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東京報道新聞社主催「第5回ライティングコンテスト佳作入選記事」

「五感のレシピ」
塩。それは私達の暮らしに欠かせない調味料です。現代の製法の主流は「釜炊き」で、一気に高温で炊き上げます。その為、効率的に大量生産することが可能です。しかし、その過程でミネラルが損なわれることもあります。その対極にある製法が、太陽の力でつくる「完全天日塩」。日本は高温多湿なので、自然の力だけで海水を蒸発させるのには、困難が伴います。

それでも、完全天日塩にこだわる若者がいます。「田野屋銀象さん(1993年生まれ)」です。彼は高知県の大自然の中で生まれ育ちました。そして今もそこを片時も離れません。それは天日塩という、とても手のかかる子供がいるからです。

私が初めて彼の存在を知ったのは、フリーペーパーの記事でした。「塩を混ぜる感覚が楽しくて、その瞬間に惹かれました」

子供の感覚を持った人、遊びの延長で楽しく生きている人、という印象をもちました。同時に、息子(現在10歳)の将来と重なるような気がしたのです。話を聞いてみたくて、彼のホームページから連絡すると、快く引き受けてくれました。その後はメールで何度かやり取りし、塩への思いや息子のこと、互いのことを話し、オンラインインタビューとなりました。

「初めまして」挨拶すると、銀象さんは「ちょっと移動します」と、スマホを片手に席を立ちました。あっという間に、高知県は仁淀川の近くにある工房の中にワープしたかのようです。彼のスマホが映し出す光景に、思わず声が出ました。


木材の自然な風合い、まっさらな食塩、澄んだ青空、
実に美しいコントラストです。

銀象さんの塩の工房は、ビニールハウス仕様で3棟あり、自宅を含め500坪の敷地内にあります。このビニールハウスの骨組みはすべて木材。鉄筋だと、塩によって錆びてしまうからです。取材当日、まだ4月にも関わらず、工房の温度は40度を超えていました。銀象さんは水着にサンダル姿でした。

広い工房には100cm×80〜90cmほどの箱が整然と並びます。塩の箱が全部でいくつあるのか尋ねると、「156箱、つまり156種類を育てています。でき上がる粒の大きさ、形、溶け方、ミネラルバランス、全部違います」とのこと。銀象さんはインタビューの間、何度も「育てる」という言葉を使いました。彼は「塩は生きている、呼吸する」と言うのです。

理由の一つに、2〜3ヶ月という長時間をかけるという完全天日塩の特徴があります。台風などで窓が開けられずに湿度調整ができない時や、強い日差しで気温が上昇した時でも、時間をかけて成長するので、その後の温度調節でいくらでも修正が可能なわけです。

パンクロックで食べて行くと決めて、
ギターに明け暮れていた手は、
理解ある伴侶の手とあわせて両手となり、
今、唯一無二の塩を作り出す。

「塩作りで大切なのは基本的に知識、根気、経験の3つ。実際の作業も実は3つだけです」。彼は素人の私にもわかるように、必要なことだけを明確に話してくれました。

「天気や季節によって違いますが、塩作りの作業は海水を撹拌する、(タイミングを見て)海水を汲み足す、窓の開け閉めで温度調節をする、の3つです。ちなみに冬はあまり混ぜません。夏は小まめに混ぜないと狙った結晶にならない。たとえばこの、ピラミッド型のものです」

ピラミッド型の結晶。これ以外にも正方形のものや、
ゴリゴリとした金平糖のようなものまで、
様々な結晶がある。

それを見た時、私は最初、結晶とは思えませんでした。

「これ、どちらが上か分かりますか。先の尖った方だと思うでしょう。違うんです。薄く膜状になった結晶が少しずつ海水の中に落ち込んで、逆三角形ができる。それをひっくり返すとピラミッドに見えるというわけです」

私は思わず、画面に近づいて結晶を凝視しました。それはまるで宝石のようでした。

「出来上がる結晶は毎回違う形です。狙ってできるものではないですが、今ではほぼ、思い通りの形や味が作れるようになりました。パウダーのようなものから、一枚板のような頑丈な結晶まで様々です。3年間の修行のおかげです」

話は修行時代に及びました。

「一応給料は出るのですが、開業資金に回していたので、余裕はありませんでした。でも、とにかく常に塩に触れることができるので、苦ではありませんでした。明け方4時くらいから工房に行って、深夜に帰宅する毎日。睡眠は3、4時間でした」

実は、完全天日塩による塩づくりは最初、銀象さんのお姉様が、師匠に誘われて始めました。銀象さんは当時、まだ高校生だったということもあり、弟子入りを断られました。師匠からは「まず世間を見て来い」と言われたそうです。

彼は、とりあえず大阪の大学に進学するのですが、まわりの友人が就職活動していく中でも、塩のことが忘れられませんでした。「触りたくて仕方なかった」と言います。子どもの頃に砂遊びしたような、あの高揚感が忘れられなかった彼は、塩のそばにいたいという一念から、地元の高知大学に編入しました。

在学中からアルバイトをし、卒業後、満を持して彼の本格的な塩人生がスタートしました。工房に入り浸り、試行錯誤を繰り返す日々の中、彼は決して記録はせず、感覚を研ぎ澄ませ、作り方を身体に叩き込んでいったそうです。

「どれだけ失敗するか、なんです」と彼は言葉に力を込めました。

「相手は自然ですから、その日の天気次第で思い通りにはいかない。つまり、記録を付けてもマニュアルは作れない。だから修行なんです。失敗する度に、それもまた新しい塩になります」

生活の殆どを塩に捧げる銀象さんは自らを「塩杜氏」と名乗ります。最初は「完全天日塩職人」と紹介していました。しかし、東京から近所に移住してきたデザイナーさんが「塩杜氏」を提案してくださったそうです。その方は、日本酒のラベルをデザインしていました。酒造りの奥深さが、塩作りの繊細さと重なる部分があったのかもしれません。

「杜氏として、天日塩を高知の文化とすべく牽引してほしい、との思いも頂きました。そこから「塩杜氏」と名乗っています」

インタビューの最後、彼は私に大きなヒントを残してくれたように思います。

「大切なのは何でも体験することです。たとえ失敗しても、飽きずに次はこうしてみようと試行錯誤できる、どんどんアイデアが浮かぶ。それが情熱だと思います。僕は、塩に関してのアイデアは無尽蔵なんです」

話は変わりますが今の教育の現場では、「総合的な学び」を通して体験を重視するカリキュラムが増えています。世界で最も少高齢化が進む日本は、高度経済成長期のように言われたことをこなしてさえいれば安心して暮らせる国ではなくなりました。これから求められるのは、誰も直面したことのない課題に取り組み、解決していく力です。その土台となるのが体験ではないでしょうか。

一方で、「体験」という言葉が一人歩きしているような気もします。つい最近まで、教育産業のキャッチコピーは「お子様の志望校、今の塾で大丈夫ですか」でした。今は「お子様の課外活動、それで大丈夫ですか」です。「体験」という分野のビジネスが、着実に生まれているのです。

私は銀象さんの言葉を幾度となく考えました。失敗を繰り返しながら挑戦し続けるその先で得るものは、AIに負けない「五感のレシピ」です。そしてそのレシピは、複雑化する時代を生き抜く力を生み出すために必要なものになるでしょう。私は銀象さんのように「やり続ける」姿を息子に見せなければならないと、決意を新たにしました。「体験」は誰かに用意してもらうものではなく、私達の日常の中にこそあるのです。

https://tokyonewsmedia.com/archives/5308

ライター:栗原美穂

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