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このコンロ、使えるのかな

大学へ入学して二日目に、出会ってしまったS先輩に騙されて演劇部に入部することになってから数ヶ月後。

学内にある宿泊施設で、先輩スタッフたちがほとんど家に帰らず異臭を放ちながら、照明のプランを考えたり、流す音楽を選んだり、脚本を手直ししたりしていた。私はすでに騙されたと気付いていたが、部を辞めることなく、素直に定期公演に参加していて、スタッフの末端としてそこにいた。私を演劇部に入れたS先輩は照明スタッフだったので、自分はてっきり照明の下っ端として参加するものだと思っていたのだが、なんとS先輩はこの数ヶ月の間に演劇部を辞めていた。そういった事情から、しかたなく私に与えられたポジションは小道具係だったのだが、他のスタッフに比べるとだいぶ暇であり、毎日家に帰ろうと思えば帰れたのだけど、なんとなくそこに泊まることが多かった。そこにいれば授業に行くまで5分かからないし。

そのような状況なので、暇そうな1年生は当然パシることになる。昼は学食がコスパ最強なのでパシる必要はないが、夜は吉野家まで自転車を走らせ人数分の牛丼を手に入れて、生卵は節約のためにスーパーに寄りパックで買ってくる。味覚を司る脳細胞が完全に死滅しているI先輩のために紅生姜をたくさん貰わなければいけないこと以外は苦痛ではなかったし、パシリというより買い出しに近いこの行為は、いかにも大学生をやっているという感じがして、むしろ嬉しかった記憶がある。

公演が近付くにしたがって、先輩たちはより忙しく作業をするようになり、そしてどんどん貧乏になっていった。バイトもせずに演劇に時間を費しているうえにほとんど吉野家とはいえ毎日外食しているのだから、当たり前のことである。もちろん、たいしてやることもないのに同じような生活をしていた私も貧乏になっていた。

みんなが泊まっている施設には、いちおう料理ができそうな設備があったのだが、誰も使ったことがなかった。その場にいた最上級生が3年生だったので、最低でも2年半は使われていないことになる。台所らしきところは片付けられてはいたのだが、そこの蛇口から出る水を飲む勇者はいなかったし、備え付けられているコンロは見るからに年代物でところどころ錆びていて、火をつけたら爆発しそうな雰囲気さえただよっていた。

しかし、貧乏が極限に達しようとしたときに、誰かが「このコンロ、使えるのかな」と、つぶやいた。使える派と使えない派に割れたが、最後は「壊れていたら直せばいい」と、コンロのことなんか何も知らないくせに、雑草魂あふれる結論が出て、とりあえず火をつけてみることになった。ここで爆発していたら、この文章を書いているのは誰なんだ、ということになるので爆発はしなかったのだけど、本当に若さというのは恐ろしい。生きてて良かった。

というわけで、コンロは正常に火がついた。変な匂いとかがしていないことから、ガス漏れなどもないと判断し、料理をすることになった。誰がするか、もちろん1年生に決まっている。そこにいる1年生で料理ができそうなのは私しかいなかった。料理が得意な女子部員もいたのだが、女子は毎日風呂に入る生物なのでこんなところに泊まっていたりはしないのだ。

先輩からもらった少ない予算を握りしめてスーパーへ行き、美味しんぼとミスター味っ子から得た知識のみでなんとか作った料理が何だったのかもう忘れてしまったのだけど、たいしたものではなかったはずだし、通常の人に美味いか不味いか聞いても「ギリ食べれる」という答えしか返ってこないようなレベルのものだったと思うし、なにより誰も飲んだことのない例の蛇口からの水を使用していたのたが、みんな普通に食べてくれて、なんなら美味いと言ってくれた人さえいた。空腹はなによりの調味料というが、おそらく貧乏すぎて、空腹をこえて飢餓に達していたのだろう。

ともかく、大成功の食事となり、それから私はたびたびみんなのご飯を作ることになったのだった。

最終的に調子に乗った私はその環境でエビフライに挑戦して危険な目にあったりもしたが、とにかくこれは、煌めいてないし爽やかでもなくて消えかけた蛍光灯の明かりの下で異臭が漂っていたけれども、青春時代の思い出であり、私は今でもヘタな料理を作るのが好きなままなのだった。

※当時の写真などないので、トップの写真は最近作った麻婆豆腐

#料理はたのしい

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