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世の中とメディアの関係を考えるために、新聞学を復習する

■この記事の狙い■
社会学の中でのメディアの存在を洗い直して、メディア事業に携わる人としての課題意識に役立てる。

最近は、メディアじゃなくてプラットフォームとか、ECじゃなくてメディアとか、そのスタンスの表明が企業メッセージとして使われているなという印象を受けます(私も使いますが)。その上で、そもそものメディアビジネスってなんでしょう?ということを踏まえ、先々を考えたいと思い立ち、整理しました。雑誌社に育ててもらったオールドメディアミスの自己満足かもしれませんが…
なので、自社マーケティングのためのオウンドメディア運営に携わる編集者の方には、あんまり役に立たないかもです。ただの昔話です。

メディア論、マス・コミュニケーション論は社会学のほんの一部ですし、この中ではいろんなものを引っ張り出すので、学問として修めた人からするとツッコみたくなるのは承知しておりますが、離乳食のように食べやすくした次第です。(ハイハインくらいの歯ごたえはあると思う)

ちなみに私は、上智大学の新聞学科卒です。一応。(教授の顔にドロ塗ってたらごめんなさい)

注:文中にスライドを挟んではいますが、全てではありません。全スライドは最後にSpeaker Deck貼っておきます。

情報技術の基本的な機能は複製 → 広めるのがカンタンに

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いきなり、世界史のテストのようですが、15世紀ヨーロッパでヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術の発明したことで、正確かつ容易に文書を複製できるようになったことは、コミュニケーションを考える上で外せないトピックです。

ここからはじめると、マクルーハン好きっぽいのですが、好きです。恥ずかしいことにちゃんと読破できていないので、早く向き合える余生を迎えたいです。

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話はそれましたが、正確かつ容易にメッセージを複製できることが、テキストを広めることの障壁をぐっと下げました。これまでの文書は、事件や出来事などを”記録”だったのが、多くの人へ”伝達”するものに変わりました。

文書が"選ばれしモノ"だけの存在ではなくなったということですね。(読み書き能力という別問題はありますが、テーマから外れるので割愛)

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対面的な範囲を遥かに超える巨大なコミュニケーションが誕生 → マス・コミュニケーション

このように、人々の生活圏内での口頭伝承でしか情報が流通しなかったところから比べると、遥かに大きなコミュニケーションが生まれました。それが、マス・コミュニケーション。

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そして、その複製されたメッセージを共有することで、コミュニティが生まれると考えたのが、アメリカの政治学者、ベネディクト・アンダーソン。1983年に発表された、ナショナリズムの起源と流行に関する著作『想像の共同体』はまた難しく、ググると「想像の共同体 わかりやすく」とか、サジェストされるんですが、「出版産業は国民意識の基盤を提供し、新しい形の想像の共同体を可能とした」と印刷物の役割を見出してます。

巨大なコミュニケーション装置の社会への影響について知るということ

メディアの効果ではなく、正確にはマス・コミュニケーションの効果研究なのですが、新聞、ラジオ、テレビが社会にもたらす影響について関心を社会学者が抱かないわけがありません。投票行動や消費行動などにおいて、マス・コミュニケーションが一個人に、そして社会にどれだけ影響を及ぼすのかという関心が高まり、多くの研究が生まれました。

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いろいろあるのですが、覚えておけばよいのは、「影響力が、強→弱→強」という流れだけで十分かと。そして、「強」の学説はインターネットが出てくる前なので、今の私たちの情報環境は状況がまったく異なっている。そして、自身で考察をしていくのが楽しいと思います。

強(1920年代から第2次世界対戦)→弱(1940−60年代)、強(1970年代以降)

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強:弾丸理論/皮下注射モデル
弱:限定効果モデル(「コミュニケーション2段階の流れ」仮説)
強:マスコミの議題設定機能/培養効果研究/沈黙の螺旋

スライドには、現代のコミュニケーションにおける影響力を考えるヒントになる説をザックリ紹介しているので、良かったらご覧ください。

マス・コミュニケーションは社会に影響を与える要素だけど、インフルエンサーと共存している

限定効果モデルと、その見直しをしたさまざまな考察を総称した「新・強力効果モデル」の研究には、今のソーシャルメディアやメッセンジャーアプリなどが日常的なコミュニケーションツールになった状況で、情報が人や社会に与える影響を考えるヒントがあると、私は考えています。

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その中でも、メディアを運営する上で抑えておきたいのは、「マス・コミュニケーションは社会に影響を与える機能だけれど、インフルエンサーと共存している」というポイントだと考えています。

メディアはもともと広告業界用語だった

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実は、ここまで必死に「メディア」という言葉を使わずに進めていましたが、メディアという言葉は広告代理店の人々の職業用語として使われ始めた言葉と言われています。メディアという言葉の初出は1923年の『広告と販売』誌で、メディアが媒介するものは「メッセージ」ではなく「広告」であって、もともとの意味は「広告を媒介するもの」という意味だそうです。

なので、メディアビジネスというのは、マーケティングへの寄与が求められるのが自然だと私は思っています。出版社が製造業という分類にあるのも、ここに起因しているんだろうなと。(200109追記:平成25年10月改定の現行の「日本標準産業分類」では、出版業は「情報通信業」でした。2002年に改定されています。お詫びして訂正いたします)出版社も雑誌社と書籍のみを発行している出版社ではビジネスモデルがまったく違います。

ラジオの先駆け 無線電話機施設の有料貸し

今回、改めて話をするにあたって調べていた時に知ったエピソードなのですが、ラジオの先駆けのお話。

1920年代、AT&Tは無線電話の技術を開発し、その施設を電話回線のように有料で貸すというサービスをスタート。
AT&Tは、電話で好きなことを話すように、契約者たちには、自由にメッセージを伝えることを委ねた。
すると、契約者の大半は企業で、利用者からのメッセージは、PRか商品宣伝がほとんど。そのため、施設の賃貸だけでなく、積極的な番組制作と送信作業=放送事業 をする必要になり、AT&Tはこの事業から撤退した。

