出産のすべて
長文noteです。
当時つけていた日記からほぼほぼコピペで
事細かに実際の出産がどのように行われたか、
出産を終えた直後からの赤ちゃんのお世話はどのように行われたかを
記しています。
出産の【本当にリアルな部分】はなかなか目にすることがなく、時が立ってからの振り返りでは忘れられている部分も多くなってしまいます。
これは、産んですぐに記した、私の出産の全てです。
※汚い話も含めリアルすぎるので、苦手な方はご遠慮ください。
2019/11/12
15:31 2755gの女の子が誕生しました。
予定日は11/11
令和元年11/11、オール1っていいなと思って
前日10日には陣痛が来るジンクスたるものをほぼ全てやったかな?
・焼き肉食べる
・オロナミンC飲む
・三陰交・太衝へのお灸
・スクワット
・散歩
・しゃがみこみ
・湯船に浸かる
・声掛け
・四つん這い…
予定日の11日にはなんの音沙汰もなかったので、普通に40週0日目の検診へ。
今日で14回分の妊婦検診助成も終わり…
子宮口closed、高さhigh
ということで、まだ赤ちゃんの頭が骨盤にハマってなく、羊水にプカプカ浮いている状態とのこと。
この週数になっても骨盤に頭がハマってない理由としては、
①単純に赤ちゃんがまだ小さい、出たがってない
②母体の骨盤が狭くてハマれない
が考えられるらしい。
「41週までは様子を見て、それでもハマってなければ、提携病院でレントゲンを撮ろうか」と言われた。
もし骨盤が狭くて赤ちゃんの頭が入らないとなると、帝王切開とのこと。
「骨盤の大きさに問題がなくても、41週3日目まで音沙汰が無かったら、誘発します。」と。
検診結果を聞いて、
なんだあ、ひま(お腹の中にいるときの呼び名)、まだプカプカしてたのかあ。私の骨盤が狭くて入れないかもしれないのに、陣痛来い来いとかって焦らせてごめんねえ。。という気持ち。
主人も健診についてきてくれたから、そのまま大戸屋ランチ。
帰宅後、ミスドのドーナツ食べて、お昼寝して、ミストサウナ入って、夕飯は軽くプルコギ。
20-21時頃から何となく下腹部に違和感。
痛みといえば痛み。
22時頃からは完全に鈍痛。
ベッドに入った23時からは割と定期的な鈍痛。
痛みで眠れず、1:45〜2:45の間に測った陣痛の波は10分感覚で、一回の痛みが10-20秒ほど。
下腹が痛い。
初めてのことだから、これが陣痛なのか、前駆陣痛なのかわからず、取り敢えずそのまま様子見。
痛みが強くなってきて4時過ぎ頃に産院に電話。
助産師さんは落ち着いていて優しくて不安を取り除いてくれる感じ。すごく有難かった。
そしてこれはまだ陣痛じゃなくて前駆陣痛とのこと。
初産だから1回の痛みが60-90秒続くようになって、間隔が8分を切るようになったらまた電話をくださいと。
そのまま明け方まで痛みで一睡もできず。。
朝、7時前には間隔が7.8分で痛みも60秒は続くように。
お腹が減っていたので取り敢えずスムージーを作って飲んで、いつでも病院に行けるようにコンタクト入れたり準備した。
そして8時前に再び産院に電話!
状況を話したら入院準備をして来てくださいと。
もしかしたら入院できずにまた帰されるかもだけど、取り敢えず全部持っていこう!ということで、
主人と一緒に陣痛タクシーでGO!
