記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

リキチャンシュタイン博士ってどんな人?[ボイス感想・ネタバレ有り]

~~~~~~~~~~~~~~~
2021年3月6日追記

ついにハロウィンボイス2019の常設販売が開始しました。
これで「昔からのファンだけどボイスは買ってこなかったな」っていう人も、新規のファンの人もいつでも購入できるようになりましたね。

当記事はネタバレを含みますので、ぜひ視聴されてからお読みいただけると幸いです。
~~~~~~~~~~~~~~~


ボイス初心者のあごひげ20cmです。

にじさんじハロウィンボイス2019の再販が来た。来てしまった。

この中で、ジョー・力一(りきいち)が出したボイスは、ファンの間で相当評判が高い。Twitterやpixivは、このボイスを元にした二次創作であふれている。販売終了から1年が経とうとしている今でもその熱気は冷めていない。

いわく、まったくの別人格であるリキチャンシュタイン博士が主人公で、1本の映画に匹敵するほどの世界観が成立しているらしい。完成度の高さを褒め称える声がとても多い。

これまでボイスの類を買ってこなかった自分だが、ファンの熱狂ぶりを見るにつけ、このボイスだけはずっと気になっていた。
そんな折、この度の再販が発表された。りきいちファンは叫んだ、「全人類 買え」と。

周囲のファンに背中を押されてボイスを購入、すぐに鑑賞した。良かった……。感想や考察をまとめたいという衝動に駆られるくらいに、とにかく良かった。

前置きはこれくらいにして、以下では自分が感じたことを徒然なるままに綴っていきます(約4,000字)。

もしも当該ボイスをまだ購入していないなら、ぜひ購入して聴いてみてください。当記事は、ボイスを聴かれた方を読者として想定しておりますので。
ボイスを聴く前にこんな駄文を読んでしまっては、いざ聴いたときの楽しみが激減してしまいます。「楽しむ権利」をどうか大事にしてください。
ボイスの楽しみ方は人それぞれだと思いますが、自分は第三者の視点に立って(=最高傑作と自分を重ねないで)鑑賞しました。また、最高傑作を、血の通ったニンゲンというよりはモノ寄りに見ています。ご了承ください。


1. 博士の人物像

最高傑作に対して博士が最初に教えたこと。それは『誰しも、めいっぱい楽しむ権利がある』だった。
この考えは、どうやら博士の根幹にあるものらしい。楽しむことを第一に考えている節がある。享楽主義的なスタンスとでも言えようか。ボイスの至る所に「楽しむ」という単語が散りばめられている。
このスタンスは、ハロウィンというお祭りだから、最高傑作の完成に浮き足立っているから、というような一過性のものではない。むしろ、楽しむことを博士が追求してきたからこそ、最高傑作は創り出されたように思える。

また、博士はかなりの自信家だ。度がすぎて傲慢にすら見える。自身の発明について語る時、その声は特に自信に満ちている。
そして、最高傑作がいずれ世間に認められることを信じて疑わない。もしそうなれば(世界中の皆を)『友達にしてやろう』と、上から目線に言い放つ。


享楽主義の自信家というだけなら、ただの典型的なマッドサイエンティストだ。しかし、博士はそんな単純な人物として描かれてはいない。

好き勝手な言動をしながらも、そうした言動のせいで周囲から良く思われていないことには引け目を感じている。子供たちが逃げ出せば落ち込んだ声を出すし、パーティのケーキを独占することには一瞬ためらうし、食べながら背徳感を感じている。でも、やめない。楽しむことが一番だから。

こういうアンバランスな部分が、リキチャンシュタイン博士の魅力だと思う。周囲からの冷たい視線を意識しながらも、結局は自分の楽しさを何よりも優先する。出来ることなら、周囲の人々に認めてもらいたい、自分の発明で楽しんでほしい、とひそかに願いながら。

だから、お祭りで出会った一般人にこう声をかける、『楽しんでますか?』と。

 

 

2. 博士と、世間と、最高傑作

端的に言って、博士は俗世間に認められていない。孤独な科学者だ。腕前はピカイチなのに。どうやら、楽しさを追求するあまり倫理観に欠けているところが、世間から受け入れられていないようだ。

博士のモチベーションの大部分は、世間を見返すことだと思われる。世間に認められるために数々の発明を繰り返しては、あっけなく否定されてきたのだろう。その延長線上に最高傑作は産まれた。客観的に見れば、世間から賞賛されるための"手段"として創り出されたモノに過ぎない。

しかし、博士がそそぐ眼差しはとても暖かい。これまで独りで楽しさを追求してきた博士にとって、最高傑作は楽しさを共有しうる掛け替えのない存在でもあるのだ。数学や科学、歌やダンス、ポーカーやチェス……。思いつく限りの「自分が楽しいと思うもの」を早く教えたくて仕方がない。

そうして博士が思い描くゴールは、『どいつもこいつも友達にしてやる』ことだ。自分を認めてくれない世間に苛立っているものの、いつかは友達になりたい、きっとなれると願っている。なんと健気な、性善説論者だろうか。博士にとって発明という行為は、楽しさを追求するためのものだけでなく、世間と友達になるためのラブコールでもある。

最高傑作は、博士の"友達"第一号として、そして世間への橋渡し役として、両者の間に立っていくのだろう。

 

 

3. 最高傑作はなぜ笑った?

