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苦手なこととの向き合いかた、アップデート

このところ、「自分の苦手なこと」との向き合い方をずっと考えています。

3月からお世話になっている環境で、凝り固まった価値観を和らげていただき、自分の目指したいお仕事の仕方やなりたい姿を考える大切さを知り、考える時間をたくさん作りました。
結果、「こうしなければ」と思っていた向き合い方を、少しずつ和らげている気がします。

そんなわけで、自分なりのアップデートしたい「苦手なこと」をの関わりをつらつらとまとめてみます。

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前提:
わたしの苦手なことは、脳の仕組みとか病気由来とか身体的なことだけでなく、わたしの性格や気持ちの状況も相まってのものです。中には病院で診断を受けていたり、検査で明らかに「うわあ、これはしんどいねえ笑」と言われていたりするものもあります。
ただ、あえてこのnoteで詳らかにはしないでおくつもりです。

苦手なこと=「こわいもの」

「何かが苦手な状態」というのは良くないもので、これを引き起こす「苦手なこと」は自分にとって怖いもの・恐るべきものだと思ってきました。

これまで、苦手なことはどれも「直すべきもの」「努力でなんとかしないといけないもの」「わがままを言わない」と思っていたんです。それもあって、大学では特別支援に関する授業を資格取得以上に聴講したり、本を買って「この特性は〇〇由来のもの」など知ろうとしたりしてきた自覚があります。

そして関わる人には「伝えた上で(知識的に)わかってもらって、自分の努力により直し、他の価値で補わなければならない」とも思っていました。
また「苦手なことに関してはもちろん努力でましにした上で、どうしてもできないものを助けてもらうための愛嬌が必要」とも。(愛嬌云々は学校で言われた記憶があります)

実際「〇〇が苦手だからダメだよね」とか「特性があるからこれも苦手なんでしょ?」といったこともよく言われてきました。

苦手なこと=だめなこと。迷惑をかけそうなら伝えて、でも言い訳にしないように、苦手な上で「でも努力して迷惑かからないくらいできるようにします」
というのが、これまでの考え方でした。(自分に対して)

だからこそ苦手なことってできれば隠したいし、「苦手でしんどい」のは自己責任だし、と。今考えてみるとかなり無理があります。

苦手なものは「誰かの得意」かもしれない

そのままではあるんですが、わたしの苦手としていることって誰かにとっては「さっとできること」とか「得意/苦手でない自負がある」ことだったりするんですよね。
それは逆も然りだったりする。ずっとこれが腑に落ちていなかったんだと思うんです。

「苦手なこと」って、「自分にとって苦手であって、周りはみんな当たり前にできること/しんどくないこと」だと根本的に思っていた節がかなりあって。でもそうじゃない。

すごく具体的なところで言うと、わたしは「関係性が色々ある場所での発言」とか、全貌把握できないままスピーディーに事務を進めることとかが割と苦手です。ミスも始めはあるけど、気持ちがすり減るタイプの苦手さ。
でもそもそも「全貌が把握できている人」とか、「事務やてつづきがあまり負担でない人」がいる。
それは「みんなそうで、できないわたしがポンコツ」でなくて、「得意な人と苦手な人がいる」ことなのか、と思えるようになりました。

逆に、さっと調べ物をしたり初見のツールをなんとなく使ったり、説明資料を作ったり、イベント進行の為のタイムテーブル組んだりとかは比較的得意です。(実際の説明パートは別の話)あと薄く広くいろんなツール使ったり。
これも「得意」でいいんだという話をわかるようになりました。

「人並みにできることと周りよりできないこと」でなく「得意なことと苦手なこと」。なら、得意なこと同士で交換したらいい。それを教わりました。

別に知識は必要ない、 「疑い」もない

特性由来の得意苦手について、わたしがモヤッとしつつ大きく誤解していたことがあります。

「知識として、知ってもらうこと」の必要性です。

ついこの間まで、社会福祉や特別支援といったものに詳しい人(や当事者)と一緒に仕事をする機会がかなりありました。なので「Aという診断名なら〇〇も苦手だろう」という前提で話をされることも多くありました。例えそれが実際苦手でないとしても。

苦手なことや得意なこと、性格由来や環境由来のものも「全て診断名をベースに」なっているようで少し違和感がありましたが、「それはあーねの認識不足だよ」と言っていただいていたり「配慮していただくなら文句は言ってはいけない」と思ったりしていました。
「診断名があること」を知っていただいていることや、その診断名がどういった特性を持つのか説明する/知ってもらうことが必要なのだと思っていました。

でも、そんなの別に必要なかったんです。
発達障害やそれ由来の特性、性格について「診断名や理論・福祉情報」を知っていることよりも、ひとり「わたし」として得意苦手・特性などを「そうなんだ、じゃあどうしようか」と関わっていただけることの方がよほどありがたい、と今すごく感じています。情報よりも今表出してる苦手さを信じてもらえること。すごいことだと思います。

苦手さを否定せず、「どうしたいか」を言えるわたしに

わたしはありがたいことに「じゃあ、どうしようか」と信じてもらえる場所に身を置かせていただいています。

今は「苦手なこと」「得意なこと」をライトに伝えきる度胸は正直足りてないです。これをアップデートしていきたくて。

・Aは苦手だから、できるまで〇〇したい
・特性由来でBという状況になった時は、こうしてほしい/こうしたい

とか、わがままに思えて言えてこなかったことばかりだったり、そもそも苦手だと言いたくなかったこともあったりします。でも、それは苦手であることを認めてくださった上で「どうする?」といってくださる方に失礼だなと思うんです。わたしにとって「こうやってお仕事がしたい」の姿から遠ざかるものでもあります。

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得意なことも苦手なことも「誰しもそれぞれあること」という前提をもつこと。診断名や特性のカテゴリを「レッテル」にしない/させないこと。

診断名や「苦手さ」の名前は大切だけど、伝えて脅かされる恐怖はあります。そんなすぐ、なくなりません。でも「ここなら/この人なら 大丈夫」を増やしていくことはできるし、そういう場所にいさせていただいています。

知識ばかりに頼るのではなく、「できる/今は難しい」を伝えて できることで貢献していくこと。少しずつアップデートしていきたいです。

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