて、遠慮した表出、したくない、好きでした、心から、
 ああ、わかっていたのに、この孤独、この、孤独、手に取るように、あなたとお別れした後の空虚、孤独、すべて、わかっていたのに、なぜ、打ち明けて、受け取ってもらえたのに、なぜ別れたの、もう、お会いできない、
 彼女は解離していない人だから、ずっと、その場にいてくださった人だから、豊かな感覚がある人なのだと、知っていたのに、
 
 どうしよう、もう二度とあの人の声が聞けない、どうしよう、こんなに好きなのに、こんなに好きなまま、やめちゃった、あの人のこと、どうしよう、受け取ってもらえないとしか思っていなかったから、
 
 ただ、それだけ、愛していたのに、
 ああああ、あの声を、何度でも、聞くことができると、思っていたのに、
 本当の自分になんてならなくていい、ただいつまでも、あの人と一緒に居たかっただけなのに、愛していた、
 いつまでも一緒に、いられたら、それで良かったのに、トラウマなんてそんなことどうでも良かったのに、ただあの人と一緒にいられたらそれでよかったのに。本なんか一冊も読まなければよかった。頭なんて一度も使わなければよかった、言葉なんて一文字も書かなければよかった。
 どうでもよかったそんなことすべて。あの人のことが好きだった。ただそれだけで良かった。あの人にお会いすることが自分の人生の目的だった。自己実現なんて、自分のことをわかってもらえないなんて、人生の虚無なんて、
 あなたのいるこの世界のどこが虚無だろうか、
 あなたの声を二度と聞けない、あなたのいないこの世界は全くの無意味で、全くの虚無で、
 受け取ってもらえるって思っていたら、
 
 あなたにお会いできてさえいれば、他のものは何もいらなかったんです、何もいらない、これから、初めて、あなたに、楽になった私で、苦しくない私で、これから初めてあなたにお会いできるはずだったのに、
 すべての感情も、いっときのものだからって、あなたが、笑って、その笑顔が、
 でも見てください、あなたに好きだと告白できるほど、自分を好きになった私を、嫌悪していない私を、自分を汚れているとは思っていない私を、
 あなたを失って、どれだけ、あなたが大きな存在だったか、
 あなたの笑顔をこれから忘れていく、
 頭なんて一度だって使わなければよかった、ただひたすらに愛着していた、もうあの声を二度と聞くことができない、
 この世界は全くの無意味であり、
 人生が一度終わった。
 話せば全てわかってくださる人だった。打ち明けられなかった。言い方。怖くて、言えなかった。ほんの少しのことが。
 自分で自分を優しいと思ったことがなかった。本当に。彼女に優しいと言われて、初めて自分は優しいのだと、少しずつ、思えるようになっていった。他の人にいくら言われてもわからなかった。
 胸が、苦しくて、
 お元気で
 そんな言葉、
 もう二度とあの香りが
 胸が苦しかった、今は、胸がちぎれそうで
 どうか、今夜だけは、せめて、忘れないで、よかったら、思い出して下さい

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