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終わる日記(2/7)

2024/4/11

起きてすぐカーテンを開けたら、飛行機がちょうど飛び出していくところだった。伊丹空港の飛行機。瓦屋根でカラスが鳴いていて、木々を移り回りながらスズメも鳴いていて、べつに想定していたわけではなかったが、1年前の物件選びは間違っていなかったんだと思った。

昨日のことを思い出しながらスマホのメモ帳で昨日の日記を書いた。手短に書きますと宣言しておきながら書いているうちに長くなっていき、これは明日の自分の首を絞めることになるだけだと思ったが、覚えているから書けるのは仕方ないことだし、そもそも今日と明日を比較すること自体なんの意味も持たないわけで、そういうことを考えていることこそが自分の首を締めているんじゃないかと思った。ともかく、明日のことなんか考えず、肩の力を抜いて生きて、肩の力を抜いて書けばいいやと思った。

疲れたし、気分を変えて洗い物。洗い物は、というか家事一般は、できるだけ早い段階で済ませてしまったほうがいいと考えてしまうものだが、考えなくてはならないという話ではなく、ツケが回ってきたときにその都度やっていけばよくて、その局面になってはじめてそれをどう考えればいいか考えればいいわけで、べつに死ぬわけでもないんだし、理想論の戯言で自分を追い込まなくてもいいんだと思って先送りにした。

研究室に行こうと外に出たら、パンが食べたい気分になったのでパン屋に向かった。入口のところに冬に来たときに買った明太フランスがあったのでそれを選んで、あとは甘い系でなにかと思っていたらきなこ味のポンデケージョがあったのでそれにした。ポンデケージョも前に買ったことがあった。

会計のとき、奥の会計係が気づいていなかったのでベルを押そうか迷っていたら、後ろからどうぞと言って別の会計係が出てきた。袋おつけしましょうかと言われたが、パンはすでに袋に包まれているからこれ以上包む必要はないと思って、すぐにいりませんと答えた。お金を払ってポイントカードを出しながら、2枚もっているんですがひとつに統合することはできませんかと言うと、古いほうにいっしょになりますがよろしいですかと言うのではいと言った。今年の6月までが有効期限で、それまでにスタンプをここまで貯めないといけませんがと言われたが、残りは高々9マスで、つまりは1800円分のパンを買えばいいだけの話だと思い、はいと言った。店を出て踏切を待ちながら、まんまと戦略に乗せられていると思った。

公園で食べようと思っていたが、やっぱり研究室にしようと思って坂を上った。太陽を探すと真上にあって、クマンバチがホバリングしながら空に止まっていた。黒いと思った。口の中で唾が乾いたような苦い感じがして、そういえばしばらく飲み物を口にしていなかったと思って唾を飲み込んだら、すぐに苦みは消えていった。耳の後ろでクマンバチがビュンビュン飛び回る音が聞こえて、頼むからおとなしくしといてくれと思った。

階段を上がると向こうから男女が歩いてきて、雨が降ったのか確認するみたいに桜の花びらを手のひらで受け止めていた。

研究室に着くと、同期が「応用物理」のコラムかなにかのパズルをふたりで解いていた。塗りつぶして出てきたモザイクの絵と模範解答のそれが一致しているかどうか確認していて、模範解答には「曇ときどき雨」と書いてあるのだが、これのどこが「曇ときどき雨」なのかと言ったら、外枠のモザイクには意味がないんだと言われ、外枠を隠して見直してみるとたしかに「曇ときどき雨」に見えなくもないと思った。例題もあるんだと前のページを見せてくれて、そこには「走る人」と書いてあったが、「走る人」に見えなくもないという感じで、これ解釈わかれるでしょ、ぜったい即席で作ったでしょと言い合った。

ごみ捨てのやり方を教えてもらったり、修士論文を読んだり、同期と話したりしていたら夕方になっていたので、そろそろ帰ろうと思った。部屋を出ながらお疲れ様ですと言ったら、お疲れ様ですと返ってきた。「変な家」の結末について考察を交わし合っている声が聞こえた。

帰り道、今日は帰ってから散歩にいこうと思った。だが帰ったらもう外に出る気にはならないだろうからやっぱり散歩はやめようと思い、このまま少し歩ければそれでいいやと納得した。普段の帰り道から外れた知らない道を歩いていきながら、じゃあこれは何なんだ、今まさにやっていることは散歩以外の何ものでもないだろうと思った。

家の前まできて、まだ物足りない感じがして、もう少しブラブラしたいと思った。noteに載せる用の写真を撮っていなかったことに気づいて、どこかでいい草なりいい花なりいい景色なりがあればそれも撮ろうと思ってまた歩きだした。

背後から匂いがしてきて、これはカレーうどんの匂いだと思った。カレーライスの匂いではなく、明らかにそれはカレーうどんで、なんでカレーライスだとだめなのかと思ったが考えてみればぜんぜん違うはずで、家でもカレーうどんを作るときは前日のルーに麺つゆを足すからそれは当たり前の話で、来た道を戻って店まで行ってみたら「手打一筋」と書いてあった。家でカレーを食べるときは、カレーライスのついでにカレーうどんを作るのではなく、むしろカレーうどんのためにカレーライスを作っている感があり、実は自分はカレーうどんのほうが好きだったんだと思った。

家に帰って洗い物を済ませてから、甘夏をむいた。包丁で4分割して、それから皮をむいていく。包丁を入れると房ではない中途半端な位置で切断され、それは本意ではないわけだが、そこからはみ出た薄っぺらい果肉は食べなくてはならないと思ってラッキーと食べた。2玉むいて、タッパーに詰めようとしたら蓋が閉まらず、上の方のいくつかは食べなくてはならないと思ってラッキーと食べた。蜜柑ほど甘くはないが、かと言って八朔ほど酸っぱいわけでもない。八朔ほどのパサパサ感はないが、かと言って蜜柑ほどみずみずしいわけでもない。そんな味がした。

それからシャワーを浴びて、換気のために窓を開けて、米を炊いて、窓を閉めてから晩ご飯を食べた。残っていたセロリスープに水を足して温め直し、油も水もフタも使わないで作れる大阪王将の餃子を焼き、傷みかけの小松菜を中華あんかけの素でベーコンといっしょに炒めた。テーブルに並べながら、ひとり中華パーティだと思った。

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