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あるアジ達の結末

今朝僕は昨日の夜スーパーで買ったアジを三枚に下ろしました。頭を落とす瞬間、アジと目が合いました。

どこ生まれのアジかも分かりませんが、首回りに猛烈な嫌悪感がありました。

使命感だけで身体を動かし、なんとか捌き切りましたがまだ一匹捌けておりません。

今までやったどんなことよりも後悔というか、嫌悪感と罪悪感が入り混じり、こみ上げてきます。


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肉や魚を食べることはある生き物の命を奪うことである。

当たり前のことですが、我々はどんどんこの嫌なことから目を背けられる・見ないで済むようになっています。

スーパーに行けば捌いてある魚、綺麗に部位ごとに切られた肉が所狭しと並んでいます。

どこかの海や野原で生を謳歌していた生き物の命を奪い、自分たちの都合という刃で肉体を刻む。

敢えてこういう生々しい書き方をしてますが、我々は皆魚や牛たちに対して、誰かに嫌な部分を肩代わりしてもらってのうのうと生き、調理に文句をつけている。

強烈に違和感があります。

現代社会で生き抜いたり、社会的に成功を収めるために知っておくべきことはもっと他にあるのかもしれません。SEO対策とか、タッチタイピングとか動画編集とか。

朝から魚を自分で食べるためだけに捌くのは手間もかかる無駄なことなのかもしれません。

他人から見ればね。それも僕とは価値観の違う人たちからしたら。

たった一匹のアジを捌くだけで、こんなに嫌な気持ちになることを知れたのは後から大きな意味を持つような気がします。

超一般化すると、

自分が嫌なことを押し付けられて、押し付けた奴が旨味だけを吸い上げる様を見るのは誰しもが嫌なことだと思います。

それを生き物相手にやっている。

忘れがちだけど、大切なことだと思います。









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