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学校教育は完全に時代遅れだ!!!

この世は常に不平等であり、全て自己責任である。

自分のけつは結局誰も拭いてくれないし、誰も守ってはくれない。

人間は誰しもが最後は自分を守る。あなたに今アドバイスしてくれてる人もきっとそう。

いっけん人のために生きてそうな人も自分がいちばん大事。

例えば彼女が拳銃で撃たれそうな時に盾になって撃たれる彼氏も人の人生を優先した選択ではない。

撃たれる彼女を目にする自分や、自分1人で生きていく未来よりも、自分が撃たれて彼女を守るという人生を自分のために選択している。

そういうかっこいい自分や、人のために生きるという生き様を守るために自分のために生きている。

自分が撃たれることによって、罪悪感を抱えて生きていく彼女の未来なんて考えもしない。

人というのは結局いちばん自分が大切なのだ。


話は変わって昨今、教育(学校)の世界ではとてつもないくらいの規制がある。

スマホ禁止。お菓子禁止。扇風機禁止。

テクノロジーの進化によって誕生したものは、それによって与えられた恩恵やメリットのことなんか全て忘れたように制限する。

テクノロジーが進化するとその最先端を使いこなせる人が金持ちになり、それに乗り遅れた人間が貧乏になるという歴史をほとんどの人は気づきもしない。

堀江貴文さんがいつも例える話だが、江戸時代、飛脚人(走って荷物を運ぶ人、いわゆる足が速い人がやってた仕事)は列車の登場によって職を失った。

その時、過去の栄光なんかすぐに捨てて、すぐに電車の免許をとりに行った人は金持ちになった。

しかし、「列車ができたせいで自分たちの職がなくなったんだ!」なんて不平不満を言い、足が速い!とか、これまでこうやって稼いでたんだ!とか過去の栄光を捨てきれず、時代の波に遅れた人間は貧乏になった。という話がある。

これはいつの時代も同じだ。人間は何度も同じ過ちを繰り返す。

つまり、今の時代はスマホを使いこなせるかどうかで人生が決まる。

金持ちはスマホ一つでソファーに寝転がって稼ぎ、貧乏人はスマホ使用禁止の中で1日業務を行う。

そんな現実にほとんどの人は気づきもしない。

これを聞いても、まだ教育でスマホを禁止する必要性があると思えるだろうか?

確かに、テクノロジーの進化が大きければ大きいほど、大きなデメリットも生んできた。

ナイフの誕生で料理が作れるようになった一方で、殺人が生まれた。

銃の誕生によって狩が楽になった一方で、殺人が生まれた。

車の誕生で移動が楽になった一方で、交通事故が生まれた。

スマホが誕生したことによって、いつでもどこでもインターネットが繋がるようになった一方で、いじめや誹謗中傷がうまれた。

つまり、テクノロジーの進歩が大きいほど、メリットも大きくなりデメリットも大きくなる。それらを使いこなせるかどうかでとてつもない格差が生まれる時代になったわけだ。

だったらこの時代に生きていくには、誰よりもスマホのメリットを使いこなし、デメリットを排除する知識が必要だ。そのためにはどんどん使っていくしかない。車を運転しなければ運転技術は上達しない。スマホも普段から使っていなければ使いこなせないのだ。

だったら教育でも使っていく以外の選択はないのではないだろうか?

大事なのは制限することではない。

テクノロジーの進化によって生まれたそれらの使い方や知識を教えること。

そして、それによって起こる出来事は全て自己責任であり、もし何か起きても誰も味方はしない。
世の中は不平等である。

という現実を教えるのが教育ではないだろうか?

少なくとも私はそう思う。

まあこういうと偏った考えだ!とかいう人もいるのだろうけど、そういう人とは一生分かり合っていけないと思う。

世の中は常に不平等であり全て自己責任なのだ。

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