秋の風と月明かり

 手に持っていたペンを手放すと、精霊が作りだしている光の外に転がっていった。
 それを見送りながら、椅子の背もたれに体重を預ける。それだけでは足りず、頭もそらせば、背中から骨のなる乾いた音が響いた。それですこし気分転換になったシヴィーラは自分が今まで書き込んでいたノートを見返す。
 そこにはこれまで自分が調べてきたとある研究のまとめが記されている。それも、今日の研究成果を書き加えたことでその大綱も終わった。あとは細部を詰めることと、その実証を行い政治家どもを納得させるだけだ。
 もっとも、研究者としてはそれなりに名声を持っているシヴィーラだが、これまでの実績もなかなか考慮してくれないのが政治家どもだ。奴らは目の前に迫った危機よりも足元の小銭が気になる人種なのだ。
 そろそろ精霊の光も不要になる時間だな、と思い、ノートを閉じる。
 窓から差し込む一条の光が目に痛い。もっとも、いつもに比べて働いた時間は少ないので、今感じている疲労も年齢によるものなのだろうか、と積み重ねてきた年月を思う。最近の悩みは家に帰った時に長年連れ添った妻の一言だ。「また髪の毛減った?」と。
 毎日鏡を見ているが自分ではわからないので、研究室の部下に聞くと、とても答えそうにしていたので、どうやら妻の言っていることは事実らしい、と判明した。
「さて、これが終わったらわしも引退していい加減穏やかな老後を過ごさせてもらうかな」
 椅子から立ち上がり、体を伸ばし固くなっていた体をほぐす。研究成果がまだ外部に漏れないように、本棚に作っている秘密の収納スペースへと納める。研究ノートを収め、ふと考える。研究内容を記したノートは、よその研究グループに見られて研究内容を盗まれないために、多少の暗号化はしている。しかし、こうして隠していると、例えその内容が他愛のないものだとしても、隠されていた、という事実が重要視されるのではないだろうか・・・・・・?
 本棚の前ですこし考えていると、シヴィーラの部屋をノックする音が聞こえた。
 今日はもう来客の予定はなかったので、一瞬不審に思う。しかしそれも一瞬で、おそらくすぐにでも報告したい出来事のできた研究室仲間か、最近よく尋ねてくる有翼人種の軍人だろう、と予想する。
 ノートのことはこの来客の相手をしてからでも十分だろう、とノートのことは後回しにする。ノックの主人に軽く返事をすると、来客の対応をするために部屋の扉を開けた。直後、シヴィーラの視界を埋め尽くしたのは目の前に太陽があるのではないか、と思うほどの眩い光だった。


「彼は偉大な研究者でした。彼が残した研究成果は、彼亡き今も、確かにこの国に、この大陸に残され・・・・・・」
 月の照らす草原。秋の風が漂い、肌寒さを感じさせるその草原に、普段はない人の群れがあった。人のむれの中心の演説を、その言葉を風が運ぶ。風が運ぶのは演説だけではない。人の群れの中で咽び泣くその鳴き声も運んでいく。運んでいく先は、故人が体から離れ、精霊とともにこの世を見守ると言われる聖域だ。
 故人を偲ぶ人が集まった草原で、その人の群れを一歩引いたところで見守る姿があった。背中に鳥の羽を持ったその人は、つい最近シヴィーラの研究に興味を持ち、頻繁にシヴィーラの研究室を訪ねていた人物だ。この国では特殊作業員として軍に所属し、同時に精霊研究施設にも籍をおくという変り種だ。最近は手のかかる同級生も手を離れ、やっと自分のやりたいことに専念できる、と興味を持った出来事に関わり始めた途端にこれだ。つくづく自分は不幸な星の元に生まれているらしい、と溜息をつき、こんな自分が関わったたがために亡くなった博士に申し訳なく思う。
 この世のどこかにあるなんでも斬れる剣があれば、いっそ自分の運命を切り裂いて欲しいと思う。その剣は目に見える物に限らず、目に見えない物すらも斬り捨てると言われているのだ。この運命を斬り捨てるぐらいのことはしてくれるだろう。
「・・・・・・あぁ、葬儀ももうそんな場面か」
 物思いから覚め、視線を博士の眠っている棺に穴の空いた短い丸太が縦にしておかれる。丸太に開けられた穴は、人工の物ではない。キツツキが空けた物だ。最近はそんな風習も馬鹿らしいとして、人が空けた物を使う葬儀社もあるそうだが、今回の丸太に開けられた物は、間違いなくキツツキが空けた穴であると葬儀社の社員が胸を張って言っていた。・・・・・・曰く、社員の中にキツツキがいるから、そのキツツキに開けてもらったのだとか。参列者たちは、その穴に故人への思いを綴った手紙を投函していくのだ。
 丸太に並ぶ人の最後尾につき、懐から手紙を取り出す。丸太に辿り着く頃には、手紙は穴に入らなくなっており、手紙は直接棺の上におかれていた。それに習い、手紙を棺の上におく。
 葬儀社の人間が、すべての人が手紙を置き終えたことを確認。そして一礼すると、棺に地面から伸びてきた蔦が幾重にも巻きついていく。たちまち棺は手紙とともに蔦に覆われ、そこには蔦の山が出来上がった。
「それでは、これにて本日の葬儀を終了いたします。故人の体はこの蔦の中で精霊と同化し、先に聖域へと渡っている魂と一つになります。本日はみなさまお忙しいところ参列いただき、まことに有難うございました。夫もこれだけの人に見送っていただけて驚いていることと思います」
 シヴィーラの妻が参列者に頭を下げ、弔問客に感謝の念を伝える。
 参列者はその後、棺を覆った蔦を一撫で。それを最後に、皆は日常へと戻っていくのだ。故人を偲び、もういないことを日々の中で実感しながら。

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