プロローグ的な何か

 見上げれば、いつもそこには月があった。それだけで、ここが元いた世界とは別の世界であると思い知るのには十分すぎた。
 だから、というわけではないが、この世界を壊すことには何の抵抗もなかったし、計画通りに月食が始まった時には安心さえしたものだ。
 イトゥユの立つ地の遥か下方、群れた人々が空を指差している。遠くにいても聞こえるその声には、恐れ、戸惑い、不安などがその大半を占めている。しかし、その声を聞いてもイトゥユの心にはなにも響かない。ただ、己の成した結果に満足し、これから起こる変化に期待を胸を膨らますのみ。
 月がイトゥユの打ち上げた魔物に侵食されていく様を見守っていると、イトゥユの背後で、地面を踏む音がした。
「イトゥユ・・・・・・」
 足音には、イトゥユを呼びかける声も伴っている。その声に混じる感情は、この事態を引き起こしたイトゥユに対する怒りでも、この事態を収束させようという使命感でもなく、ただイトゥユへの同情のみが込められていた。
「はぁ・・・・・・。どうして邪魔するんだ、イトァレ」
 イトゥユが振り返ると、そこには人間の男の肩に乗った小人、イトァレがいた。イトァレの周囲には、男の他にも計5人が居るが、イトゥユの目には入らない。イトァレの他の個体など、イトゥユが考慮する必要もない。
 男の肩に乗ったことで、見上げる体勢になってしまったことを忌々しく思いつつ、イトゥユはかつての同胞を見据える。
「イトゥユ、こんなことをしても仕方がないわ。この世界に来てしまった以上、月とともに歩みましょう?」
 故国では使わなかった言い回しに、イトァレが故国をすでに捨て、この世界で過ごすことを心に決めていることを思いしり、イトゥユは己の中の苛立ちがピークに達したのを感じる。
「・・・・・ねぇ、本当にこんなところで油売っててもいいのよぉ?月はもうほとんど無くなりそうなのぉ」
 イトァレの連れの一人だろう。その体に大きすぎるサイズの服をまとった、他の奴らよりは保ほど小さな人影の一言で、イトァレの堪忍袋の尾が切れた。
「・・・・・・黙れ、お前はもう誰でもない。今ここにイトゥユ・レイ・ゾヴェミピセタの名において命ずる。イトァレ・ルイ・ゾヴェミピセタよ、其の名を剥奪し、其の命、其の運命、其の魔力。目に見えると見えざるとに関わらず、すべてのものは我に帰順せよ」
 口にしたのは、イトァレの命をつなぎ続けてきたものを断ち切る呪い言葉。これを唱えたが最後、イトァレはイトゥユが助けたその時より続いている生命の鼓動が止まってしまう。
 イトゥユは、その結果が訪れることを嫌っていた。イトァレを助けたその時、その方法しかないとわかっていても、救命者が一方的に命を刈り取るこの方法しかないことを呪ったはずだった。そして、今この時その瞬間が訪れることに、己の身勝手さの結果を目に焼き付けようと、イトァレを見つめる。イトァレもその呪い言葉を聞いた時にどのような結果が訪れるかわかっていたのだろう、その瞳に悲しみを湛え、イトゥユを見つめ返していた。
「・・・・・・どうなっている!!」
 しかし、どれほどの時間が過ぎようともイトゥユが放った呪いはイトァレに届くことはなく、いまいましいこの世界の住人の肩の上でイトァレを見下ろしていた。
「・・・・・・この世界にはこの世界の技術がある。それを、この世界を憎んで、私たちの国にばかり思いを馳せていたあなたは知ろうともしなかった。知ろうとすれば、私よりも賢いあなたのこと。きっとこの世界をよりよい道に導くこともできたはずなのに」
「そんなことはどうでもよい・・・・・・」
 自分の出した声に、イトゥユ自身が驚く。しかし、驚きから立ち直るのは、相手よりも格段に早い。これが今の自分がこの世界に対して抱いている怒りなのだと納得すると、その怒りをこの世界に振るうために形にする。
 イトァレの驚きがより深いものとなったのを見てとり、イトゥユは悦びに浸る。
「さぁ・・・・・・月をも食らうこの力・・・・・・。その身で受けてみよ!!」
 月がその体の大部分を陰に浸した空の下、イトゥユは己の周りに現れた魔物に指示を下す。命令を受け、それがこの世との唯一の繋がりである魔物は、己の命に代えてもその命令を遂行せんと体を進ませる。
 イトァレの周りの人影が、その身を守るためか、イトァレを守るためか、その身にまとった武器を振るう。
 その光景を見ながら、イトゥユはこの世界に堕ちた時のことを思い出す。
 こうなることとなった原因、イトァレと道を違えることとなった原因を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?