途中駅前の踏切で20分くらい足止めをくらい、その間に陣痛がどんどん強くなってきた。
産院について、すぐに内診。
子宮口は1.5センチだけど、まだ高い、骨盤にハマってない。と。
内診台の上で、先生に
「取り敢えず写真を取るか、このまま様子を見るか」と言われた。
説明がざっくりすぎて、は?って顔をしてしまった。
助産師さんから補足で、「提携病院で骨盤の大きさを確認するためにレントゲンを撮るか、このままここで陣痛の様子を見るかってことだよ」と言われ。ようやく内容を理解。
はあ。どっちがいいんだろ。取り敢えず痛いな。と。
そんな私の様子を見て先生から、
「散々説明してきてることです。何言ってるかわからない、じゃないんです。(怒り気味)」と言われた。
確かに昨日説明されたけど…
最初の説明じゃ言葉足らず過ぎて何言ってるかはわからないし、
選択肢を与えるならもっとメリットデメリット・状況を詳しく説明してほしかった。
こちとら初めてなんだから。
取り敢えず、
①提携病院でレントゲンを撮って骨盤の大きさを確かめる。けれど放射線を母子ともに浴びることになる弊害はある。骨盤を通れないって分かったら、帝王切開にする。
②今の陣痛が有効な陣痛かどうか、このままここで進み具合の様子を見ていく。陣痛が進んだ上で、骨盤が狭くて通れないとなったら緊急帝王切開になる。
ということのようだった。
選択を迫る中で、「でももうこんなにハァハァしてるし。」と、私を見て先生が付け加えるように言った。
私も、今から他の病院に移動してレントゲン撮るとか無理!しかもレントゲン撮っても骨盤を通れるか通れないかが分かるだけで、通れないってなったらどの道帝王切開になるわけだし、このまま様子見て産むギリギリに通れないってわかったら緊急帝王切開になるわけだから………もう動きたくないし………(脳内早口)
働かない頭を働かせて②を選択した。
そうしたら、
「緊急帝王切開って簡単に言うけど、そんなに簡単なことじゃないんだからね!私が簡単に言うからみんな簡単なことだと思うけど!」とお叱り気味に言われ、
ここは笑いどころなのか何なのか、なんと言ったら良かったのか何を選べばよかったのか、もうわかんないんですけど…って状態で、悲しくなった。
(このあと病室でひっそりと涙が出ました)
先生から、「有効な陣痛じゃなかったら促進します。」と言われたことに対して、
主人が「陣痛促進剤を打つんですか?」と聞いたら、
「陣痛促進剤ではなくオキシトシンです。これもマタニティクラスでも何度も説明しています。促進剤なんて言葉を使わないでください、オキシトシンです。そこのところの認識大丈夫ですか!」と強めに言わた。
…もうなんなんだよ。ここに来てなんでこんなに怒られなきゃなのよ。と思った。
主人も「はい。」と言っていたけど、
なんかとてつもなくかわいそうになった。
病室に入って、パジャマに着替えて、担当の助産師さんと挨拶。優しい人でよかった、、。
ここでオキシトシンの説明をもう一度してもらった。
私の今の陣痛の間隔は7分で、子宮口は1.5センチ。
これが、陣痛の間隔が3分とか5分で、子宮口が4〜5センチ開いていれば、そのまま様子を見て今日の夕方に産まれるくらいらしいんだけど、
私の今の状況だと、まだ陣痛が不規則だから産むのは明日になる可能性が高いと。
明日?!そんなに耐えられないんだけど…と思った。
「だから、このままだったらオキシトシンを打ったほうが今日の夕方くらいには産めるかなあ」と言われた。
「赤ちゃんが下がってきてない状態だけど、陣痛だけを強くしても大丈夫なんですか?」という問いには、
「【陣痛】と【赤ちゃんが下がってくること】はどちらが先ということはなく、有効な陣痛(のちにこれが等間隔で規則的な陣痛のことを指すのだと知る)が来ることによって、赤ちゃんが下がってくることもある」と。
なるほど。
打ってもらおう。
まずは、よもぎ蒸しをして有効な陣痛を促した。
