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第79回 アダムス・ファミリー(1991 米)

 さて、本日はハロウィンです。今年は仮装して街に繰り出す人も多そうですが、私はあの祭りに乗る気になれない根暗な男なので、映画を観て過ごします。

 ハロウィンらしい映画というとこれでしょう。今回は『アダムス・ファミリー』でお送りします。

 悪趣味で本当人間かも怪しく、無駄に豪華なキャストのアダムス一家が珍騒動という、アメリカを代表するカートゥーンの映画化作品です。

 最近アニメにもなりましたし、その他映像化の機会も多く、映画自体は見た事が無くてもこの家族の姿に見覚えのある人は多いと思います。

 悪趣味の極致を行きながら並々ならぬ家族愛は決して捨てない彼らは見ていて妙な安心感があり、子供が中学生以上なら家族で観れる大変に上質な娯楽映画です。

 これが初監督作品となったバリー・ソネンフェルドのこの手の映画への強さは既に完成されていて、後続の作品に大きな影響を与えたゴシック調のビジュアルと特殊撮影は見事の一言です。

 さて、家族愛が根底にある映画をBLにしていいのかという疑問が残りますが大丈夫、アダムスの倫理観に照らし合わせれば不貞や同性愛は歓迎すべき事なのです。そして、かなり露骨にBL臭い所があります。

アダムス・ファミリーを観よう!

U-NEXTとNetflixで配信があります

真面目に解説

アメリカンサザエさん
 原作はチャールズ・アダムスによってザ・ニューヨーカー誌に長年掲載された1コマ漫画で、アメリカの国民的作品です。

 言うなればアメリカのサザエさんにあたります。他の映画やドラマでも本作を知っていることが前提のように引用されることもしばしばで、教養としても押さえておきたい作品と言えます。

 これ以前にもアニメやドラマになっていて、特にドラマは大当たりし、本作は基本的にドラマの設定を踏襲して作られています。

 そして、1コマ漫画という事はこの作品はアメコミ映画です。私は迂闊な事を書いて突っ込まれたくないのでマーベルやDCの映画を避けてきましたが、この際アメコミ処女を捧げます。良い映画です。


アダムス家という概念
 アダムス家は明らかにアメリカっぽくないヨーロッパ風の古い屋敷に住まいしています。この屋敷からして殆どハリーポッターのノリで、人を食べる門だの、巨大な地下空間だの、科学で説明できない色々な仕掛け満載です。

 こんな家に住んでいるくらいなのでアダムス家は家族愛以外の倫理観がぶっ飛んでいて、憂鬱で悪趣味な物をこよなく愛しています。この世間とのズレがギャグとなってストーリーが進むわけです。

 『メン・イン・ブラック』シリーズもそうですが、こういう超自然的な物を撮ると実に上手いのがソネンフェルドで、この作品の成功によって大予算を預けていい監督として評価を確固たるものにしたのです。


お父さんはフェロモン過多
 アダムス家の主、即ち父親がゴメズ(ラウル・ジュリア)です。ラテン系で葉巻を手放さないアホなお調子者ですが、どういうわけか巨万の富の持ち主で、家族を大切にする事にかけては他の追随を許しません。

 原作やビジュアルが原作に忠実なアニメ版では悪徳政治家みたいな冴えないオッサンですが、本作ではあろうことかラウル・ジュリアです。男の色気が爆発しています。

 アートフィルム寄りの役者ですが、本作でコミカルな演技もイケると満天下に示し、ブロードウェイ出身なのでアクションもキレキレです。

 本作は2も作られてヒットし、勿論3も作られる予定だったのですが、ジュリアの早世で実現しませんでした。多くの人は思ったでしょう。アダムスが死ぬのか?と。


お母さんは魔女
 トップクレジットは実は母親のモーティシア演じるアンジェリカ・ヒューストンです。ジョン・ヒューストンの娘でオスカー女優ですからまあこれは当然です。

 魔女の一族という事になっていて、アホのゴメズと違って幾らか社会常識があって冷静な、正反対の性格をしています。ですが二人は熱々で、アブノーマルな夜を過ごしていることが暗示されます。

 無闇に痩せていて長身、頽廃的な色気があり、本作の象徴というべき存在です。アンジェリカ・ヒューストン当人の身体的特徴に依存している非常に難しい役どころで、キャスティングには大変な苦労があったと伝わります。


