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身体をわがものに―黒人ダンスカンパニーAlvine Ailey

黒人ダンスカンパニーAlvine Ailey American Dance Theater(アルヴィン・エイリー)の公演にもろ手を挙げて万歳してしまいました。すごい。

基礎にあるのはクラシックなバレーの技法にみえます。でもそのことを端々で匂わせながらアルヴィン・エイリーがやるのは、その身体技法を組み替えていくこと。白人中産階級を規範にしたからだの使い方でなくて、それを「黒人的なもの」にずらしていきます。目からうろこが落ちる感じ。

お尻の使い方ひとつとっても、端正でいてちょっとくずした所作も、腰をぐんとおとした力強いダンスも、そうかこういうからだがあるかと気付かされます。無意識に標準だと思っていた身体がひとつのヴァリエーションにすぎないことを丁寧に表現します。わたしが見た日はデューク・エリントンがたくさん使われていましたが、わたしは彼の黒人性をすっかり忘れていました。カラーブラインドに消費していたわけです。愛のシーンで女性の強さが目立つのも、地に足が付いています。歴史的にも社会的にも、男女の関わり方はひとつではありません。そう、創作コンテンポラリー・ダンスなのですが、いつも黒人たちの経験に照らしている形跡があってうわすべりしていきません。

テキサスの綿花地帯生まれのアルヴィン・エイリーが1958年につくったこのダンスカンパニーは、公民権運動の時代から闘いながらいまの地歩を築いたことになります。一つずつ布石しながら、ダンスと身体を自分ものに取り戻していったのでしょう。

つい前回にMetのアフロフューチャリズム展示を創作がすぎると批判しておきながらこっちは万歳かよ、との疑問はあろうかと。でも分かれ目は、アルヴィン・エイリーが歴史に問い、いまの観客に問い、ひとつずつ作り上げた過程にあると思います。黒人の身体をなにか空想や架空のもので埋めてしまわずに、ひとつずつ確かめていったやり取りの成果をみせてもらったのだと思います。

コロナ禍で劇場が閉じてからはじめての生ということもあるのでしょうが、劇場の一体感はたいへんなものでした。おかえり、ありがとう、と。ここにも積み重ねの力を思い知ります。ニューヨークに来たらミュージカルをとか候補は数多いわけですが、アルヴィン・エイリーを加えて頂きたく。


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