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挨拶で生まれる縁

高校生の時のお話。平日の朝、通勤・通学の慌ただしい時間帯のこと。最寄りの地下鉄の階段前で、選挙の呼び込みをしている議員さんがいた。「おはようございます!」と元気よく声をかけて、「言ってらっしゃい!」と学生に手を振って、どんな時でも明るくて元気な議員さんだった。

今思い出すと、通行するほとんどの人が議員さんに挨拶を返していなかったように思える。イヤホンを耳にさしてジャンジャカ音楽を聴いていたり、出勤前の憂鬱さで心が重くなりイライラしていたり。
朝の人間は幾分扱いづらい。

そんな中。
多分その時のわたしは、アホというかぼーっとしていたというか、世間のこともあまり知らず、本当に何も考えていなかったんだけど。
その議員さんには毎日挨拶を返していた。だって大きな声で毎日「おはようございます!」と挨拶してくれるから、「おはようございます」と返していた、それだけなのである。
今でも思うけれど、わたしは絶対に特別なことは何もしていない。
「あ、みんな無視してる。可哀想だから挨拶してあげよっと」みたいな感じもなかった(大人になった今に出会っていたら、多分ちょっと違ったかも知れない)ボーッとしていただけだったのかもしれない。

挨拶。そこになんの疑問もなかった。挨拶されたから挨拶を返していたし、議員さんだろうが朝だろうが本当に関係なかった。元気に挨拶されて嫌な気分にはならなかったし、そもそも大人で爽やかに挨拶する人をその時のわたしはほとんど知らなかったから、若干心地よさも感じていたかもしれない。

「おはようございます!」
「おはようございます!」
毎日挨拶をした。

「おはようございます!学校行ってらっしゃい!」
「おはようございます!行ってきます!」
言葉がすこしずつ増えていく。

「おはよう!今日はちょっと早いね」
「おはようございます!今日は当番で」
歩く足を止めてお話することも増えた。

そんな感じで、お話を普通にするようになって3年、通い慣れた高校を卒業する時が来た。
議員さんに一報いれたかったがなぜかその時は会うことが出来ず、そこでしばらく顔を合わせることはなくなり、大学入学。
授業開始時間は高校とは違って遅いから、議員さんに会うこともなくなってしまった。

挨拶をしなくなってからふと気付いた。「毎朝同じ時間に、同じ人と挨拶できるって、実はすごく恵まれていたんだなぁ」なんて。
身分も立場も世界も何も関係なく、ただ「おはよう」と挨拶していただけなのに、いつのまにか他人ではなくなって、自分の世界の知人の一人となって、特別になっていく。
むず痒いけれど、ちょっと嬉しい気持ちだった。
確かに、彼の職業が議員だったからというのもあるけれど、わたしだったら毎朝同じ時間に立って挨拶するなんて、きっとできない。この人は志のあるプロなんだって、尊敬していた。
突然会えなくなる日が来るのは、やっぱりさみしい。

そして、ある日。ちょっとはやく一限の授業に向かった時。

「元気にしてたのか!!」
その議員さんと再会をした。高校時代と変わらない元気な笑顔でわたしに挨拶をしてくれた。
思わず立ち止まって近況報告をした。無事大学に合格したこと、好きなことを勉強していることを話すと、ニコニコしながら「心配してたんだよ!」といってくれた。
その議員さん、就職した今でも時たまばったり街中で会うもんだから、今でも仲良くさせていただいている。今度お茶に行こうかというくらいには、親しくさせていただいている。

あの時わたしが挨拶をしていなければ。
この縁は絶対になかった。みんなと同じように無視して歩いていたら、この縁は結ばれることは絶対になかったはずである。ただあたりまえに挨拶をかえすこと、笑顔で挨拶をすること、それだけで人と人が繋がるんだと改めて実感した。

お疲れ様です、ありがとう、ごめんなさい。ちょっとだけ気持ちを込めて、毎日挨拶をしたい。
小さな挨拶でも、大切にしたい。なんて、今更だけれどしみじみ思う。大切なことをその議員さんに教えてもらいました。

#エッセイ #コラム #挨拶

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