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人間が平等でなくなる日~精子バンクビジネスがもたらすもの~

おはようございます。アヒルです。今日は割と大げさな題名で、不妊治療と精子バンクビジネスがもたらすものについて少し書いてみようと思います。例によって雑感です。また、不妊治療について反対ということは一切ありません。個人の自由だと考えています。

不妊治療における一つの手法として、非配偶者間人工授精(AID)という治療法があるのを御存じでしょうか。昨年、民法の特例法として生殖補助医療法(第三者から卵子や精子の提供を受ける生殖補助医療で生まれた子の親子関係を明確にする民法の特例法)が成立し、日本でも生殖補助医療に関する議論が活発になっているところです。

現在、日本では医療機関を介さないインターネットやSNSアカウントを通じて精子提供が注目を集めつつあります。実際ツイッターで「精子提供」のワードで検索すると、自ら精子提供をしたり、精子提供者のためプラットフォームを作っているアカウントが大量に目に入ります。下記の記事でも指摘されているところですが、こういった活動は、適切な規制がない現状では、様々なリスクが伴います。性感染症の危険もありますし、プロフィールが本当かどうかも分かりません。

そういった医療的なリスクもありますが、それ以上に私が気になり、この記事で述べてみたいのは精子提供を通じて行われる、人間の遺伝的価値の優劣の話です。

精子提供の現場では、自分にぴったりのドナーを探す手法として、精子提供者のプロフィールを見る方法が考えられます。精子提供者はそれぞれ、身長、血液型、出身大学、勤め先、性感染症の有無などをプロフィールで公開し、時に有償、無償で精子を提供しています。一律の法規制がないため、提供している情報は個人により異なる様子です。女性はこれらのプロフィールを見て、自分のパートナーを見つけるわけです(夫をお持ちの方もいるので、あくまで遺伝子提供者としてのパートナーです。)

ここで興味深いのは、数多ある精子提供者の中でも、いわゆる「人気」の精子提供者とそうでない提供者がおられるようです。この、あえて名づけるのであれば、「精子提供市場」では、人気の精子提供者とそうでない提供者が明確に分かれています。ここでは、この「精子提供市場」を通じて、将来に残るべき遺伝子が選別され、あえて言うのであれば、遺伝子の淘汰が行われているように感じます。

この遺伝子の淘汰が意味するものは、後世に遺伝子を残すべき「優れた人々」とそうでない「劣る人々」の選別です。事実、精子提供において日本のはるか先を行く米国では、アイビーリーグ等を出ている人々(いわゆる3K、高学歴、高身長、高収入の人)の精子が非常に「人気」で、取り合いになっている様子です。この様子にちょっとした恐怖を覚えてしまうのは私だけでしょうか。つまり、これまで維持されてきた「職歴、学歴を問わず、いかなる人間も平等である」という建前が、「精子提供市場」における選別を通じて崩れてきていると感じます。後世に残すべき遺伝子は、ステータスで厳密に判断され、優れた遺伝子は数多の受けての女性を通じて後世に残りやすいのに対し、劣った遺伝子は淘汰されていく。ここにはいわゆる優生思想が隠されているように思います。

かつて、優生保護法という法律があり、精神障碍者の方々は強制不妊治療を受けさせられ、子供を残す権利をはく奪されました。この「精子提供市場」の背後には、同じ思想が隠されているように感じます。精子提供が子供を産みたい女性にとって希望になっていることは否定しません。ただ、その一方で、この「精子市場」の存在は、市場原理により、優れた遺伝子とそうでない遺伝子が淘汰されることを意味しています。もちろん現実の恋愛やお見合いを通しての結婚でも結果としてそうなることは否定しません。ただそういった場合は、人間はいわゆる社会的ステータス以外の部分でも判断されることとなります。雰囲気や話し方、思想、信条などです。それに対してこの精子市場では、社会的ステータス(とそれが反映するいわゆる知能等)のみで人間が機械のように淘汰されていく恐ろしさがあります。

子の出自を知る権利の議論が昨今されているようですが、その前に、この「精子市場」の存在の是非について議論する必要があるかもしれません。何を開示すべき情報とするべきか、何を非開示情報とするべきか、法律を通じた規制が必要となるのではないでしょうか。学歴や会社を通じて遺伝子が選別されるこの「精子提供市場」が、優生思想の隠れた萌芽を芽吹かせることがないことを願っています。最後に、繰り返しになりますが、不妊治療そのものに反対する気はありません。また上記で書いているのは個人的な意見です。以上、アヒルの適当な雑感でした。







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