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『ベルリン・天使の詩』の世界観


『ベルリン・天使の詩』は、東西を分断する壁がまだあったベルリンの街で“ドイツ語でドイツの映画を撮る”という条件のもとに制作された作品。(だけどセリフにはフランス語も英語も出てくる)ヴィム・ヴェンダース監督はロケハン中に街のあちこちに天使がデザインされたものがあることに気づき、それが監督が好きだった画家、パウル・クレーの天使のイメージと重なった結果、主人公を天使にするというアイデアを思いついたという。天使という概念を可視化するとこうなる。それがとても詩的で丁寧に描かれている。


守護天使のダミエルとカシエルはベルリンの街の人々を見守りながら、それぞれ美しいと感じた瞬間について共有することを楽しんでいたが、ある時ダミエルがサーカスの空中ブランコ乗りのマリオンに恋したことで、「人間になりたい」という欲が生まれ、望み通り人間になってマリオンの前に現れる、というストーリー。ベルリンの街にはダミエルとカシエル以外にもたくさんの天使たちがいて、例えば地下鉄で思い悩む男性の頭を隣に座っていた天使が撫でると、それまでネガティブなことばかり考えていた男性の思考が前向きになる。公共の図書館は街中よりもさらに天使であふれていて、学んでいる人間たちをそばでじっと見守っている。天使たちはお互いが見えているけれど、基本的には人間にその姿は見えなくて、たまに子供が気づいたりする。


この映画のセリフは登場人物の独り言であることが多い。普段、人がどれだけ頭の中で思考しているのかがわかる。いつもなら消えてしまう、取り留めもない言葉が、映画の中ではとても詩的で美しく聴こえる。天使にはそれが全て聴こえていて、その人物がどこで何をしているかも見えている。冷静で淡々としているカシエルに比べるとダミエルはどこまでもピュアで、好奇心の塊という感じ。人間の世界を体験したくてたまらなくなって降りて来る。


ダミエルのように元天使で人間になった先輩として登場するのが、ピーター・フォーク。刑事コロンボを演じるピーター・フォークとして、本人役で出て来る。彼が元天使だったら、という設定。コーヒースタンドの前で一息ついているこの名優のそばに、降りて来る前のダミエルが立った時、「見えないけど、いるな。人間界はいいぞ、もし君がこっちに居たらいいのに。友達だからさ。コンパニエッロ」と言って握手をするように手を出すシーンがあって、毎回観る度に心が温かくなる。彼が味わい深い口調で普通は見えない天使に語っている間、コーヒースタンドの店主はずっと訝しげにそれを見ていて、またその場面を(映画として)観ている自分がいて、というのに気づくと何だか面白くなってしまう。こちらは現実的にスクリーンや画面の中には入れないけど、人間界を見ている天使の感覚ってこう言う感じかな、と思ったりする。


この映画は天使と人間の恋を描くという意味ではファンタジーの要素があるけど、天使を主人公にしてその視点から人間を見せるというのが独特の世界観を生んでいると思う。ベルリンの街と、そこに暮らす人々を見守る姿に慈しみがあって、ただの空想物語とは違う。天使を主人公にした、人間の物語だと思う。肉体を持たないスピリチュアルな存在が五感で感じるセンシュアルな世界での”体感”を求める物語。これを文学的に解釈するのもいいけど、頭でっかちになるくらいなら、ぼーっと眺めるくらいの気持ちで。曇り空の寒い日に、温かいコーヒーを手にして、ぬくぬくしながら観るのがおすすめのスタイルです。




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