もう高校生ではないという幸せ 2024年3月【5】
「秋津の乗り換え」と言えば悪名高い。それは東京都東村山市にある。西武池袋線・秋津駅とJR武蔵野線・新秋津駅との間の乗り換えのことだ。
両駅は約400m離れている。歩いて5分ほどの距離だ。朝夕のラッシュ時には人があふれかえる。道は決して広くない。車は通るし、クランクもある。はっきり言って危ない。
2001年4月、私は高校に入学した。自宅は西武線沿いで、学校は東武東上線沿い。「秋津の乗り換え」をせねばならなくなった。
若くて体力もあったから、乗り換え自体は苦ではなかった。ただ学校に行きたくなかったので、景色がいつも灰色に見えた。
ある朝、パチンコ屋の前で、スーツを着たおじさんが嘔吐しているのを見た。それは透明だったので、酒だとわかった。高校1年生の私には衝撃的な映像だった。大人は醜い、中年男性は醜い、サラリーマンは醜い、と思った。
ここには論理の飛躍がある。その人の姿が醜かっただけであり、それを大人全体、中年男性全体、サラリーマン全体への嫌悪につなげるのはおかしい。今ならわかる。でも16歳の私にはわからなかった。
新秋津駅から北朝霞駅まで乗る。途中で関越自動車道の上を通る。私は毎朝、それを見るたびに「どこか遠くに行ってしまいたい」と思った。
北朝霞で東武東上線に乗り換える。営団地下鉄直通の電車にあたると嬉しかった。窓に「帝都高速度交通営団」と書いてあったからだ。「帝都」という言葉に私の胸は躍った。
この言葉を見ると、戦前の日本にタイムスリップできた。現実を忘れさせてくれる素敵な言葉だった。
学校の最寄駅で降りる。青い制服を着た人々が同じ方向に向かって歩いている。私は男子生徒がローファーを引きずって歩く姿が大嫌いだった。なんてカッコ悪いんだと憎んでいた。
まもなく私は不登校になった。通信制高校を経て、大学に入った。
長いこと、自分が高校生だった頃の夢を見ていた。なぜか大学に通いながら通信制高校にも通っているのだ。そして大嫌いな体育の授業を受けている。
私は「学校やめたい」「行きたくない、行きたくない」と泣きべそをかいている。そして「もう大学生なんだから高校に通う必要はないんだ」と気付く。
この夢を何度も何度も見るのだ。私は毎回苦しそうに高校に通っている。毎回もはや通う必要がないことに気付く。そして目が覚める。
私はもう高校生ではない。それだけでも幸せなことだと思う。
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