不特定多数に何かを伝えるのに、高額を投じることができるのは、宣伝活動ですよね。(まあ、お金持ちの趣味って例外もありますが…)

メディア事業者のマーケティングにおける役割とは

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自社の商品やサービスにお金を出して使ってくれる人を増やすために、その良さを知ってもらうコミュニケーション活動の場として、メディアは利益を得ています。社会が成熟して、コミュニケーションも複雑化する中で、メディアはただの媒体としての役割だけでは、クライアントを満足させることができなくなりました。

その中で、メディアとしてコンテンツを作る過程で得られたリソースを活用して、マーケティングパートナーとしての役割を広めてきました。

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広告媒体 → 伝達装置 → ??

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メディアという言葉の定義は、使われる場所と立場によってかなり変わってきていると思います。元々は中間(Medium)の複数形。送り手と受け手の間にあるものです。「メディア」を業界別の辞書で調べると、違いが見られておもしろいです。

研磨用語としては、【メディア】−バレル研磨に用いる研磨資材。
IT用語としては、【メディア】−メディアとは、情報の伝達を行う媒体のことである。具体的には、記憶媒体や、新聞社のような情報の伝達者、が挙げられる。

冒頭でチラッと触れたマクルーハンは1964年の時点で「メディア論」で、メディアは人間の身体の拡張として、あらゆるものがメディアだと言いました。マクルーハンは置いておくとして、今ではテレビ、新聞、Web、店舗といったわかりやすいものだけでなく、いろんなものが「メディア」として捉えられています。

ここでの「メディア」は、主に編集者に向けてのお話だったので、「メッセージ」と「コンテンツ」を媒介するものとして扱ってきました。しかし可能性は無限大で、それを今後どのようにビジネスに活かすのか、メディアの捉え方に枠を持ってしまっては、もったいないと私は思っています。(だからこそ、これまでを把握するためにこれをまとめています)

メディアは特別なものではない

これまで見てきたように、技術革新によって、人と人のコミュニケーションのスケールが巨大化し、マス・コミュニケーションとなりました。そして、メディアと名付けられ、広告価値を認められてお金や人といった資本が集まるようになりました。どことなく、今なお、メディアに権威性が残っているのは、そういった経緯です。(放送は免許事業だということもありますが)

でも、インターネットができたことで事情は変わりました。

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オンライン空間では、情報の複製は無限で、送り手と受け手の関係も一定ではない

最初に、情報技術の基本的な機能は”複製”と言いましたが、デジタルのオンライン空間では、ほぼ無限に近い形で、時に送り手の意図しないくらいの規模で複製、拡散されていきます。また、送り手と受け手の立場は一定ではありません。

メディアのユーザー像も、記事を読む”読者”という定義には当てはまらないケースがほとんどだし、それが可能になったことで、提供できるさらなる価値があります。

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メディア運営の役割は、コンテンツを送るだけでは足りない。受け取ってつなげること、送り手同士をつなげることもできる

メディアビジネスにたずさわり、コンテンツを企画・制作していく上で私が意識しているのは、メディアの力の可能性を信じつつ、過信しないことです。今回、マス・コミュニケーションの効果研究を振り返ったのは、道具の特徴を踏まえて、その使い方を考えて欲しかったからです。

先ほど指摘した、メディアのユーザーは、受け手であると同時に送り手にもなるというポイントは、実は、コミュニケーション2段の流れのスピードが速くなっただけとも捉えられます。そして、それを第3者にも可視化することで、アジェンダ設定や沈黙の螺旋理論を有効活用することだって可能です。まず、ユーザーを増やす上では、「選択的受容」を意識して、どうしたらLTVを増やして行けるかなど考えられます。ちらっとしか触れませんでしたが、コンテンツを同時に消費・共有することでコミュニティが形成されるという『想像の共同体』の話にもヒントはあります。

また、メディアの社会でのポジショニングも捉え直さなければなりません。もともとメディア設備(放送免許、印刷機、編集部などなど)を所有するには大きな資本が必要だったのがそうではなくなりました。今ではメディアは誰でも持てるという前提に立てば、一方的にコンテンツを作って送るだけでは、十分な価値提供をしているとは思えません。通信技術とデバイスでの表現技術がグングン高まる中で、メディアにできることはたくさんあります。

少なくとも、メディアの看板だけで、その希少性から人が集まる時代は終わりました。その危機感をもって、仕事に向き合える人と、私は新しいことをやっていきたいなと思っています。

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今回の記事を書くにあたり、以下を参考文献として使用しています。

この「メディア文化論」は、メディアについて考える上で、基本的な歴史やマス・コミュニケーション研究を理解するのにちょうどよい1冊。新聞学科生の時にも吉見先生の著書は何冊か読みましたね… 懐かしい。

より実践的に、コミュニケーションの学術的な知識を、広報・マーケティング活動に活かしたいという人にはこちらの方が使いやすいかもしれません。ユニット毎に著者が違うのですが、ちょっと若いです。

こちらはメディア論が好きな人なら楽しめる読み物だと思います。ブックガイドのシリーズで、元博報堂の難波功士先生が、メディア論をテーマに30冊選んでいるのですが、ガイドというよりももはやエッセイなんじゃないかという趣。(同シリーズの他を確認していないので、比較はできませんが)

難波先生は「創刊の社会史」「ヤンキー進化論」など雑誌をテーマにした著作を書かれていたので、雑誌編集者時代にその存在を知りました。


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