時々未来が怖いのは結局周りを気にしてるからなのか?
ふと最近気づいたこと。
他の記事を読んでくださってる方はなんとなく察してるかもしれないけど、私は割と未来志向で次々考えながらも進むのが好き!ワクワクする挑戦が好きです。
でも結婚っていうワードが周りにちらほら出始める年になり、急に自分の未来が怖くなる時があります。。。
一生1人は寂しい!誰かと一緒になりたい!と声に出してみるものの、それはどういう意味で一緒になりたいのかよくわからない。
別に正直結婚したいという焦りはない。周りが結婚すれば心から祝福するし、かわいいなあと思ってほっこりする。
けど自分に当てはめようとすると何か引っ掛かるし、何を欲してるのか自分でもわからなくて怖い。
たぶん、誰かと一緒になりたい!という言葉の裏には、”周りからの目”が切ろうとしても切り離せなかった思考があったんだと思う。
例えば30, 40, 50になって1人身だった時、何が怖いって”パートナーいないの?”とか”バツイチなのか?”とか謎の勝手な予測のもと繰り広げられ、深掘りされるその空間だ。
1人で生きていることに対して、周りからツッコまれない、もしくは納得されるような理由づけが欲しい。
だから逆も然り。
誰かと一緒になることで、周りに何も言われなくて済むことが楽である、と考えているから私はパートナーが欲しい。と発言した。(のだろう!)
ああコワイ!
周りに囚われないってまだまだ難しい!
仲良くても理解してもらえないであろう本音をどこまで言って良いのか難しい!これを冷たいやつと捉えられてしまうのかと思うとまたコワイ!そしてその思考に至ってる自分はまた周りの目を気にしててコワイ!
こんなことでぐるぐるしている自分はまだあまちゃんか😂
でも自分の発言の心理を読み解いたんだ!一歩一歩!
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