パジャマを脱いで円座みたいな椅子の上に座って。
あったかくてきもちい。
陣痛は痛い。
これをやったら陣痛が5分間隔くらいになった。
それでもまだ陣痛の間隔に波があった。
よもぎ蒸しってもっとリラックスしてやるものだとイメージしてたけど、実際は陣痛のなか悶ながらやるもので、イメージと結構違った。
そのあと、促進剤(オキシトシン!)投与と緊急帝王切開の同意書にサインして、促進剤(オキシトシン!)投与。
陣痛が強くなって、間隔も割と均等に。
もうこのときの痛みが凄まじかった。
この頃の痛みは、下腹(子宮)が、とかじゃなく、
おへその下から尾てい骨まで。全部。
下半身が破壊される感じ。
もちろん下腹は激痛という言葉では足りない痛み。
数分感覚で、高速走ってる大型トラックのタイヤが外れて下腹めがけて吹っ飛んでくるのを体当たりで受け止めてる感じ。
鼻から吸って、口から細くロウソクを消すように長く息を吐くってのはわかってるのに、もう耐えきれず声が出てしまう。
ふーーーッ(息)ではなく、フーーーー!!!(声)とか
アーーーー!!とかイターーーイ!!とか。
やってる間ずっと主人が腰をさすってくれたり、押してくれたり、
買い出しに行ってくれたり、水飲ませてくれたり、手握ってくれたり。
感謝を後でちゃんと伝えよう。ありがとう、と思った。
でも切羽詰まってる中だと、やってほしいことからやってくれないとそれだけで、あああ!!(イラッ)となる気持ちはわかった(笑)
痛みが来てるのに腰をさするのではなく水をくれようとしたり。今は水じゃなくて腰ぃぃぃーーー!さっき水飲みたいって言ったけれどもーーーー!それは5秒前の話で今は腰ぃぃぃーーーー!ってなった。
これ、主人は気の遣い方が上手な人だからこのくらいだったけど、気の利かない旦那さんを持ってる人とかは超大変だと思う。
そして、やはり助産師さんはサポートが超絶うまいわ。
支え方、さすり方、話しかけ方、付き添い方。。。プロだ。
そのあとの内診では子宮口3センチ。
いい感じだよ、と言われ、良かった、、と思った。
主人が両家に進捗をLINEをしてくれていて、
母から主人に「himabushi(←ここは私の名前)は小さい頃から痛みに強い子でした。今は我慢せず周りに甘えるように言ってください」的なメッセージが来てて、それを見せてくれたときも、隠れて涙した。
ここでも強まる陣痛に悶える。
13-14時のあいだ、時間の進まなさが半端なかった。。
そしていよいよ分娩室へ。
まずは主人も私も背もたれのない椅子に腰掛け、
私は主人の前に座り、主人を背もたれにするように、後ろから抱きかかえてもらう形で。(椅子に座った状態でのバックハグのような?)
主人に後ろから脇の下に腕を入れてもらって、手を繋ぐ。
陣痛の波が来るたびに、
力いっぱい腕を締めて、脇から圧をかけてもらいながら、
私は主人の手をめっちゃ握る。
足は、地面がめり込むんじゃないかってくらい床を押して踏ん張る。
助産師さんはオマタを押してくれてサポート。
主人の指折れるんじゃないかと思うくらい握ってたと思う。このときめちゃ辛かったな。
いきみたい!!ってここで初めて思った。
いきむって何?いきみを逃すって何?と思ってたけど、
感覚としては、大をする感覚なんだけど、絶対に押し出す力を入れちゃいけない感じ。
んんんーっ!ってやりたいんだけど、下腹〜膣、肛門にかけては全力で力を抜かないといけない感じ。
いきみを逃すために、とにかくオマタ以外のところに必死に力を入れる。
次の陣痛が来る来る来る来る…ってときは、
足の貧乏ゆすりがとにかく止まらない。
足の筋肉に力が入りすぎて足自身もよく分からなくなってたんだと思う。
「声が出てるから息を出してね!!」と言われてもなかなかに声が出てしまう。つらい。
「15時になったら分娩台に上がりましょう」と言われてからの15分が地獄のように長かった。
それから分娩台へ。
