狐の教え

 目の前の戦火に、足が竦みそうになる。いや、いっそのこと、足が竦んで動かなくなってしまえばいい、とさえ思ってしまう。
 が、現実はそうならない。まるで足だけがワユラでない誰かのものになってしまったかのような感覚に陥る。目的地へと向かって走りながら、ワユラはどうしてこんなことになってしまったのか、と自問する。
 当然、己の中に答えがない状態で自分に問いかけても答えが返ってくるわけはなく、結局、そうすることになった原因に思い当たらず、体に運ばれるようにしてワユラは戦場を走って横切る。
 知らず、目から涙が出る。どうしてこんなことになったのかはわからないが、どうして涙が出るのかはわかる。
 ワユラはただ、今この場所が戦火で荒らされているのが悲しいのだ。大好きな彼と過ごしたこの場所が。

 ワユラは、住んでいる場所を除けば、ごくごく普通のコロボックルだと思われている。もっとも、その住んでいる場所が住んでいる場所だけに普通のコロボックルだとはなかなか認めてもらえないのだが。
 一般的なコロボックルが蕗の葉の下に住んでいるのに対して、ワユラは森の中の木の根の間。そこに出来ていた穴に住んでいる。
 ワユラが木の根元の穴に住んでいるのは、他のコロボックルに村八分にされたから、というわけではない。むしろワユラがそこに住むと決めた時、その時一緒に暮らしていた他のコロボックル達は思い留まるように忠告してくれた。親友のコロボックルは、ワユラの決心が固いことがわかると、別れる最後まで泣いていた。
 それでも他のコロボックルと離れて暮らすことを決心した理由。それはワユラが動物と会話できることに起因している。ワユラが動物と話すことができることは他のコロボックルの誰も知らない。もしも他のコロボックルに知られてしまった場合、こうして一人平穏に暮らすことはできないだろう。なにしろコロボックルは動物信仰が根強い。その動物と意思を交わすことができるとなれば、周囲のコロボックルはワユラを神と交信できる巫女として扱うか、神の地位を貶める不届きものとして処罰されてしまうかもしれない。小さいから穏健だと思われているコロボックルだが、その実情は以外と過激なのだ。

 ワユラは住処にしている木の根元から這い出る。
 周囲を見渡すまでもなく、木の根に体を預けるようにして眠っている狐の存在に気がつく。小柄なコロボックルからすれば、木の根に身を預けている狐でも、その頭の位置ははるか高みにある。
 ワユラは狐の髭を引っ張る。
 髭を引っ張られた狐は口元を何度かうごめかした後目を開いた。
『あ、ワユラ。おはよ』
「おはよ。森の中の見回りに行こう?」
 ワユラは狐を起こした理由を早速口にする。
『はいはい。・・・・・・全く、僕は別にいいんだけどさ、ほんとワユラは動物使いが荒いよね。ふぁあぁ・・・・・・』
 あくびと共に狐が体を起こす。
「あ、ちょっとちょっと。私を乗せる前に体起こさないでよ。首に登れなくなっちゃう」
『もう・・・・・・。ワユラはわがままだなぁ』
 ワユラに言われたことで、起こした体を再び地面に伏せる狐。ワユラは地面に付けられた狐の足を伝い、狐の首まで登坂する。
「うん。よし。出発しんこー」
『はいはい。・・・・・・で?いつものコースでいいの?』
「そうね。いつものコースで行きましょ。・・・・・・あ、ちょっと待って、どっかで今まで入ったことのないところに行きましょ。そろそろ木の実を集める新しい場所を見つけないと」
『あ、そうだね。本格的に冬が始まる前にもうちょっと備蓄用の木の実はあったほうがいいか。はぁ・・・・・・。ワユラがぼくのとった獲物を食べられたらそんなことしなくていいのに』
「えぇ・・・・・・・・・?それは無理よ。だって獲物ってことは動物でしょ?」
『そりゃそうだ』
「確かに私はあんた達と話せるけど、あんた達が神聖な存在じゃないと思ってるわけじゃないわ。むしろ、あんた達と話せるからこそ、あん達の神聖さを実感してるもの。そのあんた達を食べるなんてとんでもないわ」
『そうなの?てっきり君は僕たちを便利な移動手段程度にしか思ってないかと』
「そんなことないわよ。あ、そこ右。なんか美味しそうな匂いがするわ」
 ワユラの指示で狐が方向転換すると同時、背後で轟音と共に熱風が襲ってきた。熱風に吹き飛ばされないように体を低くして、力の限り狐の毛にしがみつく。
「・・・・・・ッ!!何ッ?!」
 熱風をやり過ごしたワユラは振り返る。そしてそこにある光景に息を飲んだ。
 そこにあった緑は赤に塗り替えられ、一瞬前までと同じ場所だとはとても思えない。
『うぅ・・・・・・うぅぅぅ・・・・・・』
 下から聞こえてきたうめき声で、ワユラは現実に引き戻される。
「だ、大丈夫!?」
 うめき声をあげた狐を見下ろし、ワユラはそこにある光景に息を飲んだ。狐の右後ろ足。そこに先ほどの熱風で飛ばされてきたであろう木片が突き刺さっていた。狐の体から覗いている部分だけでもかなり大きい。狐の体の内側にどれだけ隠れているのかを想像するのが恐ろしいほどには。
『大丈夫じゃなさそう』
「そんな!!」
『間違いなくこれはどっかの種族がこの森に爆撃をしたんだろうさ。僕たちにしてみたらあまりにも唐突だし、なんの前触れもなかったけど、きっと森の外ではこうなるべくしてこうなったんだろうね』
「なに冷静に分析してるの!!とにかく、どうにかしないと」
『そんなことをしてる時間はないよ。ワユラ、君が選べる道はたったの一つだ。ぼくを残して逃げる。それだけだ』
「そんなことできない!」
『ワユラ!!』
 これまで声を荒げたことのなかった狐の怒声に、ワユラの体がビクリと震える。
『いいから逃げるんだ!きっと森の中はもうダメだ。水辺にある君の同胞のところに走れ。あそこなら水の中に隠れて身を守ることができる』
 それでも駄々をこねるようにして身を震わせるワユラを、狐の口が咥えた。突然のことに驚くワユラをよそに、狐はワユラを放り投げた。
 空中で離れゆく狐に手を伸ばすワユラ。手を伸ばすワユラの先で、狐と切り離すかのように空から燃える枝が降ってきた。


 それからのことはよく覚えていない。
 狐の教えに従い、燃える森の中をただ走る。
 燃える森は普段とは形を変え、今では森のどこを走っているのか全くわからない。それでも、自分の感が正しいことを信じて、ワユラはひたすら走った。
 走った先、目的地であるコロボックルの里が、爆撃のもっとも苛烈な場所であることも知らずに。

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