アブノーマルの申し子
 二人の愛の結晶がウェンズデー(クリスティーナ・リッチ)とパグズリー(ジミー・ワークマン)の姉弟です。

 電気椅子やギロチンをおもちゃにしているような子供で、本作の狂気を強調し、カタギの人間を巻き込む役目を負っています。

 ふとっちょでどこか抜けているパグズリー役のジミー・ワークマンゲイに無茶苦茶モテそうな男に成長しましたが、俳優は引退して裏方として映画に携わっています。

 ですが、陰気でサイコなウェンズデー役のクリスティーナ・リッチはハリウッドのおっぱい担当として大いに出世したのはご存知の通りです。本シリーズでの可愛さたるや、ロリコンになりそうです。


化け物大家族

 アダムス家は多産多親戚で、家にはモーティシアの母親で、案外一番ヤバそうな魔女のグラニー(ジュディス・マリナ)に、フランケンシュタインの怪物風の執事ラーチ(カレル・ストルイケン)、そしてゴメズの親友のハンドが住んでいます。

 注目すべきは何と言ってもハンドです。その名の通り右手しか存在しません。右手だけで這って動き、あらゆる事を右手だけでやってのけて、CG技術の進んだところをアピールしていきます。

 アダムス家はラーチやハンドも完全に家族の一員として認めていて、倫理観がおかしい者同士で実に楽しそうに暮らしています。こんな明るい家庭は世間にどれほどあるだろうかと不安になる程です。


アダムスをぶっ潰せ
 本作の基本は、一家の顧問弁護士のタリー(ダン・ヘダヤ)とマーガレット(ダナ・アイヴィ)のアルフォート夫妻が、アダムス家の莫大な財産を騙し取ろうとする攻防です。

 裏で糸を引いているのが夫婦に金を貸している高利貸のクレイブン(エリザベス・ウィルソン)で、息子のゴードン(クリストファー・ロイド)が家出して久しいゴメズの兄フェスタ―と瓜二つなのに目を付け、フェスタ―が見つかったと称してアダムス家に送り込むのです。

 ネタバレしちゃうとゴードンはやっぱり本物のフェスターなわけです。記憶喪失なので最初は家族に怪しまれますが、本物には違いないので段々馴染んでいき、アダムス家と交流する事によって気持ちがそちらに傾いて行きます。

 この過程が実に微笑ましく、本作の最大の見せ場と言っていいと思います。特に子供たちが懐いていく過程はこの映画の根幹はあくまで家族愛だと再確認させてくれます。

 しかしそれ以上に、自分のせいでフェスタ―が出て行ったことに罪の意識を感じているゴメズのフェスタ―愛は凄まじく、BLなのです。


マムーシュカ!
 フェスターは段々アダムス家に傾いて行きますが、クレイブンが養母という地位を利用してアダムス家の乗っ取りを強要し、フェスターはクレイブンに拾われたバミューダトライアングルに帰ると称して親戚を集めて送別パーティーが行われます。

 やたらに映像美の強調されたパーティーに参列している親戚はドラマ版に出ているという話ですが、ドラマ版は今や視聴困難です。ですが、小柄で全身を長髪で覆われたカズン・イット(ジョン・フランクリン)は非常に有名です。

