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やりたいこととやるべきこと

多くの若者は「自分がやりたいことをやるために会社(既存の大手企業)がある」とお考えになられていらっしゃるようです。

ある程度の年齢を超えた方々からしたら「ハア?」となる、理解できない考えかもしれません。

若者に分類される(こないだ27歳になりました!)オーシマもちっともわかりません。

ひょっとしたら、最近の若者は孔子の解く「心の赴くままに振る舞っても、物事の道理から外れなくなる」状態にいるのかもしれません。

オーシマは心の赴くままにお酒を飲むと顔真っ赤っかになり、歩きながら「大都会」のサビや歌い出しを歌いながら街を歩き、しまいには家の外であっても眠ってしまいます。
自分で書いていてなさけなくなるくらいには最悪ですね。修行がたりない。

そんなお酒に弱いオーシマはわからないなりに彼らがそういう結論に至った過程をなぞってみようと思います。

今の若者は、「好きなことで、生きていく」という謳い文句とともに増えて行ったYouTuberが有名になっていくプロセスを見ているから尚更、自分のやりたいことに価値が、特に資本主義的な価値があると思っているのではないでしょうか。

皆さんの個人の単位では、やりたいことや向いていることに価値はあるんです。しかし、多くの人があなたが好きなことをやるところを見たいか?しかも、お金を払ってまで見たいか?と考えると残念ながら、そうではない。

実は私も「好きなことを仕事にしたかった」という人に個人的に話を聞いてみると、「生活できなくてもやりたいというほどではない」という結論が返ってきました。虫のいい話でしか無いように聞こえますが、ここに肝があると思います。

霜降り明星の粗品のように、借金まみれになってでも賭け事をしたい!というほどの熱意もない「好きなこと」って、あなたにとってどれくらいの水準の「好きなこと」なんでしょうか?

時代が変わっても、「脇目も振らずに打ち込める何かに20代で出会い、そのことでご飯を食べていける若者は極めて稀である」というかなり再現性の高い仮説は今も反証しきれないでいる、ということなのでしょう。

「好きなことで生きていく」人たちは、やりたいことを仕事にすると、いつか「生きていくためにやらないといけないこと」に変わってしまうことを忘れないでほしいです。
その上で、どうやって生きていくか判断を下すのはあなた自身です。
死ぬほど考えてください。これ以上考えられないくらい一生懸命考えてください。

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