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自尊心が欲しい。自尊心の身に着け方。

こんばんわ。自尊心が欲しいアヒルです。自尊心が欲しい。まじでほかの何よりも自尊心が欲しいです。生まれてこの方、自信を身に着けたことはときたまあっても自尊心を身に着けたことはありません。マジでほしくてたまりません。自尊心持ってれば、自分のことをいつでも大事にできるわけでしょう?それは心が安定しますよね。今日は発達障害者とそれっぽい人向けに、どうやったら自尊心が身につくのかを少し考えてみたいと思います。

そもそも自尊心とは?自信との違いって何?

広辞苑を見てみると、自尊心と自信の違いはそれぞれ以下のように書かれています。

自尊心…自尊の気持。特に、自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を受けないで品位を保とうとする心理・態度。プライド。

自信…自分の能力・価値や自分の言行の正しさなどをみずから信じること。また、その気持ち。

こうしてみると、自尊心と自信は結構違うことが分かります。事実、私も自信を持ったことはありますが、自尊心を持ったことはありません。分かりやすく例を挙げてみると、私は勉強が得意です(自信)。これは自信です。ですが、自尊心というのは思うに何ができるかに関係なく、自分の尊厳を保つことであり、そこに、自分が何をできるかは根本的に関係ないのだと思います。ここにみそがあって、私は自分の偏った能力の部分に自信は持っていますが、自尊心は持っていません。なぜなら、自分の尊厳があるとは思って今ないからです。自分はクズだと思っているし、自分に能力があっても、尊厳があるとは思えません。なぜ?

具体的に自尊心とは何か?

自尊心とは、自分が何ができるかに関係ないのだとしたら、自尊心とは何なのでしょう。でも考えてみれば、自尊心は本来、その人の能力値や周囲の評価とは無関係でなくてはならないはずです。そうでなければ、例えばベットで寝たきりのもう動けない老人は、尊厳がなく、自尊心を持てないことになってしまうからです。

そういった人々にも自尊心が持てるのだ、自尊はあるのだ、ということを前提とした場合、自尊心の意味や身に着け方が少しわかるような気がしてきます。

自尊心とは、だれかに与えられるものではなく、周囲の評価とも無関係です。自らの存在を尊ぶのは、生き物としての本質、生きたいと思う心そのものなのではないでしょうか。自分の思うがままに生きたいと思う心そのものが自尊心であり、それであれば、寝たきりの老人でも、前途に絶望する若者でも、全ての人々が自尊心を持つことが理論上は可能になります。

自尊心の身に着け方とは?

ではどうすれば、自分の思うがままに生きたいと思えるのでしょうか。そのために必要なのは、自分を理解することだと思います。他者に影響されず、自分が何を是とし、何を是としない人間なのかを理解すること。それが自尊心を持つために必要な第一歩なのだと思います。

私は、子どもの頃から、誰かに進められるとそのままにしてしまい、自分の願望を追い求めることが少なかった気がします。それが自尊心を持てなくなってしまった原因なのかもしれません。人に勧められる何かではなく、自分の心が欲する何かを追い求めてみる。そうすることで、真に自尊心とは身につくのではないでしょうか。

以上勝手な解釈をしてしまいましたが、自尊心についての軽い考察、雑感でした。私はまだ自尊心の持てない弱い人間ですが、いずれ自尊心を持てるよう、だれにも影響されないよう、強くなりたいと願います。アヒルでした。

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