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いつか旅立つその日まで

ばあちゃんが亡くなった。

その日は木曜日だった。思い返せばわたしは朝からソワソワしていた。仕事中も落ち着きがなくて、楽しみだった映画の試写会中も上の空で、ちょっと心細い日だった。
なんだかひとりでいたくなくて、誰かに会いたくて、顔を見て安心したくて、平日にも関わらず仲良しの先輩を誘って飲みに行った。
帰宅してからもどこか不安で、今度は大分にいる大好きな先輩に電話をした。たわいもないお話をしている時、何度も何度も電話がきれるという不思議なことが起きた。電波が悪いのか、かけなおしても何度も切れてしまった。先輩も不思議がるほど電話がきれてしまって、「なにかいるんじゃないの」とまで話すくらいだった。

その日の夜中、ばあちゃんが亡くなった。
眠った時刻は3:19。
わたしの誕生日である3月19日と、同じ数字だった。

次の日、無理やり仕事を休んで父と母と共に福島へ向かった。不安で悲しくて、でもどこか冷静な自分が冷酷に思えた。

眠っているばあちゃんをみて、本当に実感が湧かなかった。涙が流れる一方で現実味がなくて、本当にばあちゃんはただ眠っているだけなんじゃないかと思ってしまうくらい自然に横になっていた。
そっと触れた肌が冷たくて、そこで初めて理解をした。ばあちゃんはもういない。亡くなったんだ。
こんな時でも容赦無く鳴る社用携帯を握りしめて、淡々と電話で仕事を進めた。こんな日に世界の人々がいつもと変わらず仕事をしていることが苛立った。仕事を放棄できずにいる自分にも苛立った。
誰かに会いたくて、声が聞きたかったけれどなんとなく携帯で連絡を取る気になれなくて、静かに過ごした。イヤホンが壊れて、音楽さえも聴けなかった。

週明けに、どうしても成し遂げなければならない大事なお仕事があったため、土日は東京で必死に仕事をした。土曜日に出社した時に、なぜかその日に限って会社には人がたくさんいて、「大変だったね」と声をかけられた。
誰に対しても、うまく受け答えができなかった。やるべきことだけやって、仕事をこなして、家へ帰った。
月曜日、早朝からロケに出てみっちり仕事をした。ろくに寝ていないせいでロケバスで具合が悪くなって、貧血になってしまって、不甲斐なさに涙が出た。ヘトヘトの身体をひきずって、終電で福島へ向かった。
翌日からの葬儀は、ひどくあっという間だった。
とても長く感じて、でもあっという間で、それでもこれは今でも現実なのか疑うほど曖昧だ。
疲れでやけに重い体と、死への恐怖を感じているわたしのこの気持ちがリアルすぎて受け止めきれない。

ばあちゃんは、とてもわたしを可愛がってくれた。両親とは少し違う、優しさたっぷりのあの眼差しが忘れられない。
友人や親戚に、わたしの自慢をたくさんしていたらしい。「わたしの孫のさくちゃんは、とても立派でね」と。お葬式で会う方に、「桜子ちゃんですね」と納得したように声をかけられた。
ばあちゃんの部屋から、わたしが早稲田に受かった時の合格証明書のコピーが出てきた。わたしが過去にあげた手紙も、お土産にあげたおかしの缶も。わたしが忘れていたものまで、ばあちゃんの宝物になっていた。そういえば、初めて作った本に名前が載ったのを見せた時、本当に嬉しそうに指でわたしの名前をなぞってくれていたな。すごいね、って、それだけ言って笑ってくれた。

ばあちゃん。
どうしてわたしの誕生日の数字を選んだの。どうして、その数字なの。
わたしに何を伝えたかったの。
もっとちゃんと会いに行けばよかったよ、忙しさなんてどうでもよかったよ、きっと。
たくさん後悔がある。後悔もあるし、突然死んでしまったことが怖くて怖くて仕方ない。何が怖いのかわからないけれど、わたしは怖くてたまらないんだよ。

ばあちゃん。
一つだけ、ばあちゃんに言われて忘れられない言葉があるよ。これは本当に、本当にわたしにとって宝物です。今にも泣いてしまうくらい大切な言葉なんだよ。
「桜子ちゃんは普通の女の子だもんね」
その言葉に、わたしは泣いて泣いて泣いて救われたんだよ。この社会で、普通だもんね、って自分を許してもらえる人、少ないんだよ。両親にも変わってるねって言われてしまうわたしのこと、メンヘラだとか曲がりものとか言われて悩むわたしのこと、ばあちゃんは本当に簡単に許してくれた。
ありがとうって、ちゃんと伝えられてたかな。わたしのことを可愛がってくれて、本当にありがとう。

父が泣いているのを、初めて見た。
この23年間、一度も見たことがなかった気がする。いつも強気で自信たっぷりで、わたしに対してなかなか厳しい父が、そんな人間が。
眠るばあちゃんの前で、初めて泣いた。
見ていられなくて、その姿を見ているだけで涙がボロボロ止まらなかった。
ずっと父のことなんて嫌いだった。口よりも手が出る彼のことを、何度も憎んだ。泣いてもわかってもらえないことの方が多かったし、父親らしいことなんて数えるほどしかしてもらったことがない。
だけど、わたしは父が泣くのを見たくなかった。心が痛かった。痛い。父という人間がこんなに泣くほど悲しむというのが、それを見なければならないのが耐えられなかった。父が辛い思いをしているのに、ただ見ているだけなのが辛かった。一緒に泣くことしかできなかった。泣くことしか出来なかったから、せめて一緒に泣いて一緒の空気を吸った。

