みや

てげてげやっど

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もう恋なんてしない

前の投稿でカリーソムリエを自称していた私だが実際に週の半分くらいはカリーを楽しむ日がある。作ることもあるしレトルトを食すこともある。 しかしどんなカリーにも私は必ずカイエンペッパーをたす。食卓に持ち出して。それは辛味を足すという仕事ではかなりの働きぶりを見せた。 一度に多くの量を足してしまうと、粘膜や内臓にとってかなりの凶器になる。なので食べながら少量ずつ足してゆく。 いつしか私は適量を探すという目的を放棄していた。辛さの限界という壁を動かそうとしてその赤い粉を好奇心の

    • 溶けてる

      進撃の巨人に登場する始祖ユミル。彼女を縛り付けていたものは王に対する愛だったという描写がある。   彼女は愛することは従うことだと思っていたのだと思う。なので愛するが故にエレンを手にかけたミカサを見て長年の呪縛から解放されたのではないか。 私は父から嫌われることを怖がるなと言われて育ってきた。その言葉通りに私は自分を信じて我が道を進んできた。 スピッツのひみつスタジオに収録されている『ときめきパート1』という曲に 嫌われるのはやだな というワンフレーズがある。 私に

      • 後の自称カリーソムリエ私

        カリーを作る。それは芸術であり、出会いである。 日本ではカレーと呼ぶそれをカリーと呼ぶことに少々恥ずかしさを覚えていた18歳の頃、地元の小さなインドカリー屋さんでアルバイトをしていた。 毎日仕事が終わるとインド人のシェフがカリーを作ってくれる。 外人が日本人は毎日寿司を食べていると思っているという話があるが、そのインド人はマジで毎日カリーを食べていた。しかも三食だ。 毎日様々なカリーを作っていた。ダールマッカーニや、マトンマサラ、ナスとポテトのカリー。 ほんとにカリーし

        • ハチの針

          14歳の時。地元鹿児島を離れた修学旅行先で地元の中学生たちを見かける。 知らない人達であるが私たちと変わらずに友達と話していたり、一人で歩いていたりする。 私もここに生まれていればその子たちと笑っていたのだろうか。 そして鹿児島で流れている日常なんか全く知らずに生きていのだろう。 私にとっての故郷が誰かにとっての知らない土地で知らない日常であり逆も然りである。 人の数だけ私の知らない無数の日常がある。 できることなら全てを知っていたい

        もう恋なんてしない