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自分で自分を縛り付けていないか?

今日の気づきをシェアハピ。

よく有名なスポーツ選手とか、すごい人たちが(語彙力)、”夢は口に出せ!”的なことをよく言ってませんか?

私はこの言葉に救われてきた、というかそれによっていろんな人に出会えて来たのですが、その逆効果にも気づいてしまった!ということで私なりの分析を勝手に展開したい🐵

夢を口に出すと…

①夢ややりたいことを口に出すと、周りが関連人物とどんどんどんどん繋いでくれる
②公言することで自分自身を有言実行マインドに持っていくことができる

こんな効果があるからじゃないかと思う。

実際私は前者の効果を強く感じられていた。これまで親に何か言ったら否定されるんじゃないか?常識的にあり得ない、危ない、意味あるの?とかそんな言葉が飛んでくるのが怖くて嫌でめんどかった。

でも外に出て国を出て色んな大人に出会った。好きに口に出せば今まで出会えなかった人、自分が実現したい未来の方向へすでに走り出している人にたくさん出会えた!それは物凄くいい刺激であり学びで間違いない。

一方で、有言実行マインド≒やらなきゃマインドにもなる。ここが危険ポイント。
そしてこれもまた実感したこと。やらなきゃマインド宣言の時、私は自分の中で決定した進路を人に伝えていた。いろんな人に会うたびに伝えていた。実はちょっとだけもやっとが残っていたが、それを自己暗示をかけるかのように宣言し続けてしまっていたんだ。たしかに理にかなったプロセスで決定した進路だったが、あたかもそれが唯一の正解かのように思い込み始めてしまっていた。だから今はこう決めたんだから苦しくてもこの形に進むんだ!!みたいに心を置き去りというか、結局何かにとらわれてしまっていた。

問題は何を口に出しているか

この二つの違いは何か?

恐らく口に出す夢や目標がDoingかBeingかではないだろうか?

Being(=ありたい姿)の時は、いい繋がりが増えていて、自分の心にも柔軟さがある。
つまり、ぼやっと抽象的で、これだけは譲りたくない!!みたいなものを口に出しているときは、聴き手が色々なアイデアをくれたり、人と繋いでくれる。自分自身もその先を絞っていない状態だから、柔軟に広げながら探るフェーズにいられている。

Doing(=すること)の時は、有言実行マインドになって、目指す結果や枠をブラさないように必死になってしまう。
ブラしてはならないのはBeingの軸であって、その周りの枠ではない。決めてしまった枠について話すとき、おそらく聴き手は感想を言ったり、感心したりしてくれるけど、それは、”これが正解である”という自己暗示に追い打ちをかけてくることにもなり得る。

サッカー選手がW杯優勝します!!とか公言するのは問題ない。なぜなら、目の前に試合があってそこで結果を残したい、という変わることのない目標があるから。いい意味プレッシャーが働くのだろう。そこら辺を這いつくばるふにゃふにゃ一般人の私は、有言実行の変なプレッシャーにやられかけていた!!危ない危ない

これしかないなんてことはない。
この言葉常に心に。(卓越した友達がくれた言葉)柔軟さってどうしても忘れがち。ちゃんとしなきゃ。まず頑張らなきゃ。いいいい!そんなのいい!たとえやりたい枠が本当に見つかったとしてもそれすらも常に疑って立ち返れる大人になりたい。


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