スラム街での訓練

 戦場で、毒を散布された場所でもない限り、そこに流れる空気に違いはない。
 ただ、その場の雰囲気で印象が変わるだけだ。それは匂いであったり、色であったり様々であるが。
 そのことがわかっていてもこの息苦しさだけはどうにもならない。周囲を建物に囲まれ、狭い空を見上げる。周囲から漂ってくるのは、ゴミの匂いと腐った水の匂い。壁には、そここそが我が居城と言わんばかりに、もたれかかり眠る人。
 スラム街といわれ、寄り付く人のほとんどいない場所だ。
 そのスラム街を、スラム街には異質な人影が歩く。スーツに身を包み、身につけたコロンがその体から漂う。
 時折スラム街の住人が睨みつけてくるが、その視線をルフフは意に介するようすもない。
「さて、今日もここは空気が悪いな。いつきても慣れることがない・・・・・・」
 呟き進む足に迷いはなく、このスラム街に明確な目的地があることがわかる。
 スラム街の奥。ルフフの服装の人々が暮らす場所から遠く離れた場所で、ルフフの足がついに止まる。
「さて、今日も楽しい楽しい訓練の始まりだ。今日の体調はどうだ?」
 足を止め、ルフフが体を向けた先には、人の体に鳥の翼を持つ女が座っていた。
「体調は悪くないわ。・・・・・・それにしても、あなたも酔狂ね。まさか本当に毎日ここに通ってくるなんて」
「私は約束は果たすことで知られている。それがたとえスラム街に住む住人であろうとも、約束を違えれば、私自身への誓いを破ることになる。よって、私は君との約束を果たすさ」
「・・・・・・はぁ。軽い気持ちで約束したのに、まさかここまで付きまとわれることになるとは思ってなかったわ」
「軽い気持ちで約束をするのは感心せんな。約束は守るためにするものだ」
「そう・・・・・・そうね。その言葉、飛べない鳥と約束を守っているあなたの言葉なら、まぁ信じざるをえないわ」
「自分をそう卑下することもなかろう。例え飛べなくとも、君は私を助けてくれた。その事実は変わらない」
「うーん・・・・・・。助けたって言ってもなぁ・・・・・・。そりゃあ、命を助けたとかならまぁ、ここまで律儀に約束を守ってもらえるのもわかるんだけど、道に「迷っていない」
 スキュナの言葉にかぶせるようにしてルフフが口を開く。スキュナが少し呆れたような顔をしてルフフを見つめる。
「迷ってなどいない。あの時はたまたま帰るのに時間がかかっていただけだ。帰りが遅くならなかったことはありがたいと思っているし、その礼としてこうして君が飛べるようになる訓練をしに毎日ここに通っているが、決して迷っていたわけではない」
「・・・・・・頑なに認めようとしないよね、迷ってたこと」
「迷っていないのだから当然だ。君もいつまでたっても私が迷っていたなどというのはやめてもらおう」
「はいはい・・・・・・」
 スキュナが力のない声で相槌を打つ。わかってくれればいいのだ、とルフフは頷く。
「さて、今日の訓練メニューだが」
「っていうか、今更だし、無理だと思ってたからあんなお礼を頼んだんだけどさ」
 今日の訓練内容を伝えようとしたところで、スキュナが言葉を挟んでくる。
「なんだ」
 一度言葉は飲み込み、スキュナの言葉を聞く体制へ。
「あんた、飛べる種族じゃないだろ?どうして飛行訓練のメニューなんてしってるのさ」
「飛ぶのに大切なのは、種族ではない。空への憧れだ。しかし憧れだけでは空は飛べん。どれほど飛ぼうと勉強しても、最終的に立ちはだかるのは翼の有無だ。・・・・・・せっかく生まれ持った翼があるのだ。飛べなければあまりにも無惨・・・・・・。飛ぶために翼が必要不可欠であると知っても、その翼をどのように使えば飛行できるのか、と調べるのは自由だろう」
「・・・・・・途中、あんたが私をどう思ってるのかだだ漏れだったし、結局どうして翼のないあんたが飛行訓練のメニューを知ってるのかがわからないんだけど」
 スキュナの指摘に、ルフフは口をつぐむ。これ以上は恥ずかしいので口にしたくはないのだが、確かに先ほどの言葉は説明になっていなかったと反省する。
「つまり、飛ぶためにどのように翼を動かせば飛行できるか。それを私は研究し続け、時には友人の有翼人種にも聞き込んだ。時にはあまりにしつこすぎて一ヶ月ほど昼飯を奢らされたほどだ。その甲斐あって、私は飛べない種族の中ではどのようにすれば飛ぶことができるのかをもっとも知っている男だ」
「うん。よくわかったわ。私にその有翼人種のお友達を紹介してよ。そっちの方が効率的だし」
「な、なぜだ!」
 スキュナの言葉に、ルフフは背後から首筋に氷を当てられたような衝撃を得る。これまで親切に教えてきたのは事実だし、十分にその訓練の成果はあったと思っていたのだが。
「え、いや、言いにくいんだけどさ、あんた翼がないからか、時々説明がよくわからないんだよね・・・・・・。翼のどこどこの筋肉を動かして〜とかさ。説明されながら、そんなところに筋肉ないし、と思ったりもするわけで・・・・・・。それなら同じ有翼人種の方が教えるのもうまいかな、と思って」
「た、確かに・・・・・・。そうか、そうだな・・・・・・。わかった。明日はロンリュセデを連れてこよう・・・・・・」
「え、友達って女?」
「そうだが?・・・・・・もしや性別が関係あるのか?むしろ同棲であるゆへ、感覚の相違は少ないと思うのだが」
「え、あ、あぁ、そうね。その通りだわ」
 なぜか性別を聞いた途端にぎこちなくなるスキュナを見て首をかしげる。が、考えてもわからないし、どうやら納得もしてくれたようなので良しとする。
「では、今日は翼の動かし方について復習しようと思うのだが」
 とにかく今日は今日のために考えてきた訓練内容を実践させようと、ルフフは口を開く。スラム街の風が、二人の間を撫でていった。
 

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