便が結構溜まってるからトイレに行くなら今、と言われたが、もうトイレになんて行けない!!と思い、出る気がしません!と言い切った。(笑)
いきんでるときに便が何回かに分けて出たけどもうそんなのどうでも良かった。
「赤ちゃんにもう少し下がってきてほしいんだけど、座る体制のほうがいいから、またさっきの椅子に座れる?」と言われたが、
あの姿勢で力を逃すのが地獄過ぎて、せっかくやっとの思いで分娩台にあがったからもうあの椅子には戻りたくなくて、断った。(笑)
とにかくもう今が耐え難いから、次のステージに進みたくて、場所ですら戻るのが嫌だった(笑)
分娩台の角度を変えて椅子のようにしてもらって陣痛に耐える。
尿も溜まってたみたいで、カテーテルで取ってもらった。尿道へのカテーテルって痛いの想像してたけど、もう何も感じなかったな。。
ここで、
「先生が来る前にいきむ練習しようか」と言われ、
いきんでみた。
あんなにイメトレも勉強もしてたのに、いざとなったら、
目はつぶってしまう
声は出てしまう
息は漏れてしまう
お尻は浮いてしまう
お腹の方を見られない
で、全部注意された。
注意されるたびに「はい!」とは言うんだけどなかなかできない、難しい。
いきみも長く続けるのが難しくて、
「力が入らないなら一回休んでもう一回やろう!息継ぎは素早く!」と言われるんだけど、
やはり、素早い息継ぎのあとの二回目のいきみのときは、体力がなくなってるから、思ったように力が入り切らなくて、ぁあ!!!ダメ!…もたない……ってなった。
難しかった。
先生がまだ分娩室に来る前のいきみで、
助産師さんに「髪の毛見えてるよ!」と言われ、
もうそんなななのか!産まれるのか!!!と実感がわかない感じ。
分娩台に上がってからも子宮口7.8センチとか言われてたから、まだまだかと…。
破水からの子宮口全開が怒涛のように過ぎていったな。
もうこのときの記憶は曖昧。
「はい今破水したよ」と言われたのは覚えてるけど、
あ、破水したのね、と思っただけで、この頃の下半身は、
自分のものではあるんだけど、もうどこから何が出てるのか、どこ触られてるのか、何が痛いのか、何がどうなっているのかわからない状態。
先生が来て、
「次のいきみで頭出すよ」と言われて、
力を振り絞っていきんだ。
空気が漏れる。体力がなくなってる。難しい。
でも頭出た。
肩出す前に、局所麻酔と会陰切開をした。
「出ないから切るよ」的なことを言われたけど、
もう、どうぞどうぞ状態。
麻酔は若干チクッとしたけどその程度。
切られてるのは麻酔効いてたからか全くわからなかった。
そして、二回目のいきみで、、
ひま誕生
柔らかくて生ぬるくてふわふわでくちゃくちゃな子が私の体の上に乗った。
こんなに大きな子が私の中に?!
私今この子を産んだの?!
ありがとう。ありがとう。
頑張って出てきてくれて本当にありがとう。
いきんでる時、存在を忘れかけていた主人をふと見上げたら目にうっすら涙を浮かべてた。
ありがとうね。
最後のいきみのときは、頑張れわたしーーーーとか、ひまおいでーーーーとか思ってたわけではなく、ほんとに注意することを意識しながらンンンンンンンンーーーーー!!!!って思ってた。
赤ちゃんと私を繋いでるへその緒を主人が切った。
一切りでは切れてなくて、チョキチョキチョキチョキって3回くらいハサミを動かしてた。
もちろん感覚はない。
そのあと「胎盤を出すよ」と言われ、
雑巾一枚分くらいのレバーみたいなのが
デロンっと、出てきて見せられた。
え、おっきいな。ほぇ〜、あ、はいー。って感じ。
赤ちゃんの身体を拭いたりしてる間に、
傷口を縫ってもらってた。
肛門まで3センチ切って縫ったらしい。
なんか時々チクチク痛い&ヒリっと滲みた。
直前のあの痛みがあったから耐えられてたんだと思う。
悪露を出すためにお腹をグリグリ押されて、
生理のときの塊(大量ver.)みたいなのを出す作業をした。
どんどん血が出てくる感覚があった。
でも出血量は140ccとかだったかな?
