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Vtuberのオリジナルソングと、アニメのキャラクターソングの決定的な違い

音楽系Vtuberリスナーを自称しているあごひげ20cmです。

先日、自分のツイートがちょっぴり伸びました。推しクラスタ外の人にも反応してもらえた実感があり嬉しかったです。

こんな小学生並みの感想なツイートだけで終わらせるには惜しい話題だと思ったので、140字には収まらない自分の考えをnoteに記そうと思った次第です。

あと、例に挙げたような、Vtuberが作詞した楽曲+αを紹介したいと思います。

※注意※
・本記事には、アニメのキャラソンを貶める意図はありません。キャラソン好きです。
・『Vtuberが自分で作詞すると、エモさが容赦なく爆発するよね』ということが言いたいだけの記事です。

 

 

0. ツイートのきっかけ ~アニメキャラとの違い~

前述のツイートのきっかけとなったのは、こちらの記事。Vtuberライザ・フォン・ガルファンゼール16世が、オリジナル楽曲のために作詞した過程を述懐したもの。一柱の魔王が自身の内面に「少女性」を見出し向き合うさまは激エモ。必読。曲も素晴らしい旋律だから聴いてってよ。

ライザ陛下は記事の中で、作詞への意気込みを以下のように振り返っている。

ガッツリキャラクターソング!という感じにはしたくないが、自分の心の中にある何かを歌いたい、であれば自分でしか作詞はできないと考えた

自分が本記事で伝えたい要素は、この一文に集約している。


”アニメキャラ”には「自身の内面を掘り下げて歌詞として出力する」ことは出来ないのだ。
だが、"Vtuber"ならばそれが出来る。自分の言葉を紡いで自己を表現することができる。そうして創り出される歌詞には説得力がある。説得力があるから、より心揺さぶられる作品になる。そういう話。


もちろん、アニメのキャラクターソングにも名歌詞はたくさんある(筆者は畑亜貴先生を大尊敬している)。でもその歌詞を考えたのは作詞家であって、キャラクターではない。腕の立つ作詞家が「このキャラはこういう事を考えて、こう表現するだろうな」という想像力を遺憾なく発揮して書き出されたものだ。キャラソンの歌詞は、第三者の言葉にしかならないのだ。こればかりは構造上の問題でどうしようもない。

(逆に、アニメキャラの常套手段として、【物語性】を歌詞に組み込むことで楽曲に奥行きを付加することができるという強みがあることは付記しておく)


Vtuber文化が栄えはじめた頃から、多くの識者が「アニメキャラとVtuberの違い」について考察を重ねてきた。本記事の趣旨もそれらの考察に重なるところが大きい。

アニメキャラと違って、Vtuberは自我を持っている。バーチャルな存在でありながら、"魂"という実在を内包している。

メタ的な視点から見れば、アニメキャラは視聴者に見られていることを意識していない。一方Vtuberは、視聴者の視線・反応を意識して、動画や配信をアウトプットする。いわゆる"双方向性"というやつだ。

そういったVtuber特有の構造を踏まえると、Vtuberが自身の内面を掘り下げるような歌詞を書くことの破壊力がより実感しやすいと思う。


念のため、シンガーソングライターが自身を歌いあげることとの違いにも言及しておく。これは簡単なことで、バーチャルの存在かそうでないかキャラクターとしての物語を有しているか否か、という点だ。

現実のシンガーソングライターが歌うのは、等身大のひとりの人間としての自分だ。そこには「人生」という物語があるものの、「現実世界」という制限から逃れることはできない。これも構造上の問題でどうしようもない。

現実世界で生きる我々と比べて、バーチャルな世界に生きるVtuberはあやふやな存在だ。自身の容姿・言動によって独自の世界観を構築し、自己を規定していかなければならない(その自由度がVの魅力ではあるのだが)。そういうあやふやな存在だからこそ、オリジナルソングとして発表されるVtuberの言葉には強烈なアイデンティティの輝きが伴うのだ


本記事で言いたいことはおおむね語り尽くしたので、以下では具体的な楽曲を紹介しながらその魅力を見ていきたい。

味わい深く鑑賞するコツは、まず歌唱しているVtuberのキャラクター性をイメージする。次に歌詞に耳を傾ける。その歌詞が産み出された背景に思いを馳せる。そうしてエモを享受する。それだけ。

 

 

1. ライザ陛下『灰かぶりの女王』

上述した通り、ライザ陛下という魔界を統一されたほどの偉大な魔王が、自身の内面に少女性(=白いわたし)を見出して紡ぎ出された歌詞であるということに注目してほしい。サビの歌詞を一部抜粋してみる。

夢を想う憧れを 誰も知らない
Alexandrite, Moonstone, Imperial Topaz 内緒の色
誰にも打ち明けられない 白いわたし
奪った夢の上に立ち 生きているのに
迷い巡り選べずに それでもまだ
想いを断ち切れずにいる 黒いわたし
夢を想う憧れを 誰も知らない
迷い巡り選べずに それでもまだ
在るがまま、わたしなのだと 胸に響く

白いわたしと黒いわたしの間の葛藤が、悲痛なほどに吐露されている。魔界の頂点に君臨する者として、内面にある少女性を誰にも明かすことができずに、だからと言ってそれを自己否定するでもない。最後の歌詞はこうなっている。

