越谷小鞠は一番大人で、頼れるお姉さん。
こちらは『のんのんびより』に登場するキャラクターである、「越谷小鞠」通称「こまちゃん」である。(あだ名の理由は小鞠だからではなく、『こまい=小さい』からである。)
『のんのんびより』とはあっと先生原作のマンガ、アニメで日本のどこかにある田舎の、旭丘分校に通う四人の生徒たちの日常を追った物語である。
その内の一人である越谷小鞠は中学二年生で四人の中では最年長であるのだが、身長は140cm以下であり、妹である「越谷夏海」よりも小さく、小学五年生の「一条蛍」にも負けてしまっている。さらにその幼さは身長のみではなく、お化けやホラーが苦手、料理が下手、大人ぶって空回りなど、こまちゃんは作中であらゆることに失敗する。いわゆる「アホの子」「ポンコツ」といったキャラクターだ。
一条蛍と仲が良く、小学五年生なのに大人びたほたるんと、中学二年生なのに子どもっぽいこまちゃんという対照的なコンビである。
妹である夏海にも姉として接してもらえず、いつもからかわれている。時には小学一年生の最年少、「宮内れんげ」にもからかわれてしまう。
と作中ではそのような扱いを受けてしまっているこまちゃんだが、そんな彼女は四人の中で最も「大人」で頼れる「お姉さん」だと筆者は思う。
そう思う根拠を今回は説明したい。
こちらはれんちょんと竹とんぼで遊ぶシーンである。一見すると小学一年生相手に勝敗を気にしていてれんちょんから呆れられるというこまちゃんの幼さが強調されるシーンに見れるがちょっと考えてみてほしい。
自分が中学二年生だとして、小学一年生と遊ぶ時に本気になって、同じ目線になって遊ぶことができるだろうか
筆者は自信がない、あまりにも年齢が離れすぎているので、てきとうに負けてあげると思う。
れんちょんの気持ちになってみると、「手加減してる大人」だと思うだろう。果たしてそんな人物と遊んでいて楽しいだろうか?筆者は子どものころ「手加減している大人」が好きではなかった。本気で自分と関わろうとせずに、上から目線で自分を見てくる。そんな大人だ。
しかし、こまちゃんは本気になってれんちょんと遊んであげている。実際、勝敗にムキになっている部分もあると思うが、れんちょんのことを考えて本気になって遊んであげている部分もあると思う。小学一年生の立場になって考えられるこまちゃんはとっても「お姉さんだ」。
同じくれんちょんに対して、駄菓子屋に咎められてはいるが、れんちょんを思っての行動である。なっつんに比べると描写は少ないが、こまちゃんもれんちょんに対して「お姉さん」でなければという自覚がしっかりあるのだ。
なっつんに対してもなんだかんだで遊びにも付き合ってあげていて、文句は言うがなっつんの姉だという自覚を持っていることがわかる。
続いて、ある日こまちゃんが晩御飯を作ると提案するのだが、料理が下手なこまちゃんはなっつんに猛反対される。それにムキになったこまちゃんは一人で料理をするから母に手伝うなと念押しする。
「すごい料理で夏海を見返す」という思いから「カレーに砂糖をてんこ盛り入れる」という発想に至る。しかし途中で「美味しくなければ意味ないのでは」ということに気付き、母の手助けもあり「家族のために美味しいカレーを作る」と決心する。
あれほど手伝うなと言った母親に「やっぱり手伝って」と言ったのは、自分のプライドや恥を捨て、家族のためを思った行動だ。自分よりも他の誰かのために行動できる。それができるこまちゃんの成長に母である雪子さんも感動したことだろう。(この回は、こまちゃんの自主性を尊重し、すべての行動を見守ってくれる越谷雪子さんの優しさも素晴らしい回である)
続いて、ブラックコーヒーを飲んでるなっつんに自分は飲めないことをからかわれ隣に住む高校三年生「富士宮このみ」に相談しに来たこまちゃん。
そこで「コーヒー飲めることより、仲直りを切り出せるほうが大人だ」というアドバイスを受ける。そのアドバイスをしっかりと聞き入れ、自戒し「なっつんに謝る」という選択をこまちゃんは取ることができるのだ。中学二年生という年齢では難しいことだろう。筆者だったら捻くれて謝ることなんてできないと思う。自分にとっての「お姉さん」であるこのみちゃんのことを見習い、このみちゃんからしたらまだまだ子どもであるが、確実に「お姉さん」として一歩ずつこまちゃんは成長している。
