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同性愛は美しいと思う。

人間の生きる根源的な目的は「種の存続」である。自分自信が望んでいなくてもこれまで築いてきた人間という種族としての遺伝子が自分の子孫をこの世に残したいという欲求を抱いている。
人間が持っている性的欲求というのは全てここに起因する。「この人と自分の子孫を残したい」という感情が性的欲求の根源だ。この異性に対する性的欲求は云わば正常な反応であり、それを持っている者は人間として正しい生物だということになる。

では同性愛はどうだろうか。
通常、異性に抱く感情であり、それが人間としては正常である「恋」というものを男なら男に、女なら女に抱くということだ。
これは上記の「種の存続」という観点から考えると、同性を好きになる人間は、生きる目的を見失っている異常な人間という事になる。
しかし、それは「種の存続」を目的にしているからであり、その一点を除いて考えれば何ら異常なことではない。
性格が人によって異なるように、好みというものも千差万別だ。そこに同性を好きになる人間が現れるのはむしろ普通なことだ。
性的欲求に「種の存続」という背景があることから、異性を好きになる=相手に性的欲求を少なからず抱いているという事になる。
では同性愛はどうだろうか。同性愛とはそもそも「種の存続」という本能が起因して起こっている訳ではない。という事は同性を好きになることは相手に性的欲求を抱いていることにはならない。
異性を愛することに人間の罪である性欲が内包されているのに対して、必ずしも相手に性的欲求の解消を求めているとは限らない同性愛は、性的な側面が限りなく少なく異性愛以上に純粋な「恋」という感情であり、しかし異性愛よりも叶うことが少ない分、儚くも美しいものではないだろうか。

私は同性愛が異常なことだと全く思ったことはない。むしろ尊いものだと感じている。
しかし、同性愛には根本的な問題がある。何度も言っている「種の存続」の問題だ。同性愛では人間の本来の目的である子孫繁栄を行うことはできない。こういった人間が増えると人間という種族としては大きな損害だ。数を増やしてこその生物であり、人間以外の生物たちもその多くが種の存続を目的に生きている。種族の数が減るという事はその分絶滅に近づいていくということだ。
その一面で見れば同性愛はやはり人間という生き方からは外れているのかもしれない。

しかし、多様性の今の時代、自分の好きを恐れる必要はない。様々な人間がこの世の中にいてもいいのだ。

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