 この映画で間違いなく一番気合を入れて作られているのが、ゴメズとフェスタ―がアダムス家に代々伝わるマムーシュカなる剣舞を踊るシーンです。

 ソネンフェルド入魂のアクションとCGの粋を込めた凄いシーンです。これだけでも一見の価値があります。

 これで完全にアダムス堕ちしたフェスタ―ですが、板挟みになって苦しむことになってしまうのです。


家族愛の勝利
 結局フェスタ―はクレイブンに捨て子と罵られた事で寝返って記憶を取り戻し、見事万々歳となります。

 そしてハロウィンに家族揃って先祖の骨を掘り起こす遊びをしてハッピーエンドと相成るわけですが、一つ問題が起こります。

 エンディングテーマがどういうわけかMCハマーのラップなのです。これは強烈なインパクトを残した反面評判が悪く、ラジー賞に輝きました。

 このエンディングにラップという悪趣味『アダムス・ファミリー2』にも踏襲され、ラジー賞を連続受賞する怪挙を達成しているのです。

 しかし、それで良かったのでしょう。アダムス家はオスカーより嬉しいでしょうから。

BL的に解説

ゴメズバイ説
 ゴメズとモーティシアは死ぬほど愛し合っており、そこに議論の余地などありません。ですが、二人の愛し方が問題です。

 SMプレイに手を染めているのは作中の台詞からも明らかであり、またモーティシアはアダムスは虐待されたいと言い切っています。

 つまり、NTRはこの夫婦にとって大いにありという事です。しかもその相手が同性ならもう最高というわけです。

 ましてゴメズはラウル・ジュリアです。伝説のアートホモ映画『蜘蛛女のキス』でその名を不朽の物としたエロエロラテン野郎です。そりゃあ男にもモテるに決まっています。


ゴメズ×ハンド
 最も手近な取り合わせはどれかというと、やはりハンドでしょう。二人は親友であり、ハンドのストーリーへの寄与は極めて大です。

 しかし、ハンドは特に働くわけでもなく、ゴメズと一緒に遊んでいるだけです。家族の誰もそれを咎めませんが、これは悪い言い方をすれば居候です。

 どういう事でしょうか?つまり、ハンドはゴメズの親友であり妾なのです。まさかと思うかもしれませんが大丈夫。右手があれば受けは全うできるのですから。

 右手だけの男妾を飼っているゴメズ。モーティシアはそれだけで欲情してしまうのです。

 クレイブン一味の策略に引っ掛かって家屋敷を盗られ、モーテルに落ち着いた一家にハンドは勿論付き従います。

 これはゴメズとハンドの関係が金とか性愛だけで結びついた汚らわしい代物ではない事を意味します。家族愛こそがアダムスなのです。

 それどころか、ハンドはその小ささを生かして屋敷に潜入し、クレイブン一味の悪事を見抜いて伝令に走ります。

 モーテルで腑抜けているゴメズにどうにかその事実を伝えようと慌てるのが萌えます。手話はこんがらがって上手く行かず、右手しかないので筆談も案外不向き、結局モールス信号でゴメズは陰謀を知るのです。

 手話やモールス信号を覚えるというのは並大抵の事ではありません。ゴメズはそのくらいハンドとのコミュニケーションを欲していたという事です。

 ゴメズの肩に乗っかってモーティシアの指で秘かに愛のモールス信号を送るハンド。しかし、モーティシアはそれを見抜き、欲情してしまう。そんな画が簡単に浮かびます。


ゴメズ×ラーチ
 使用人はホモレズノンケ問わずご主人様とデキると決まっています。セリフゼロですが常にアダムス家に付き従うラーチがゴメズの男妾であったとすれば、浮気、ホモ、使用人との不貞とトリプル役満であり、モーティシアは濡れ濡れです。

 第一、アダムスはラーチを非常に大切にしています。『2』では使用人に見下した態度を取るバカ女にウェンズデーが軽蔑の視線を送るシーンがあります。これはアダムスはラーチを決して軽んじないという証拠です。

 そもそもラーチは何者かという点を分析して見ましょう。明確な設定は有りませんが、私は案外彼はアダムスの親戚ではないかと思うのです。

 中世の貴族、わけても王族の使用人は、下級貴族の子女が行儀見習いとして務める慣習がありました。

 ラーチのいとこのランピーがパーティーのゲストに居たのもこれなら説明が付きます。親戚なら尚の事軽んじる事など考えられません。

 あるいは、親戚ですが経済的に困窮し、その為にアダムス家の執事を務めているのかもしれません。

 だからと言ってただ金を恵むうのは一歩間違えば侮辱であり、ゴメズがそんな無神経な真似をするはずがありません。筋目の為にラーチを執事に使っているというのはありそうな話です。

 そして、この関係が身体で払う方向に向かうのはBLの鉄則であり、モーティシアはオーガズムの叫びをあげてしまう事必定です。


ゴメズ×タリー
 タリーは悪に走ったとはいえアダムス家の顧問弁護士であり、ゴメズは彼を非常に気に入っています。

 フェスターが帰ってこないのに苦悩していたところへタリーがやって来た時の満面の笑みを御覧ください。デリヘルが来た時の表情です。

 挙句の果てにタリーが部屋に入って来るや剣を投げつけ、本作前半の見せ場であるフェンシングをおっ始めます。

 アダムスがどんなにイカれた連中であるかを端的に示すシーンですが、タリーも割といい感じに抵抗するのがポイントです。

 つまり、二人のミーティングは常にこんな感じなのです。ラウル・ジュリアとあんな楽しい事を毎月やっているなんて、これで何もない方がどうかしています。

 フェスターを呼び出す降霊祭やフェスターの送別パーティーにもタリー夫婦が呼ばれるのも、ゴメズが単なるビジネスパートナー以上の感情を彼に抱いている証拠です。

 ですが、タリーはフェスターの方が兄である事を利用して家を差し押さえ、その間に金庫を探しますが、結局失敗して葬られてしまいます。ホモだけに墓穴を掘ったというわけです。


ゴメズ×フェスタ―
 さて、ここまでのカップリングは結局のところモーティシアとのプレイの一環ですが、このカップリングはモーティシアも立ち入る余地がありません。もっとも、その方が彼女は燃えるでしょう。

