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カルチャーはドラッグに似たり

感受性が鈍くなって、何も感じなくなることがなによりこわかった。大人なるものになることは、地続きの地上に着地してしまうことに似ていると感じていた。淡々とした日常を、歩くしかない生命体。自分の感性が干からびていくのを感じたから、安定してたけど財閥系企業を辞めた。まだまだ長いこれからの時間を、何も感じなくなったら生きる歓びがないもの。生きる歓びは、空を飛ぶに似たり。ハイになって自由に人生を謳歌する。

10代のときにカルチャーの洗礼を受けた者は、幸いである。その影響から逃れられない。カルチャーはドラッグに似ている。やめられない。中毒性がある。快楽原則。そこが鈍ったらおしまいだなと直感的に分かっていた。大きな滝を見て感動するとか、努力が実る感動とか、それらの感性とは違う場所が刺激を求め続ける。意識的に、無意識的に。死ぬまでリズムに乗って生きていたい。そんな感じに似てる。だけど、基本的に人はカルチャーを摂取するだけじゃマネーが稼げないから、自分の感性が満足するオシゴトをするのがシアワセってもんだと思ってる。それは、自分の才能が120%活かせるジャンルで、努力を努力と思わないもので、需要があるもの。それが見つけられないで仕事選びを妥協した人間は、一度着地した地面から再び飛んでハイになるのは難しい。

#日記 #エッセイ #仕事

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