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音楽史・記事編103.ザルツブルク大聖堂

 モーツァルトはザルツブルク宮廷の音楽家として多くのミサ曲を作曲しています。宗教都市ザルツブルクはザルツブルク大聖堂を中心として多くの教会でなりたっています。しかし、大聖堂の演奏においてはコロレド大司教の命によりミサ曲の作曲には多くの制約があり、ひとつは演奏時間の制限であり、ミサ全体が45分間という制約のためミサ曲は30分以内に収めること、またホルンとビオラを使用しないという制約があり、モーツァルトはイタリア・ボローニャの音楽の師であるマルティーニ師に不満を述べています。モーツァルトは作曲において、旋律(高音部)と伴奏(低音部)というモノフォニーに対して、中音域を重視しあらゆる声部を対等に扱うポリフォニー的な様式を目指しているように思われます。この傾向はウィーンに移りセバスティアン・バッハの音楽を知ってから一層顕著になりますが、中音域のホルンとビオラに使用の制約を受けていたザルツブルク大聖堂時代の影響があったためかもしれません。
 モーツァルトが1774年6月に作曲した小クレード・ミサ曲ヘ長調K.192では、ロンドンで作曲した交響曲第1番K.16にも用いたドレファミのジュピターの動機が、クレド全曲に渡ってキリストの12弟子を象徴しているかのように12回繰り返されます(2)。そして、交響曲第41番「ジュピター」K.551の輝かしい第4楽章の主題に使われます。ドレファミのジュピターの主題はグレゴリオ聖歌に現れる主題とされ、ハイドンが交響曲第13番ニ長調の第4楽章で用いており、モーツァルトが交響曲第1番を作曲する前にパリで出版されていた可能性があり、モーツァルトはハイドンの交響曲の主題を用いた可能性が指摘されています。
 1779年3月には復活祭の折に戴冠式ミサ曲ハ長調K.317を初演しています。「戴冠式」はザルツブルクの北に位置するマリア・プライン教会のマリア像の戴冠に由来するようです。このミサ曲の美しい終曲アニュス・ディは後の歌劇「フィガロの結婚」第3幕で伯爵夫人ロジーナが「美しき日はいずこ」として歌うことになります。
 モーツァルトは1780年にザルツブルク最期のミサ曲であるミサ・ソレムニスハ長調K.337を作曲します。この曲のアニュス・ディも「フィガロの結婚」の第2幕冒頭の伯爵夫人ロジーナのアリア「愛の神よ、御手を」に使われています。これほど美しい終曲を持つミサ曲は他には存在しないとまで言われています。
 モーツアルトのミサ曲はレクイエムなどを除いてあまり知られていませんが、生涯を通して作曲したミサ曲とオペラはモーツァルトの創作活動の根幹をなしているように思えます。

【音楽史年表より】
1774年6/24作曲、モーツァルト(18歳)、ミサ・ブレヴィス へ長調「小クレード・ミサ」K.192
ザルツブルク大聖堂のために作曲する。アーベルトはこのミサ曲をモーツァルトの初期教会音楽の最高峰に位置づけ、他の研究者もそれに準じている。対位法の集約的な使用と緊密な動機操作による統一感がそうした高い評価を生み出したのであろう。とりわけクレード主題(ジュピター交響曲最終楽章のドレファミの主題)の徹底的ともいえる活用ぶりは、青年モーツァルトの集中力を物語るようで興味深い。(1)
1774年8/8作曲、モーツァルト(18歳)、ミサ・ブレヴィス ニ長調K.194
ザルツブルク大聖堂のために作曲。このミサ曲はその簡潔さとポリフォニーに特徴があるように見える。なにしろオーケストラによる前奏すらなく、合唱が突然曲を始めるのである。1774年の夏に作曲されたK.192とK.194の2つのミサ・プレヴィスはそれぞれが相互補完的な特徴を持っている。(2)
1776年11/17、モーツァルト(20歳)
ザルツブルク大聖堂でモーツァルト家と親しいイグナーツ・ヨーゼフ・フォン・シュパウア伯爵の名誉司祭叙任式のためにミサ・ロンガ ハ長調K.262またはミサ曲ハ長調「クレード・ミサ」K.257あるいはその両曲が演奏される。この日演奏されたミサ曲はシュパウア・メッセと呼ばれる。(1)
1779年3/27初演、モーツァルト(23歳、「戴冠式ミサ」ハ長調K.317
復活祭の折にザルツブルク大聖堂で初演される。カルル・ド・ニによれば、この名のおこりは明らかにザルツブルク地方における、ある伝統に寄っていると考えられる。ザルツブルク北郊にあるバロック様式のマリア・ブライン教会では、この土地からほど遠からぬバイエルン地方から、この教会に持ってこられた聖母アリアの画像が1744年に戴冠された。1751年にはローマ教皇がその冠を祝福した。この伝統によって、モーツァルトはこの教会のために、1779年の聖霊降臨後第5の主日のためにミサ曲を作曲したのである。なお、モーツァルトは終曲アニュス・ディにおけるソプラノのソロをほとんどそのまま「フィガロの結婚」の第3幕の伯爵夫人のアリア「美しき日はいずこ」に用いている。(2)
1780年3月、モーツァルト(24歳)、ミサ曲ミサ・ソレムニス ハ長調K.337
モーツァルトはザルツブルクのために最後のミサ曲を作曲する。このミサ曲のアニュス・ディはソプラノのソロで始まるが、明らかに「フィガロの結婚」の伯爵夫人のアリア、第2幕の最初のカヴァティーナ「愛の神よ、御手を」を先取りしたものであることは疑いを容れない。この曲はモーツァルトの手になる最後のアニュス・ディであるが、これほど美しい終曲をもつミサ曲は他には存在しない。(2)

【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.カルル・ド・ニ著、相良憲昭訳、モーツァルトの宗教音楽(白水社)

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