 幼い頃の二人は大変に仲が良かったのです。アダムス家の倫理観で言えばこの時点でヤっていてもおかしな話ではありません。

 ところが、若い頃はフェスターの方がモテたらしく、ゴメズは嫉妬に狂ってフェスターに惚れていたシャム双生児を横取りし、フェスターは出て行ってしまったのです。

 これをゴメズは激しく後悔し、フェスタ―の肖像画を屋敷に飾り、家族総出で降霊祭を行ってフェスターの帰りを25年も待っているのですから病的です。

 フェスターはモテるのをいい事に誰も彼もモノにしたとゴメズの口から語られます。勿論性別は問わなかったでしょう。

 一方、ゴメズはモーティシアの愛し方から見ても愛の重い男です。その矢印がフェスターに向いていたとすれば、これは快感に昇華できない程の苦痛だったに違いありません。

 だからゴメズは愛しても居ない女を横取りしたのです。捨てて後は男同士というプランだったのでしょうが、これが失敗して喧嘩別れの憂き目を見たのです。

 そこへクレイブンがバミューダトライアングルでマグロ漁船の網に引っ掛かったという触れ込みでフェスターを連れてきたのだから大変です。なんとゴメズは抱き合ってキスまでしちゃいます。

 ゴメズは家に戻って来たフェスターを早速地下の金庫室にゴンドラで案内し、ブランデーを飲みながら子供時代のいたずらの記録フィルムを鑑賞しちゃいます。完璧にデートであり、誰も見ていません。

 それが証拠にゴメズは金庫室を二人の聖なる神殿と称し、いちゃいちゃの挙句フェスターの首を絞めながら秘密の合言葉を求めます。このシーンには思わずめまいがしました。議論の余地のない実質セックス。この兄弟は終始こうです。

 何しろ記憶が無いのでボロが出やすく、モーティシアや子供たちはフェスターが偽物ではないかと疑問を持ちます。しかし、ゴメズは一層深く信じているところに二人のただならぬ関係が見えます。

 しかし、ゴメズも段々疑いを感じるようになり、ついには鉄道模型を暴走させながらヒステリーを起こすという奇行に至ります。拗らせ方が半端じゃありません。

 特にフェスターを疑って揺さぶりをかけて来るのがモーティシアです。異端者の先祖が葬られた墓場に案内して裏切りを牽制します。私はここに彼女の女としての一面を見るのです。

 つまり、モーティシアは妬いているのです。フェスターを盗られると本気で思っています。ゴメズの他の男は所詮コンドームですが、フェスター相手だと自分がコンドームになってしまうのです。

 その上医者に化けたクレイブンがゴメズはフェスターが好き過ぎて憎んでしまう病気だとそれらしく説明し、ゴメズは余計に大喜びして疑念を消し去ります。

 好き過ぎて憎んでしまう。これはまごう事なきBLじゃないですか。クレイブンは腐女子なのかもしれません。フェスターは「腐れ」という意味だそうですし。

 一方フェスターは結局のところフェスターなので断片的にアダムスが残っており、子供たちの血しぶきドバドバの学芸会の手伝いをしたり、ダイナマイトのレクチャーをしたりして信用を得ていきます。

 フェスターはアダムス家に深入りしていきますが、金庫に侵入して金を盗むのが狙いのクレイブンは育ての親という地位を悪用してこれを止めようとします。

 その一方で他人には絶対に踊れないマムーシュカで二人の絆は最高潮に達します。観た人なら分かるでしょう。あれはセックスを越えています。

 フェスターは職務放棄しかけて親子喧嘩になり、首尾よくアダムス家を屋敷から追い出した後も消極的不協力を決め込みます。もはやメス堕ちしているのです。

 一方追い出されたゴメズは他の家族が働いているというのに一人テレビを見て過ごす腑抜け野郎に変身します。

 家族愛の塊のゴメズにあるまじき行為です。これはフェスターロスです。フェスターも汚い行為に加担してしまった負い目でゴメズロスに陥っています。家族愛はBLとして立派に成立するのです。

 モーティシアが屋敷に乗り込んだので金庫室の在処を問われて拷問されますが、フェスターはこれに板挟みで苦しみ、そのせいでクレイブンに「捨て子」と罵られ、遂に完全に寝返り、クレイブンとタリーを葬って記憶を取り戻します。

 そうして兄弟で住むようになったゴメズとフェスター。もはや二人を妨げるものなどありません。子供を身ごもった事が最後に判明するモーティシアは決定的ハンデがあるのです。

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 我が家はアダムス家のように裕福では…

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