自我が芽生えたばかりの最高傑作は、表情に乏しい。言葉もほとんど発しない。そんな調子の最高傑作が、ボイスの最終盤に突然 笑顔をこぼす。それを見て博士は『なにを笑っているんだ』と嬉しそう。自分にとって一番印象的なシーンだ。

なぜ、最高傑作は笑ったのだろう?博士が特別おもしろいことを言ったわけでも、なにか嬉しいプレゼントをもらったわけでもない。博士はただ、最高傑作の教育方針について熱弁していただけだ。

自分はボイスを聴いているあいだ、最高傑作を"赤ん坊"に投影していた。人造人間として目を覚ましたばかりの状態は、赤ん坊が体験するものとまさしく同じだと考えた。五感でキャッチする刺激はどれも鮮烈で、処理が追いつかない。感じたことを噛み砕き、それを表現するすべを知らない。

赤ん坊は、言葉を話せない。ではどうやってコミュニケーションするかというと、模倣する。新生児であれば舌を出し入れする動きを見て真似する。生後2ヶ月にもなれば大人の笑顔をみて笑い返すようになる(社会的微笑)。
とすれば、最高傑作がこぼした笑顔はウキウキと熱弁する博士の顔を見て笑い返したものではないだろうか。コミュニケーション発達の初期段階なのかもしれない。考えすぎかしら…?

 

もう少しシンプルに別の理由を想像してみる。
博士が最初に教えてくれたこと、それはめいっぱい楽しむ権利だった。動き出したばかりの最高傑作をハロウィンの町に連れ出したのは、その教えを実践させるためだ。そして繰り返し尋ねる、『楽しいか?』と。

おそらく、Trick or Treatの応酬をしたときも、パーティ会場で甘いものを食べたときも、目の前の刺激を受け止めることに精一杯で、最高傑作の感情が動く隙などなかったのではないだろうか。

騒がしい町を抜け、博士が一方的に喋るのをぼんやり聞きながら帰る途上、今日体験したことを思い出す。飾り付けられた町並み、笑顔で近づいてくる子どもたち、煌びやかなパーティ会場、甘くて美味しい食べ物。最後には追いかけられて逃げ出した。なんだかよく分からないけど、胸があったかくなる。そして笑みがこぼれた。

このとき、博士の教えは最高傑作に届いたのではないか。「楽しむ」という心の所作を初めて理解したのではないか。博士が楽しいと思うものを、最高傑作も楽しいと感じる。博士の理解者として萌芽した瞬間かもしれない。

 

赤ん坊のように博士の笑顔を模倣したのだとすると、楽しいという感情はまだ理解できていないことになる。しかし、コミュニケーション能力が発達していく兆しでもある。この先の成長が楽しみだ。
一方、この時点で楽しむという行為を理解したのだとすると、それは心の底から出てきた本物の笑顔だ。その笑顔は、博士の孤独を癒やしてくれるに違いない。博士を骨抜きにしながら。

読者はどんな解釈をされただろうか。

 

 

4. ふたりの将来は?

ボイス以降の世界線でどんな結末を迎えるか、妄想を垂れ流すコーナー。よいしょ~。

ボイス後の世界を暗示するキーワードとして出てくるのが、『世界の果てでも、ど真ん中でも』だ。文字通りに受け取れば、世界のどこにいてもくらいの意味にしかならない。
しかし、博士がここで思い描いているのは2つの可能性だ。つまり、世間に受け入れられた場合(=世界のど真ん中)と、受け入れてもらえなかった場合(=世界の果て)。このキーワードは、解釈の余地をさりげなく明示してくれる素晴らしいものだと思う。以下では、この2つの方向に沿って結末を妄想していく。

 

その1. 大団円!みんな友達エンド
最高傑作が世間に受け入れられて、博士の願い通りに皆と友達になるハッピーエンド。都合良すぎる感が否めないが、ハピエン厨の自分はこういうサクセスストーリー好き。映画化する際はこの終わり方にしてください。

 

その2. 博士の城でふたり幸せに…エンド
最高傑作は世間に受け入れられないまま、閉じた環境の中、博士とふたりっきりで楽しい毎日を過ごしていくエンド。関係性のオタクでもある自分にぶっ刺さる。ほのぼの系の漫画として長期連載してほしい。

 

その3. あらたな最高傑作を求めて…エンド
これは最高傑作を"手段"と書いたときに、ふと頭をよぎった考えなんですけど。いくら天才科学者と言っても、いきなり人造人間を完成させるなんて可能なんでしょうか?試行錯誤を重ねて改良することが必要ではないでしょうか?ボイスに出てくる最高傑作は"何体目の"最高傑作なんでしょうか?なぜお洋服がすでに仕立てられている?過去に創られた"最高傑作"はどこに?世間から認められないものなど"最高傑作"として失格?要らない子?…………

まあ、現在の最高傑作に愛情をそそぐ博士を見ていれば、こんなバッドエンドにはなり得ないと思いますが。意味が分かると怖い話スレに載せるならこの方向で。

 

自分的には、その2が一番かなと思います。だって、『天国にも地獄にも行き場のない哀れな男が小さな灯りとともに彷徨い続けている』ジャック・オー・ランタンの寓話と重なるじゃないですか。最高傑作は小さな灯りとして博士の行く末をひっそり照らす。そんな感じで続いていくのでしょう。

最後まで読んでくれてありがとうございます! 「スキ」やSNSへのシェアなどしてくださると励みになります。 万が一、もしも有料サポートをいただけましたら、推しVtuberにスパチャを投げます。非効率なので非推奨。