こまちゃんの「お姉さん」はほたるんに対しても同様だ。れんちょんとなっつんが年上扱いしない中でほたるんだけはこまちゃんを「先輩」と呼ぶ。しかし、ほたるんは小学五年生とは思えない部分が多く、大人ぶるこまちゃんが空回るというのが常だ。
上のコマも学校が終わったらすぐに帰るほたるんを心配しての発言であるが、実際にはイモリのいる池に行っていただけであり、イモリが苦手なこまちゃんはいつものように空回ってしまう。
こまちゃんに無理を言ってしまったと落ち込むほたるんに、こまちゃんはほたるんを気づかい声をかける。こんなに人の気持ちを考えられて、空気の読める子いますか?外見や表面ではほたるんの方が「大人」なのだが 精神や内面はこまちゃんの方が「大人」なのだ。
それを象徴するのが下記の45話である。
こまちゃんとほたるんは二人で天体観測に出かける。このとき雪子さんのセリフによりこまちゃんがほたるんよりも「子ども」であることが強調される。
天体観測を終え、帰路に就こうとすると懐中電灯が点かなくなってしまう。辺りは暗闇に包まれており、肉眼では何も見えない。この状況に二人は泣き出してしまう。普段は落ち着いているほたるんも動揺を隠せない、小学五年生という年齢を考慮すると当然だ。しかし泣いているほたるんを見て、こまちゃんは泣き止み、決意する。
自分は「お姉さん」だから、この子を守って必ず家に送ると。
自分が泣いている場合じゃない、だって「お姉さん」だから。という強い思いだけで腰が抜けるほどの恐怖に立ち向かったのだ。危機的状況で気丈に振る舞い、さらに弱みを人に見せることもできるこまちゃんは「子ども」などでは決してない。こまちゃんの目指している「大人の女性」にもう既になっているのだ。
もう十分こまちゃんが「大人」であると証明できたと思うが、さらに45話と同等にこまちゃんが「大人」だということがわかるエピソードが55話だ。
ある日こまちゃんが部屋の掃除をしていると、ベットの下からクマのぬいぐるみ「小吉さん」を見つける。最初はその劣化具合から処分を考えるが、一冊のアルバムを見つける。
古いアルバムであり、自分が右頬に絆創膏をつけていることに疑問を持つが、写真から「小吉さん」が軒先に落ちたのを取ろうとしたときにこけたことを思い出す。アルバムを捲っていくと自分の写真にはいつも「小吉さん」が一緒に写っていた。
「小吉さん」を貰ったとき。
七五三のとき。
小学校に入学したとき。
自分がいかに「小吉さん」を大切にしていて、人生を共に歩んできたか思い出したこまちゃんは、ほたるんにぬいぐるみの直し方を教えてもらうために、夏の厳しい日差しの中、ほたるんの家に向かう。不器用なこまちゃんは、針を指に刺してしまう失敗をしながらも、ほたるんに協力してもらいながら頑張って「小吉さん」を直す。
その帰り道、直った「小吉さん」を以前のように大事に抱え、一時だけ過去の自分に帰る。
今回のことで「思い出」の大切さを知ったこまちゃん。過去の大切な思い出というのは何よりも尊いものであり、一生大切にしなくてはならないことだということを知ったのだ。
埃かぶった思い出が 何より宝物
きっとこまちゃんは、「小吉さん」を見るたびに、過去の自分を思い出すだろう。それと同時に大切な「思い出」も。いつかの自分とお揃いの、右頬につけた絆創膏を見るたびに。
※小吉さんを貰ったとき、七五三のとき、入学したとき。というのは筆者の憶測です。アルバムに残す写真と考えたとき、妥当なのがそのあたりだと思いました。小吉さんを貰ったときは、たぶん正解です。小吉さんが入っていた空箱らしきものが写真内に写っているので。
筆者のTwitter→https://twitter.com/ahihiro
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