正常で問題ないと言われた。
出血量ってそんなもんなんだなぁ、もっと出るもんだと思ってた。
ひまは体温が35.7まで下がっちゃったから、と
しばらくヒーターの下に。
私も体の震えが止まらなくて、足湯。
そういえば、お産の間ずっと足はガクガク。
お産終わってからは全身の震えと足のガクガクが止まらなかった。そして顔面は内出血。
陣痛、出産、
決してなめていたわけではないけれど
想像の1000倍しんどかった。
世の中の母たち、すごいよ。
普通に、
第二子のことは考えてしまうな。
ってほどの痛みだったよ。
ひま、
10ヶ月間(281日)、一緒に過ごしてくれてありがとう。
ひまの妊娠を知ったとき、本当に嬉しかった。
つわりが辛くても、ひまがお腹の中にいると思ったらそんなつらさはどうでもよくなったよ。
毎日お腹の中で一生懸命成長してくれて、お腹の中からたくさん動いてくれて、そしてこんなに一生懸命立派に生まれてきてくれて、ありがとう。
ひまは、宝です。私と夫とその周りの人たちみんなの宝です。本当にありがとう。
これから、よろしくね。
夫くん、
感謝がたくさん。
私にひまを、ありがとうね。
そのあとは部屋に戻って夕飯。
豪華。
全然食欲なくてほぼ主人にあげた。
そして何より下半身が痛すぎて、無理。
麻酔が切れてきてからは、切開して縫ったところも、
子宮も、全てが痛い。
すり足。座れない。咳できない。トイレ怖い。
こんな中でも生理現象とはすごいもので、尿意は割とすぐに感じた。
清潔に保った方がいいからと、ビデやウォシュレットをするように言われた。怖すぎて出来なかった。
おむつ換えを習って、夜になってから、
そういえばまだこの子のことちゃんと抱っこしてない!ということに気付き、抱っこ。
小さい。かわいい。とにかくかわいい。
生まれてきたときから目ぱっちり開いてて、
助産師さんにも目大きい!まつ毛長い!と言われた。
そのあとお乳も習いつつ、
夜泣きで2時間おきくらいに起きてお世話。
傷口が痛くて思うように動けなかったから、
主人がたくさん抱っこしてくれて助かった。
夜は主人のベッドで寝かせたり、
私のベッドで寝かせたりしながら過ごした。
夜泣きはするけど、
うんちでもおしっこでもおっぱいでもない。
ただ抱っこしてたら泣き止むってのが何回かあって、可愛かった。
そして、睡魔に襲われ、
私は夜中から明け方にかけて寝ました。
前日から寝てないものね。
ハイになるとはいえ、無事寝ることができました。
そして二日目朝。
ひまは朝から昼まで爆睡。
これが入眠期というやつかな?
私は傷跡が痛くて痛くて、昨日の夜からカロナールを服用。母乳に影響がないなら薬に頼ろう。。
朝ごはんは食欲があってヨーグルト(嫌い)以外全部食べられた。
お昼ごはんのあとにお乳の練習。
左は横抱き。
右はラグビー抱き。
母乳をやる前にオッパイマッサージ。
縦方向だけでなく横方向もしっかりマッサージ。
口を大きく開けさせて深く咥えさせる。
痛くないように吸わせる。
少しでも痛かったり、咥えた口から乳首が見えてたり、
クチュクチュ音がなってたらそれは咥えさせ方が浅い証拠。
浅かったらすぐに、何度でも、入れ直しをする。
深く吸わせることを最初から覚えさせる。
片乳10分ずつ、3時間おきにあげる。
起こしてでもあげる。
赤ちゃんの体力がなかったら片乳5分×2回にする。
寝てて起きなかったりどうしても飲んでくれなかったら、
自分でオッパイマッサージをする。(継続的に出る体にするため)
飲んだらゲップをさせる。
流れをクセつけるために、毎回おむつを替えてからおっぱいをあげるようにする。
主人は追加の荷物を取りに一回家に帰りました。
壮絶な、そして何にも変えがたい大切な貴重な経験をさせてくれた、ひま、夫くん、ありがとう。
私は幸せです。
陣痛の間流していたリストから一曲。
槇原敬之 - 僕が一番欲しかったもの
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