メガネ【ショート・ショート】
「ついに完成した。これがあれば医学の発展に貢献できるかもしれない。あとは実際に使ってみるだけだ。」
〇先生は長年の研究の結果、ついに体の悪いところが診えるメガネを開発した。
彼は寝食を忘れるほど開発に没頭していたのだが、完成した喜びが疲労の波を打ち消していた。
寝ている妻をたたき起こし、さっそくメガネをかけてみる。
「おや、肩の当たりと腰のあたりがほんのり“赤い塊”見えるな。うまくいっているじゃないか。」
彼女は慢性的な軽い肩こりと腰痛を抱えていた。
このメガネは患部が“赤い塊”に見える仕様となっており、その部分の大きさや濃さで病状は区別できようだ。
「よかったわね。そう言えば、隣の奥さんが最近体の調子良くないって言っていたわ。明日にでも診てさしあげて。これでこれからはゆっくり眠れるわね。」
彼女はけだるそうに言うと、すぐに布団に転がり込んでしまった。
「まだ休むわけにはいかない。そうだな、明日になったら尋ねてみよう。」
〇先生は早速、隣家のベルを鳴らした。
「あら〇先生、こんにちは。今日はどうされたのですか。」
隣に住む△氏の妻が暖かく迎えた。
「実は妻から体調が芳しくないと聞きましてね、見て差し上げようと思いまして。」
「そうなんですの。ただハッキリとした痛みはないのですが、違和感はあるんです。病院に行くほどでないと思っていたんですが。」
「早速診てみましょう。」
彼は鞄から例のメガネを取り出し、違和感があるという”みぞおち”から”臍部”にかけてまじまじと見ると、うっすらと赤い塊が見えるではないか。続けて彼は言った。
「奥様、まだはっきりとは言えませんが、膵臓あたりが疲れているようですな。念のため一度大きい病院で診てもらった方がいい。」
数日後、△氏が〇先生の家を訪ねてきた。
「いらっしゃい、どうぞ中へ。」
部屋に通されるやいなや、△氏は深々と頭を下げた。
「先日は家内を見て頂きありがとうございました。先生の仰る通り、翌日には都内の病院へ行って診てもらったんです。そしたら膵臓が炎症を起こしてたみたいで、あと1週間遅かったら大変なことになってというじゃありませんか。ただでさえ症状が出づらい場所だったみたいで、大病院の先生も驚いてましたよ。家内はすぐに入院させましたので、ご安心ください。」
「それは良かった。お大事にしてください。」
明くる日、○先生は窓の外から聞こえる喧騒に気がついた。
「あなた大変よ、家の前に人だかりができているのよ。」
玄関先には病を診てもらおうとする人々で溢れていたのだ。
その光景を見るや、彼は白衣を身に纏い玄関に向かった。
「もう、朝ごはんも食べないでー」
背中から妻の声が聞こえた。
人を助けるという彼の使命感が自然と足を動かしたのである。
「皆さん慌てないで、一人づづ診ますから。」
△氏の噂話が隣町にまで届いた頃、○先生はようやく一息つけてこう呟いた。
「こんなにも悩んでいた人がいたとは知らなかった。やはりこのメガネを作ってよかった。お前にも苦労をかけるが、もうしばらく付き合ってくれ。」
自分の発明品を愛でながら、大好物のハンバーガーを半分残し、途絶えることのない患者のもとへ戻っていった。
一週間ほど過ぎた時、○先生はふと異変に気が付いた。
”赤い塊”がどんどん大きく、濃くなっているのだ。同時に範囲も広がっている。
一昨日よりも昨日、昨日より今日というように変化が大きくなっていたのだ。
「もしかしたら何かとんでも無いことが起こっているのかもしれない。未知の殺人ウィルスが流行しているのだろうか。」
彼の心配をよそに、加速度的に”赤い塊”は増えていった。
「次の方、、、どうぞ」
次の瞬間、彼は恐怖した。患者の全身が真っ赤だったのである。
不意に立ち上がり、ゆっくりゆっくりと玄関の扉を開けた。
そこには無数の赤い影が蠢いていた。
既に冷静さを失っていた彼は、目を伏せながら強い口調で
「今日はこれで終了です、お帰りください」
周囲にそう言い放ち、玄関の鍵をかけた。
「もうおしまいだ、人類は終焉を迎えるのだ。結局人々の役には立てなかった」
彼は衝動的にメガネを床に叩きつけ、膝から崩れ落ちるとそのまま動かなくなってしまった。
大きい音に気がついた妻が駆け寄り声をかける。
「あなた、大きい音がしたけど大丈夫かしら。」
力なく声の方に顔を向ける。真っ赤だった。
ーメガネがないのに何故ー
彼は俯いたまま一言も交わさず、足をひきづりながら自室に入っていった。
翌日、妻は昨日の様子を心配し、彼の部屋に入った。
そこには睡眠薬の空き瓶と、グッタリうな垂れた○先生の姿があった。
机の上の手紙にはこう書かれていた。
『家内よ許してくれ。私は君や皆の死を見ることに耐えられない。これから来るであろう絶望を見続けることはできないのだ。あんなメガネなど作らなければ、知らずに済んだのに』
妻はすっかりやつれてしまった彼の顔を優しく撫で、
大きく見開かれた真っ赤に充血した目をそっと閉じた。
「これでこれからはゆっくり眠れるわね。」
手紙が置かれていた机の上には、全く手付かずのハンバーガーが置かれていた。
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