何も守れなくても 灰を抱き歩む

白と黒をない交ぜにして、葛藤を抱えたまま進まんとする決意。その健気な格好良さに心打たれる、そんな作品だ。

 

 

2. 卯月コウ『アイシー』

本人歌唱の動画は現在(2020/09/25時点)非公開のため、ぼっちぼろまるさんのセルフカバー動画を掲載。

卯月コウという人物を一言で説明するのは難しい。ただ、この曲では「光」に憧れる孤独な主人公がそれを手に入れるまでの物語が、卯月コウというライバーの成長になぞらえて歌われている。ライバーになるきっかけとなった月ノ美兎や、同期として一緒にデビューした鈴木勝・出雲霞を暗喩するフレーズも挿入される。

曲中で何度も出てくる「瞳孔」は、目に入る光の量を調節する器官だ。明るい光を受容すると縮み、暗い場所では開く。その点に注目してサビの歌詞を見てほしい。

嘘じゃなかった 何も見えなくなった
瞳孔が縮んだ 眩しい光
ぼくもそこへと 憧れた夜も
物語はまだひとり
嘘じゃなかった 何も見えなくなった
瞳孔が開いて 泣きそうになる
誰かいるのに 気付かずに待った
物語はまだひとり

自他ともに認める陰キャだった卯月コウが「光」に憧れた夜。
暗がりの中で「誰か」の存在に気付けずに泣きそうになった夜。

嘘じゃなかった 光が強くなった
瞳孔の適応が間に合わないようだ
どうやったって僕は よわいいきものだけど
この目だけは逸らさない

しかし、見上げてみると嘘みたいに綺麗な花火が咲いていることに気付く。同期2人の名前を暗示するフレーズが、花火の眩しさを表現するのに使われていて心憎い。

嘘じゃなかった 夜は広がっていった
瞳孔は正常に開いてみせた
届かないと分かって  あの月に伸ばした手
優しい物語に触れた

卯月コウの立ち位置は、あくまで「夜」のままだ。しかし、その目が見定める先はもう迷わない。

月には兎がちゃんといた
アイス当たるなんてもんじゃない 奇跡があった

陰キャ中学生が触れた「奇跡」は、視聴者の目にも眩しく映る。

 

 

3. 羽子田チカ『きみとメモリー』

羽子田チカさんは、失った自分の記憶を取り戻すため、故郷に戻る手がかりを捜すために活動をなさっているVtuberだ。羽子田さんがこれまでに思い出した記憶はTwitterハッシュタグ「#チカのかけら」で確認できる。

この楽曲は、内面を掘り下げた歌というよりは、大切な人(=君)との関係性を歌ったものと言った方が適切かもしれない。しかも、ほろ苦い離別を迎えてしまった関係だ。歌詞を抜粋してみる。

君の心と触れるたびに 鼓動が揺れる
決して振り返る事はないように 飛び越えてくの
僕の心に刻むメモリー 尊き日々が
いつまでも続くような気がしたんだ 胸が痛いよ
君の事を思い出す度に 心は揺れる
決して振り返る事はないように 飛び越えてくの

歌詞の切なさもさることながら、情感を込めて歌われる羽子田さんの歌声、その悲痛な叫びに心が揺さぶられる。大切な人との別れを悲しいものとして真っ当に受け止めながら、もう振り返らないように……という決意。

記憶喪失してしまった羽子田さんの存在は、どこか儚い雰囲気を纏っている。すべての関係がリセットされた孤独からのスタート。そんな中で出会った友達というのは、どれほど大きな存在だろうか。想像して胸が詰まる。

『きみとメモリー』は、羽子田さんが紡いできた物語の中でも、その人格に多大な影響を与えた場面が歌われている楽曲だと思う。であれば、キャラクターの内面が間接的に描写されている作品と言っても過言ではない。

涙を拭った夜に ひとりぼっちで踊りたい

翳りを帯びた羽子田さんの芯の強さは、こういうところに起因するのだろう。


ちなみに、この楽曲については下の記事でより深くまで考察されている。併せて読んでほしい。

 

 

 

番外編1. カバーだけれど凄まじいアレンジで自分のものにしている楽曲

カバー楽曲でありながら、歌詞やオケのアレンジを大胆に改変する+文脈を汲むことでVtuberのものになっている場合もある。という体で、ただ神アレンジを紹介するだけのスレ。原曲との違いを聴き比べてみるとさらに味わい深くてオススメ。

BOOGEY VOXX『VR』(原曲:KMNZ)


メトロミュー『水星』(原曲:tofubeats feat. オノマトペ大臣)


ころねぽち『ぼくも傘がない』(原曲:ぼっちぼろまる)


とりあえず3曲だけ紹介。キリがないくらい、世界は良アレンジに溢れているので。

 

 

 

番外編2. Vtuberが作詞していなくても『強い』オリジナル楽曲

この記事を書くにあたって、Vtuberのオリジナル楽曲を掘り返してみたところ、「この歌詞、第三者が書いたの!?」と驚くことが多かった。天才が多すぎる。そんな楽曲を紹介して、冒頭に熱弁したことの説得力を消失させるコーナー。

緑仙『イツライ』(作詞:ぼっちぼろまる)


ぽんぽこ『はなとなり』(作詞:ぽこぴーリスナー有志)


名取さな『さなのおうた。』(作詞:もっちゃん)


はい、俺の負け。なんで負けたか明日までに考えといてください。

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