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音楽史・記事編107.アリア・リート創作史

 長く続けてきました創作史シリーズは25編を数え、本編の「アリア、リート、重唱曲、合唱曲創作史」が最後の創作史となりました。この分野の楽曲は非常に多く掲載には限度がありますので、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブルックナー、ブラームスについては集計曲数を掲載しています。なお、本編未掲載曲につきましては直接音楽史年表データベースを検索し、作曲家ごとの分類コード「6:管弦楽伴奏アリア等」および「7:ピアノ伴奏リート等」で検索ください。

 古くからヨーロッパでは娯楽の中心は歌と踊りであったように思われます。中世、ルネサンス期にフランス東部でノートルダム楽派、ブルゴーニュ楽派が起こり、この時期に教会で歌われるミサ曲とともにフランス語で歌われるシャンソンが作曲されるようになります。おそらくシャンソンの起源は庶民によって歌い継がれてきた民謡であったのでしょう。16世紀にフランドルの神聖ロー帝国皇帝カール5世は世界帝国を築き、このフランドルから多くの作曲家が排出され多様なシャンソンが生まれる中、フランドルからイタリアに渡ったラッソ(ラテン語ではラッスス)によってイタリア語のマドリガーレが作曲されています。なお、ラッソはローマ教皇から、後にモーツァルトも授与された黄金十字拍車勲章を授与されており、ミュンヘン宮廷楽長となり後のウィーン楽派の始祖となったようです。この時期ウィーンはたびたびオスマン・トルコに包囲攻撃されており、ウィーン宮廷はミュンヘンに後退させられていたのかもしれません。
 ルネサンス期からバロック期に活躍したモンテヴェルディは多くのマドリガーレ集を出版し、近代オペラを創始しますが、オペラはマドリガーレから受け継がれたアリア、チェンバロ伴奏や管弦楽伴奏の語りであるレチタティーヴォ、管弦楽伴奏の重唱や合唱、そして管弦楽曲によって構成されます。バロック期から古典派期にはヘンデルやハイドン、モーツァルトなどのオペラ作曲家によってイタリア語の「レチタティーヴォとアリア」が多く作曲されます。モーツァルトはオペラを作曲する前には必ずと言っていいほど歌手向けのアリアを作曲し、オペラでは歌手の特徴を活かすような作曲を行っています。グルックのオペラ改革によって歌手主導の作曲を脱却しようとしていましたが、モーツァルトは事前に歌手のためのアリアを作曲して歌手の歌唱力を活かしたオペラ作りを行ったように思われます。モーツァルトは余暇に家族や友人たちと家庭音楽会を楽しんでいたようで、このような環境からと思われますが、音楽史上初めてのピアノ伴奏のドイツ語リートという分野を始めています。一方のベート―ヴェンは、音楽史上初めてのリーダークライスと呼ばれる連作歌曲「遥かな恋人に寄せて」を作曲しています。
 シューベルトはベートーヴェンと同じウィーンに住み、ベートーヴェンが初めての連作歌曲を作曲した時にはすでにリートの傑作「魔王」を作曲しています。ベートーヴェンとシューベルトはともにイタリア歌曲を宮廷楽長のサリエリに師事しており、兄弟弟子であったわけですが、シューベルトはベート―ヴェンを孤高の巨匠と仰ぎ見ており交流はほとんどなかったものの、おそらくベートーヴェンの新作には関心を持っていたとみられ、ベートーヴェンが初めて連作歌曲を作曲してから6年後には名作の「美しき水車屋の娘」を完成させています。
 ロマン派期にはシューマン、ワーグナー、ブラームス、ドボルザークなどが多様な歌曲を作曲し、ロシアでもグリンカ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフらによって歌曲が作られ、また、フランスではフランスの伝統音楽に回帰しようとしたドビュッシー、ラヴェルが歌曲を残しています。
 後期ロマン派ではオルガン奏者として純正律に回帰しようとしたブルックナーは無伴奏の古式様式の合唱曲やオルガン伴奏の合唱曲を作曲し、またマーラーはドイツ民謡詩集「少年の不思議な角笛」に付曲しています。この民謡詩集を編纂したアルニムとブレンターノはベートーヴェンと関りがあり、アルニムとはアヒム・フォン・アルニムでベートーヴェンに不滅の恋人を引き合わせるきっかけを作ったベッティーナ・ブレンターノの夫であり、ブレンターノとはベッティーナの兄のクレメンス・ブレンターノであり、2人は義兄弟としてドイツ文学史に名を残しています。
 アリア・リート創作史を振り返ってみますと、ベートーヴェンが時々の心情を歌曲によって吐露したように、アリアやリートなどの創作史は作曲家の心の音楽史であったように思われます。

