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音楽史年表記事編76.モーツァルト、歌劇「フィガロの結婚」(2)聖母マリア信仰

③聖母マリアへの深い信仰
 1778年、モーツァルトは母とともにパリを訪れます。フランスはノートルダム(聖母)大聖堂が信仰の中心であるように聖母マリアへの信仰の深い国であり、しかも同行していた母マリア・アンナが死去しました。ザルツブルクに戻ったモーツァルトは戴冠式ミサ曲K.317やミサ・ソレムニスK.337のそれぞれの終曲アニュス・ディで聖母マリアに捧げる名曲を作曲し、のちにこれを歌劇「フィガロの結婚」の伯爵夫人ロジーナのアリアとして使います。
 モーツァルトの聖母マリア信仰は亡き母への思いと重なり、その後ミサ曲ハ短調K.427やモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618、レクイエム ニ短調K.626などの名曲に引継がれます。

④フィナーレの拡大
 モーツァルトは「フィガロの結婚」の第2幕と第4幕のフィナーレを大きく拡大しました。これはハイドンが1781年に初演した歌劇「報われたまこと」の管弦楽を駆使したフィナーレの影響といわれています。フィナーレではチェンバロ伴奏の語りであるレチタティーヴォ・セッコは用いられず、すべて管弦楽伴奏でアリア、レチタティーヴォ、重唱、合唱が演奏されます。モーツァルトの最後の歌劇「魔笛」では、フィナーレはさらに楽曲の約半分にまで拡大します。ロマン派に至り、オペラからはチェンバロ伴奏のレチタティーヴォ・セッコは姿を消し、序曲あるいは簡単な序奏で始まり、オペラは管弦楽伴奏のみで進みます。すなわち、曲の最初からフィナーレが始まるのです。このロマン派のオペラ様式はハイドンおよびモーツァルトにその起源があるということができます。

【音楽史年表より】
1778年7/3、モーツァルト(22)
モーツァルトの母、マリア・アンナがパリのサンティエ通りの宿舎で死去する(57歳)。悲しみにくれるモーツァルトは母の死後、サンティエ通りの宿を引き払い、デピネー夫人の邸へ移る。(1)
1779年作曲、モーツァルト(23)、ヴェスペレ「主日のための晩課」ハ長調K.321
K.193、K.339の晩課と同様に、ザルツブルク大司教の洗礼名聖ヒエロニムスの祝日である9/30の盛儀典礼のために作曲されたと考えられる。晩課のなかの2番目の詩編110番「あなたをたたえよう」はホ短調によってソプラノ・ソロで歌い出されるが、明らかに「フィガロの結婚」の最終幕の冒頭に歌われるバルバリーナのアリアを予見している。オペラの状況と詩編の文章の意味を比較すれば、なぜこのようにいうのか理解できよう。(2)
3/27作曲、モーツァルト(23)、ミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ」K.317
カルル・ド・ニによれば、この名のおこりは明らかにザルツブルク地方における、ある伝統に寄っていると考えられる。ザルツブルク北郊にあるバロック様式のマリア・プライン教会では、この土地からほど遠からぬバイエルン地方から、この教会に持ってこられた聖母マリアの画像が1744年に戴冠された。1751年にはローマ教皇がその冠を祝福した。この伝統によって、モーツァルトはこの教会のために、1779年の聖霊降臨後第5の主日のためにミサ曲を作曲したのである。なお、モーツァルトは終曲アニュス・ディにおけるソプラノのソロをほとんどそのまま「フィガロの結婚」の第3幕の伯爵夫人のアリア「美しき日はいずこ」に用いている。モーツァルトは伯爵夫人に、神の子羊(アニュス・ディ)である聖体を初めて拝領した汚れなき幼い日々を思い起こさせているのである。(2)
1780年3月作曲、モーツァルト(24)、ミサ・ソレムニス ハ長調K.337
モーツァルトがザルツブルクのために書いた最後のミサ曲。枝の主日(復活祭直前の日曜日)のためと推測される。(1)
この歌詞の解釈の基礎となっているのは、きわめて神学的なものである。この素晴らしい、まさに悲劇的といえるフーガの書法も、表情豊かな不協和音も、また悲痛な響きの短音階も、すべて救世主キリストの死を感動的に表現しているのである。このミサ曲のアニュス・ディもソプラノのソロで始まるが、明らかに「フィガロの結婚」の伯爵夫人のアリア、第2幕の最初のカヴァティーナ「愛の神よ、御手を」を先取りしたものであることは疑いを容れない。オペラの中にもちいたことの意味はけっして瀆聖などではなく、むしろ「無益だった日々」を霊的に清めるという意味を持たせているのである。このことは劇中の伯爵夫人のおかれた状況を想い出し、また彼女によって歌われる歌詞を再読してみれば容易に理解できよう。この曲はモーツァルトの手になる最後のアニュス・ディであるが、これほど美しい終曲をもつミサ曲は他には存在しない。(2)
1785年10月末、モーツァルト(29)
歌劇「フィガロの結婚」K.492の作曲を開始する。(1)
1786年4/29完成、モーツァルト(30)、歌劇「フィガロの結婚」K.492
「フィガロの結婚」を完成する。4幕のオペラ・ブッファ。原作はフランスのボーマルシェのフィガロ三部作「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」「罪深き母」の第2作をロレンツォ・ダ・ポンテが台本化したものによる。(1)
5/1初演、モーツァルト(30)、歌劇「フィガロの結婚」K.492
ウィーンのブルク劇場で初演される。(3)
イタリアのオペラ作曲家たちは、その前から、わくわくするような面白いフィナーレを作ることで有名だった。一般的にアクションはここで最高潮に達するが、そのフィナーレはゆっくりしたテンポに始まり、終りはめまぐるしいほど速いテンポになり、すべての歌手が早口にしゃべり、弦楽器も管楽器もできる限りの猛スピードで演奏することになっている。これに対しハイドンは、すでにモーツァルト以前にフィナーレなるものを、もっと高度なものに発展させており、イタリア式オペラ・ブッファにシンフォニックな形式とオーケストレーションを持ち込んでいた。ハイドンのオペラ「報いられたまこと」Hob.ⅩⅩⅧ-10、1780の第1幕と第2幕についている大きなフィナーレのことが頭にあったモーツァルトとダ・ポンテは同様に大型の、いや、できればもっと輻輳したフィナーレを作ろうと思いついたと考えられる。その結果、「フィガロの結婚」の第2幕のフィナーレは、それまでに作曲されたすべての音楽を超えるものになった。同様に第4幕のフィナーレでは音楽の1つの区切りが、ドラマのできごとごとに、歩調を揃えている。(4)
モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」K.492はハイドンに強い印象を与え、エステルハーザに帰ってからも、このオペラが夢にまで出てくるほどであった。そしてこのあと、ハイドンは雄々しくしかも確然としてオペラの分野をモーツァルトに明け渡したのであった。(5)

【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.カルル・ド・ニ著、相良憲昭訳・モーツァルトの宗教音楽(白水社)
3.新ブローヴ・オペラ事典(白水社)
4.R・ランドン著、石井宏訳・モーツァルト(中央公論新社)
5.ラング編、国安洋・吉田泰輔共訳・モーツァルトの創作の世界、E・F・シュミット著、モーツァルトとハイドン(音楽之友社)

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