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どうして陰キャに彼女ができたのか?モテることについての質的考察

こんにちわ。今日はモテることについての質的考察を書いてみようと思います。うす。

最近Twitterを見ていると、「暴力的な人間はモテる」といった言説がかなり力を得ている気がします。これらの言動は、量的研究(統計)によってもある程度の裏付けを得ているようであり、確からしく思えます。統計には詳しくないのでノータッチです。ただ個人的にはこれらの研究が真にpopulationの代表性を確保するようなサンプリングができているのか、暴力的な男性がモテるということについて、暴力的の定義がはっきりしているのかという点は疑問です。まあそれはさておき、この研究の結論が真であるとして、じゃあ暴力的でない人間は彼女ができないのかというと、そうでもないはずです。なので、ここでは自分の経験談を基に、陰キャが彼女を作るにはどうすればいいかを考えてみることにしました。

自分の背景

自分の背景事情について語らせていただくと、僕は基本的には、非モテ陰キャです。大学時代はわけあってインカレサークルにも通ったりしていましたが、基本的には陰キャ中の陰キャ、飲み会の酒乱どものノリにはついていけず、寂しい大学時代を過ごし、案の定彼女ができないまま四年間の大学生活をゴールインしました。

とはいえ、勉強が得意で、高学歴だったので、卒業後はそれなりの勤務先につくことができ、当時そこで働いていた方(現在は転職)にアピールして無事彼女を作ることができたという次第であります。なので大学時代の彼女ができなかった頃の自分と社会人になってから彼女ができた自分とを比較してみた際に、モテには何が関わるかが多少は見えてきそうです。

大学時代の僕の特徴として、運動はそれなりにできたこと、サークル内カーストは非常に低かったことが挙げられます。またあまり身だしなみにも気を遣わず、ダサい格好でふらついていました(当時はダサいという認識さえなかった。)。顔は客観的にみて中の下くらいでしょうか。温厚そうとはよく言われます。実は大学時代に、自分とお付き合いできそうな女性が全くいなかったわけではなく、こんな低スペックにもかかわらず、付き合えそうな女性は何人かいました。インタビューしたわけではありませんが、後々社会人になって話を聞いてみるに惹かれた点は、①温厚でいやなことをしなさそう、②頭がよさそう、といったところだったようです。付き合えなかったので何とも言えませんが、これだけ見ると暴力的でなくとも、温厚であること、優しくすることは、暴力的であることとは別に人を引き付ける要素に立派になってる気がします。にもかかわらず付き合えなかった理由は、率直に言って積極性が足りなかったからだそうです。誘うべきところで積極的に誘わず、嫌われるのを恐れて行動しなかった。あたりが、最大のマイナスです。女性は受け身と言われますが、これは実に正しく、付き合いたかったら相手を誘う必要があるというのは間違いなさそうです。

社会人になってからは少し様相が変わりますが、ここで変わったのは、身だしなみに気を遣うことを覚えたこと、話が聞き上手になったこと、相手を積極的に誘うようになったことです。人を誘うことは相変わらず怖かったですが、行動あるのみと思い、勇気をもって誘ってみたところ、無事OKをもらい、その後何回かのデートを経て無事お付き合いできています。

ここまで書いていて思ったのですが、やはり最も重要なのは積極性で間違いないです。実際私は魅力的とはあまり思えませんが、誘うこと、声をかけることといった最低条件を充たすだけで、無事彼女ができています。誘う前にある程度、誘っても嫌がられないか、それなりに友好的な関係が気付けているか考えてみることは当たり前ですが、そうであれば積極的に誘うという行動はプラスになるようです。

緊張しているとキモいのか?暴力的だとモテるのか?

女性をデートに誘うとき、緊張しているのが過ぎるとやはり不気味に思えます。ただそれも実は相手との距離感によりけりです。相手との関係性をどの程度築けているかによって、デートに誘ったときの緊張が別の意味でとらえられてくるというのは間違いなさそうです。実際、私は初めてのデートに誘った際、指が震えるくらい緊張して、さぞキモかったろうと思いますが、相手は、特に気にせず(たぶん)、無事デートを終えることができました。緊張は誠実さの証ととらえることができますが、この緊張がキモいととらえられるのは、相手との関係性が遠ければ遠いほど際立つと思われます。全く接点がない相手が、いきなり緊張しながら声をかけてきたらキモいですが、ある程度接点がある相手が声をかけてデートに誘ってくれたら、例え緊張していたとしてもさほどマイナスにはとらえられないと思います(むしろ誠実さの証として好印象かもしれません)。

暴力的だとモテるという考えにはかなり反対します。少なくとも、私がかつてお付き合いできそうだなと思えた女性で、もっと暴力的にアプローチしていれば…!と思えた人は一人もいません。普通の女性であれば、積極性は求めるものの、暴力性は求めないのではないでしょうか。フィジカルな暴力はもちろん、メンタルな暴力もです。女性を粗雑に扱えばモテるということは私の知る限りはほとんどなく、遊んでいる人でモテている人は知っていますが、それも個々の女性に対しては紳士的に接していた上で、アプローチをいろいろな人に行っていたというケースです。決して殴ってしたがわせていたわけではありません。

自分の経験談の意味するところ

この経験談の意味するところは、女性は暴力的な人が好きなのではなく、意中の相手に積極的になってほしいだけなのでは、ということです。これは統計に基づくデータではなく、研究というにはおこがましい雑感ですが、個人の人間の経験談は質的研究として、自然科学を模倣する統計とは異なる価値を社会科学において持ちます。統計だけで、暴力的な男性はモテるということを語ることは極めて危険ですし、勘違いする人も増えてくると思われます。もし、真剣に暴力的な男性がモテるということであれば、質的研究による裏付けと、暴力的の定義付けを明確に行うことが必要ではないでしょうか。以上、雑感でした。

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