パンクロック 9
アルバムのリリースが決まり、レーベルのホームページに僕たちのCDが発売されると告知が出た。13カ国でリリースされるとのことで、アメリカ・カナダだけかと思っていた僕の想像を超えたスケールに興奮した。
エリックやダレルの人脈を通じて、コロラドにスタジオを持つレコーディングエンジニアの人と打ち合わせをかねて食事をすることになった。
場所は某アメリカンダイナー。
エンジニアの人はポールという、ぽちゃぽちゃっとしたメガネの白人で、Strung Outなどの、そこそこ知られたバンドのレコーディングに関わったことがあるという人だった。
各楽器担当者に「レコーディングの心得」的なプリントが渡されて、ギターのところには「一曲録音する毎に弦を変えましょう」みたいなことを書いてあって驚いたのを覚えている(その後いろんな人に話を聞いたら素人レベルでそこまでしないらしい)。
ポールからはレコーディングのことだけでなく、インディーズバンドのメンバーが普段どうやって生活しているのかも教えてくれた。
「有名なバンドは音楽だけで生活が成り立つと思われてるけど、よっぽどメジャーじゃなければそれは無理だよ。ビクトリーレコーズに所属しているくらいの知られたバンドでもみんな本業を持ってるから。あまりお金のことを気にしても仕方ないよ」
と、バッファローウイングを汗をかきかき、頬張りながら言っていた。彼は肉しか食わないので、僕が付け合わせのセロリを食べていた。
レコーディングの打ち合わせから数日後、エリックから電話があった。
「ダレルがレコーディング終わったら辞めるって」
「え!?じゃあそのあとどうするの?」
「LAに行こうぜ!デカい街なら上手いボーカルがいるさ。ドラマーもたくさんいるしさ」
そう。ドラマーも。
実はドラムのロジャーはレコーディングをするにあたって、ギャラを要求していた。元々ヘルプとして入ったセッションドラマーなので、これは正当な要求だった。
けれど、僕たちにそんな余裕はない。
このアルバムは僕にとって、アメリカでの生活がかかった大勝負だった。お金を払うのであれば理想のドラマーがいい。
ただ太鼓を叩ける人じゃなく、“パンクロックドラマー”が欲しかった。ロジャーは僕の考えるバンドの音には合っていない。結局ロジャーとはこれっきりになったが、ここまでは想定内だった。
問題はダレルだ。彼はバンド経験がないのにも関わらず、声の質やMCの上手さなど、ボーカルとしての器量は十分だ。こいつにやめられるのはきびしい。
エリックがリードボーカルを取るにしても、ヘタクソで日本語訛りの激しい僕が、英語でエリックのパートを歌うなんてマイナスにしかならない。
ダレルは僕と同時期に大学を卒業して、IT関連の会社に就職が決まっていた。パンクロックもバンドも大好きな彼が将来のことを真面目に考えた結果なので仕方がない。
ダレルの脱退は決まった。
しかしそれだけで終わらなかった。
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