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音楽史年表記事編67.ドイツ・オペラ創作史

 本編のドイツ・オペラ創作史は、主にドイツ、オーストリアなどのドイツ語圏で初演されたドイツ語台本によるオペラ、オペレッタにより構成します。
 古典派期までドイツ語によるオペラはジングシュピールと呼ばれていました。ジングシュピールの特徴としては、ドイツ語でアリアが歌われるほか、イタリアオペラでは語りはレチタティーヴォと呼ばれる抑揚をつけて歌われますが、ジングシュピールではレチタティーヴォは用いられず語りで進められます。ジングシュピールの起源はバロック期にイギリスで上演されていたバラッド・オペラあるいはフランスのオペラ・コミックのドイツ語訳の上演であるとされます。バラッド・オペラはヘンデルなどのイタリアオペラの公演が行われない日に、劇場を貸し切り庶民向けの娯楽として公演が行われたようです。ジョン・ゲイの乞食オペラはイタリアオペラに通う上流階級を風刺し、あるいは腐敗した社会や政治を風刺し、音楽も既存のオペラなどからとられた俗謡が歌われ人気を博します。
 ウィーンではイタリアオペラが上演されてきましたが、ヨーゼフ2世の統治が始まると、ヨーゼフ2世はプロシアの啓蒙思想を取り入れ、オペラでもドイツ語ジングシュピールの上演が奨励され、モーツァルトは歌劇「後宮からの誘拐」を作曲します。そして、晩年にはジングシュピールの最高傑作である歌劇「魔笛」を作曲します。「魔笛」はウィーンで空前の大ヒットとなり、シカネーダーは1800年までの10年間で200回の公演を行います。ベートーヴェンの「フィデリオ」に続き、ウェーバーは「魔弾の射手」を作曲します。ウェーバーの「魔弾の射手」によってドイツ・ロマンオペラの扉が開かれました。
 一方の革命後のフランスでは、イタリアから渡ったロッシーニによってフランス・グランドオペラが開始され、ドイツ出身のマイヤーベーアの「ユグノー教徒」が大当たりを取っていました。1836年初演のマイヤーベーアの「ユグノー教徒」は1900年までに約1000回の公演が行われ、ウィーンでも500回の公演が行われたといわれ圧倒的な人気を博します。
 ライプツィヒに生まれたワーグナーはフランスのマイヤーベーアのグランド・オペラとベートーヴェンの管弦楽の影響を強く受け、歌劇「リエンツィ」の作曲を行うものの、単なる娯楽へと堕落してしまったフランスオペラ界への反感は募り、民衆の祭典とするオペラを目指し、演劇に活路を見出そうとします。そして、歌劇「さまよえるオランダ人」、歌劇「タンホイザー」、歌劇「ローエングリン」を経て、楽劇の創作へと進みます。4夜を通して演奏される楽劇「ニーベルングの指輪」はおよそ25年の歳月を費やし完成され、この4部作の楽劇を上演するためにバイロイトに新たに建設された祝祭劇場で初演されます。
 ワーグナーの楽劇の後継者となったリヒャルト・シュトラウスはワーグナー後の新たな潮流のひとつとしてモーツァルトに回帰し、モーツァルトの「フィガロの結婚」を投影した歌劇「ばらの騎士」、また「魔笛」を投影した歌劇「影のない女」を作曲します。また、フンパーディンクはワーグナー後の新たな潮流としてメルヘン・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」を初演します。一方で、ウィーンではスッペやヨハン・シュトラウスのオペレッタが上演されます。伝統的に舞踏文化が根付いていたウィーンでは、気軽に楽しめる喜歌劇が人気となっていました。
 ドイツは古代においては、ライン川以西およびドナウ河以南はローマ帝国が支配し、東北部はゲルマン民族によって支配され、ローマ・カトリック教会の支配ののちは、宗教改革により旧ゲルマン民族支配地域はプロテスタントの支配地域となりました。ウィーンやミュンヘン、ライン川沿いの諸都市のカトリック教会支配地域ではイタリアオペラが上演され、一方のプロテスタント支配地域ではオペラの上演はハンブルクやドレスデン、ベルリンに限られていました。宗教改革によって聖書もドイツ語に翻訳されましたが、現在でもプロテスタント地域を中心にドイツでは伝統的に外国語のオペラの台本はドイツ語に翻訳され上演されているようです。(1)

【音楽史年表より】
1782年7/16初演、モーツァルト(26)、歌劇「後宮からの誘拐」K.384
ウィーンのブルク劇場で初演される。「後宮からの誘拐」はモーツァルトが作り上げた完璧なジングシュピール(ドイツ語歌芝居)の作品といってよい。加えて晩年の「魔笛」K.620からベートーヴェンの「フィデリオ」、ウェーバーの「魔弾の射手」へ続く純正なドイツ歌劇の発展を考えるならば、この作品はさらにその先駆的位置を占めるものといえよう。(2)
1821年6/18初演、ウェーバー(34)、歌劇「魔弾の射手」Op.77
ベルリン王立劇場のこけら落しとして初演される。6/18はイギリス、オランダ、プロイセン連合軍がナポレオンに勝利したワーテルローの戦いの戦勝記念日であった。「魔弾の射手」は瞬く間に大成功を収め、ドイツ最初の国民オペラとして熱狂的に迎えられ、長い間人気を博し、1830年までに9つの言語で上演されるほどであった。ウェーバーはこの歌劇作曲にあたって、文学や造形芸術などのすべての要素を渾然と融合させ、音楽のうちに統合させようというホフマンがすでに考えていた総合的歌劇を意図した。さらに独創的な管弦楽法を生み出し、狼谷の場などの描写力はワーグナーを想わせ、この作品はワーグナーに至るドイツ国民歌劇の道を準備したといえる。(3)(4)
1850年8/28初演、ワーグナー(37)、歌劇「ローエングリン」WWV75
ゲーテの誕生日に開催されたゲーテ祭の一環として、ワイマールの宮廷劇場でリストの指揮で初演される。ワーグナーは1850年にはスイスで亡命の身となり、初演に立ち合うことはできなかった。(5)
ワーグナーを窮乏生活から救い出すことになるバイエルン王ルートヴィヒ2世を、ワーグナー崇拝者にしたのが「ローエングリン」だった。まだ16歳になる前、ミュンヘンの歌劇場でヴィッテルスバッハ家の王子ルートヴィヒは「ローエングリン」を聴く。衝撃的体験だった。王子はこのときすでにワーグナーの著作を読んでいた。「ローエングリン」についても知っていた。ミュンヘンの南アルプスに近いホーエンシュヴァンガウの城に王子は愛着を持っていた。高い白鳥の丘、その名の通り、城の標章は白鳥で、ローエングリン伝説とも結びついている。白鳥の騎士は王子の夢想のテーマでもあった。白鳥の騎士が登場した時、王子は打ち震えていたという。(6)

【参考文献】
1.岡田暁生著・オペラの運命(中央公論新社)
2.作曲家別名曲解説ライブラリー・モーツァルト(音楽之友社)
3.新グローヴ・オペラ事典(白水社)
4.最新名曲解説全集(音楽之友社)
5.ワーグナー事典(東京書籍)
6.堀内修著・ワーグナーのすべて(平凡社)

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