人はいつか死んでしまう。
それが順番だと言うのなら、わたしにもきっと、両親を見送る日がやってくる。
今は当たり前に一緒にいて、喧嘩をしたり泣いたりするのに。父なんか嫌い!と意地を張ったり、母に冷たくしてしまったり。心無い言葉で傷つけあったりしてしまっていた今までのことを、本当に反省した。
一緒に過ごせる、元気な顔が見れる。それが当たり前ではないのだということを、改めて実感した。
今生きている今は、未来のわたしが「戻りたい過去」なのかもしれない。家族と一緒にいれる今は、きっと幸せなんだ。
今までは直せないから、今この瞬間から大事にする。大事に生きる。

父が母と結婚をして良かったと、心の底から思った。もしも父が母と出会っていなかったら、わたしたち家族は出会えなかった。母も父も、お互い別の人と結婚をしていたかもしれないし、そうしたら当然わたしはこの世に生まれていなかっただろう。
だけど、父が母を選んだから。母が父を選んだから。私たちは家族となることができた。わたしは両親に、兄に、祖母や祖父に会うことができた。
家族だから、父の悲しみに寄り添うことができる。今、父を一人にしなくて済んだ。一人で泣かせずに済んだ。一緒に泣くことができるし、辛い時間も一緒に過ごして分かち合うことができる。これからも私たち家族は、限られた時間の中で共に生き、時には泣き、何よりも喜ぶことができる。

人が結婚をする理由なんて、今までわからなかった。全く違う環境で育って、全く違う価値観を持った人間が、たった一人を選んで生涯を共にする。それに美しさなんて感じなかった。結婚という世間一般が想像する「幸せ」を掴むことに少しの憧れはあったけれど、結婚そのものに対して良いイメージなんて正直なかった。
だけど、ちょっとだけわかった気がする。
結婚をして、愛する人と生きる覚悟をして、新しい縁ができて、それが「家族」になる。家族がいるということが、この先を生きていく力になる。泣いたり笑ったり、頑張ったりする理由になる。自分が生まれた意味になる。
家族って、いいなって初めて思った。わたしの家族がこの人たちでよかったって、思った。ちゃんと助け合えるし、ちゃんと泣ける。言葉は少なくても、それでも安心する。
バラバラだった私たち家族のこと、ばあちゃんは繋げてくれたのかな。

わたしも自分の家族を作りたいって、初めて思えた。結婚って、いいな。大切な人とわかちあえる関係。自分にとって永遠の「縁」。
家族って、素敵だ。

友達とか好きな人とか。自分の人生の中で出会った人々について振り返ったりもした。
いつかこの人たちに会えなくなる日が来るんだなとか、こんなにたくさんの人がいる中でわたしと仲良くしてくれるんだなとか、普段考えないことをたくさん考えた。
そうしたらだんだん、いろんな人に会いたくなった。ありがとうとかごめんなさいとか、ちゃんと言いたいって思った。大事にしたいって、下手くそだけど本当にそう思った。
父と母は、わたしの人生において初めての「縁」だ。初めての出会いだ。その出会いから、わたしの人生はここまで歩んでこれた。いろんな選択をして、いろんな別れを経験して、いまわたしの周りには素敵な人々がたくさんいる。
一人じゃ生きれない。家族もそうだけど、人に感謝しようって、強く思った。
いつか死んでしまうから。会えなくなって、わたしがこの世にいたことすらなくなってしまうかもしれないから。
でも、ばあちゃんがわたしにしてくれたように、言葉とか思い出で強くなれることもあるって信じてる。そういう贈り物ができる人間になろうって、強く強く思う。

いつか旅立つその日まで。
いつか死んでしまってこの世を去るその時まで。
全力で生きて、全力で人生を歩みたい。ばあちゃんにいつか会うその日まで、きちんと生きたい。ばあちゃんに教えてもらったこと、書いて伝えたいし、残したい。だから書いた。わたしは書くことしか出来ないから、かっこつけることしかできないから。下手くそだけど、ばあちゃんが教えてくれたこと、ちゃんと胸に抱いて明日からも生きるよ。

もっとたくさんの人と出会って、贈り物をして受け取って、人生を彩れたらいいと思う。
そして、まだ出会っていないかもしれない、もしかしたらもう出会っているのかもしれない旦那さんと、家族が作りたい。
父と母が生きている間に、わたしの幸せを見せてあげたい。父と母がしてきたように、ばあちゃんやその前の世代が受け継いでくれたように、わたしも愛で世代を紡ぎたい。こんなこというと、またこいつくさいこと言ってるよやめろやって言われるかもしれないけれど、でも。

生きているだけで、幸せだ。生きていなきゃ、何もできない。残せない。
もう冗談でも「死ね」なんていわない。23歳にもなって改めて言うことではないけれども、絶対に言わない。ノリでも言わないし、言われたくない。誓う。

歳をとれる幸せと、先代を見送る覚悟。父と母が作ってくれた家族がいる恵まれた自分の人生に、心から感謝をする。
ばあちゃんはきっと、「家族」の温かさについてわたしに教えようとしてくれたんだと思う。
そう受け止めるよ。受け止め、生きていくよ。

まだもう少し、まだあともう数十年。
きっとあっという間。だけど、想像もつかないくらいにいろいろなことが待ち受けているわたしの未来。

全力で生きたい。

#エッセイ #人生 #note編集

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