【音楽史年表より】
1498年
オッターヴィオ・ペトルッチがベネツィアで史上初の音楽印刷出版業を開業する。(1)
1555年出版、パレストリーナ(30)、4声のマドリガーレ「こころよい思い」
ローマで出版されたパレストリーナ4声マドリガーレ集第1巻に掲載される。パレストリーナは3声~7声で書かれたマドリガーレ、カンツォーナ、カンツォネッタの名でよばれる世俗曲を残している。(2)
1581年出版、ラッソ(ラッスス)(49)、イタリア語による8声のマドリガーレ「山びこの歌」
パリで出版される。2重合唱の手法によるもので、4声部ずつの2つのコーラスが同じ旋律を少しずつずらせて、山びこが応えるように歌う。(2)
1638年出版、モンテヴェルディ(71)、マドリガーレ集第8巻・第1部「戦いの歌」からマドリガーレ「タンクレディとクロリンダの戦い」
タッソの20の歌からなる叙事詩「解放されたエルサレム」の第12歌からとられた12篇の8行詩に作曲される。十字軍の勇士タンクレディは敵である回教徒の女戦士クロリンダに思いを寄せている・・・ソプラノ、テノール、叙唱を歌うテノール、2つのバイオリン、ビオラ・ダ・ブラッチョ、通奏低音によって演奏される。(2)
1783年?作曲、モーツァルト(27)、弦楽伴奏付き三重唱「いとしのマンデル、リボンはどこなの」ト長調(リボンの三重唱)K.441
自筆楽譜には各パートの冒頭に、ソプラノ/コンスタンツェ、テノール/モーツァルト、バス/ジャカンの名前が役名のように記載されている。台詞はモーツァルト自身による。1799年出版のブライトコプフ&ヘルテルの楽譜には「モーツァルトは大急ぎで着替えをしたときリボンをなくした。そこで品の悪いウィーンなまりの歌で妻に尋ねる。リボンはどこ?妻も同じように答え、ここに訪ねてきたジャカンが加わっておおふざけとなった。モーツァルトはこれを音楽に留めたのである。もしも愉快な効果を出そうとするならモーツァルトがあてこすって辛辣に強調したこの野卑なウィーンなまりで歌わなくてはならない」と記載されている。(3)
1815年12月作曲、シューベルト(18)、リート「魔王」(第4稿)ト短調D328、Op.1
シューベルトの友人シュパウンは歌の成立について次のように記している・・「1815年12月のある午後、マイルフォーファーと一緒に、そのころヒンメルプフォルトグルントに父親と一緒に暮らしていたシューベルトを訪れたが、彼はゲーテの詩「魔王」を大声をあげて読んでいた。彼は本を片手に何回か部屋の中を歩き回っていたが、そのうち急に腰をおろして恐ろしい速度でこの曲を紙のうえに書き記した」「シューベルトの家にピアノがなかったので、我々は楽譜をもって寮学校へ走って行き、そこでその晩のうちに「魔王」が歌われ、感激を持って受け入れられた。」、公開初演は1821年1/25ウィーン楽友協会にて行われる。(4)
1816年4月作曲、ベートーヴェン(45)、連作歌曲「遥かな恋人に寄せて」全6曲Op.98
歌曲史上はじめての「連作歌曲集」として独自の位置を占めるばかりではなく、ベートーヴェンの全作品のうち最も感動的な音楽の1つとなる。(5)
その頃まだ医学生だったボヘミア出身のアロイス・ヤイテレスから連作詩「遥かなる恋人に」の手書きのコピーがベートーヴェンのもとに贈られてきた。その詩は美しい自然を背景に、遠く離れた恋人を想う切々とした心情を歌ったものだが、当時のベートーヴェンにとってこれほど心を動かされるものはなかった。6連からなるその詩をベートーヴェンは全体を一つの雰囲気の中でつなげ、循環してゆくという新しい様式によって、一挙に作曲した。こうして後にシューベルトやシューマンなどに大きな影響を与えることになる音楽史上はじめての連作歌曲(リーダークライス)「遥かな恋人に」Op.98が誕生した。(6)
1827年2月作曲、シューベルト(30)、歌曲集「冬の旅」D911、Op.89、「冬の旅」全24曲の前半12曲
作曲する。ミュラーの作詞による。シューベルトが4年前に作曲した歌曲集「美しき水車屋の娘」の詩の作者でもあるミュラーはこの年の9/30わずか33歳で夭折し、シューベルトはその翌年世を去ることになる。シューベルトは冬の旅ではミュラーの詩を一つも省略せず24篇全部に作曲した。作曲は2月に分けて行われ、前半は2月に、後半は10月に書かれた。第5曲「菩提樹」についてキャペルは「ほとんど歌うこともできないほど美しい」と述べているが、正に名曲中の名曲と言えよう。(4)
1901年作曲、マーラー(40)、管弦楽伴奏歌曲集「少年の魔法の角笛」全12曲
1892年から1901年に作曲される。マーラーは1880年代末から90年代にかけて、歌曲の歌詞に「少年の魔法の角笛」を好んで用いるようになる。「少年の魔法の角笛」とはアルニムとブレンターノという2人の詩人の手によって集大成されたドイツの民謡詩集である。この曲集は第2から第4のいわゆる「角笛交響曲」とある意味一体となっているが、当初この歌曲集のために作曲されたものが交響曲にそのまま移され、逆に交響曲のために作曲されたものが歌曲に移されるという関係もみられる。(7)

【参考文献】
1.ブノワ他著、岡田朋子訳・西洋音楽史年表(白水社)
2.最新名曲解説全集(音楽之友社)
3.モーツァルト事典(東京書籍)
4.作曲家別名曲解説ライブラリー・シューベルト(音楽之友社)
5.ベートーヴェン事典(東京書籍)
6.青木やよひ著・ベートーヴェンの生涯(平凡社)
7.作曲家別名曲解説ライブラリー・マーラー(音楽之友社)

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