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10年後のボーカロイドのうたと私

初めに

マジカルミライ2020東京に行った感想です。本公演ではなくピノキオピーによる企画展スペシャルライブの感想が主です。セトリなど特に隠さないのでアーカイブを前情報なしで見たい方はネタバレ注意です。あとこの記事は自分にとっての最高の日を記録に残したいという備忘録的なものを兼ねているので個人的な感情マシマシで書いていこうと思います。ライブの感想に入るまでの話がちょっと長いので、感想だけ読みたい人は見出し「ライブ当日」から読んでください。

ライブに行くと決めるまで

まず前提として、今年2020年は新型コロナの流行により様々なイベントが中止・延期となった年だ。マジカルミライも例外ではなく、8月に予定されていた夏公演は11月に延期となった。ピノキオピーの大ファンである私は今年のテーマソング担当がピノキオピーになったことを自分のことのように喜び楽しみにしていたため「どうなるのだろうか」と不安になった。また2月~3月に予定されていたピノキオピーのツアー「AKEBONO」は残念ながら中止となった。

そんなパンデミックが始まって間もないころの3月半ばに、前年12月末にSEの仕事を辞めていた私は全く畑違いの介護職へ再就職をした。高齢者を相手にする仕事ということで新型コロナへの警戒がそこらのオフィス仕事とは比べ物にならないほど強い。第2波、第3波とフェーズが移行していくにつれその警戒はますます強まっていった。私自身も仕事のため相手にする高齢者のため、厳重警戒を敷いた生活を送った。友人との交流ははZoomやDiscordを使って行い、オンラインゲームで遊ぶなどとにかく直接会う人を最低限に留めていた。

しかし世間はその逆を行き、緊急事態宣言の解除後は様々な規制がだんだんと緩和されていった。ライブ活動を再開するアーティストも増えて行き第3波が始まる中で11/29~11/30に予定されていたマジカルミライ2020大阪の開催が決定された。

私はもともと今回のマジカルミライはピノキオピーがテーマソングの担当ということで大阪東京すべての公演に行くつもりでいた。しかしちょうど大阪公演の1週間ほど前から感染者の再増加が始まり、大阪の新規感染者が500人を超えるほどになったため私は大阪公演の参加を断念した。

大阪のライブは配信で視聴した。初めてピノキオピーのライブに行った2017年の秋以降どんな予定よりもピノキオピーが参加するイベントへの参加を最優先事項としていた私はアイデンティティを失ったような気分になった。最も優先すべき事項が自分の中でピノキオピーではなくなっていて、なおかつそれが自分にとっての正解であるということをとてつもなく悲しく思いながら配信ライブを視聴していた。

東京公演も断念するつもりでいた。しかし今年のマジカルミライは敬愛するピノキオピーがテーマソングを手掛けた唯一無二の年だ。今年のマジカルミライは今年だけしかない。そんな思いが心に巡り続けていた。

大阪公演で感じた悲しみ、東京公演断念を覚悟できない思い、自粛のストレス、仕事のストレス。私の心は限界に近かった。

そんな中、マジカルミライ公式より東京公演初日にピノキオピースペシャルライブが開催される旨の告知がされた。

行きたい。行かなきゃ。

強くそう思った。仕事も大事。仕事で相手にする人も大事。仕事仲間も大事。だけど。

自分のことを一番大事にしたい。そう思った。

きっと行かないという選択も自分を大事にすることだと思う。リスクの最小化は自分の生活にとってメリットが非常に大きい。

だけどいろいろ我慢しながら心をボロボロにしていく自分が自分で可哀想になっていた。今まで頑張ってきた。細心の注意を払って1日だけ楽しもうって、そう決めた。気の緩みと言われるかもしれない。でももう自分が潰れる間際だった。

ライブ当日

迎えた当日、会場に着くとさっそくいつものライブ仲間たちに会うことができた。久しぶりに会えてとても嬉しかった。開口1番にメンタルを心配してくれたのも嬉しかったな。約1年ぶりの、ライブ前のいつもの空気感がそこにあった。

ピノキオピーのライブは抽選だった。自分は当たったが、外れてしまった仲間が数名いた。それでも「あげにさんが当たってよかった」なんて言ってくれてそれもまた嬉しかった。

そして迎えた入場時間。席はなんと撮影席真横のほぼど真ん中!最後列だけどディスタンス的なあれで前に人がいないからめっちゃ見える!最高!今までさんざん我慢してきて、唯一1日だけ許したこの日にライブチケットが当選して今ここにいるっていう事実にライブ開始前から泣きそうになっていた。

そうこうしているうちにライブの開始時間がやってきた。演者が入場してくる。その中に赤いニット帽の男。ピノキオピーだ!声は出せない。ありったけの拍手を送る。

「体で表現していきましょう!」というMCを皮切りにライブがスタート。「ニッポンの夜明け」が流れ始め、あーピノキオピーのライブに来たなあ!とテンションが上がった。『今日もいろんな音楽がたくさん生まれて死んでいく』。この1年私はその場にいられなかった。だが今こうして、音楽が生まれて死んでいくライブというものを目前にしている。最高にブチ上がった私の体は自然と踊りだしていた。

ピノキオピーの『マジカルミライ2020!』という叫びとともに曲は2曲目の「セカイはまだ始まってすらいない」へと繋がった。『期限切れのチケット 経年劣化するハートビート 「来年また来ようね」って約束を果たせずに』『素直に感動したいよ ずっと そうだった 錆びた廃屋で夢を見てる』という歌詞が去年まで当たり前のように参加していたライブに行けなくなった自分と重なってちょっと泣いた。そこからの『壊せ予定調和の未来を 鳴らせ再生を告げる鐘を セカイはまだ始まってすらいないぜ』というド直球メッセージに最強の元気をもらった。「頑張るぞ」と思った。

その後は「ラヴィット」、「内臓ありますか」と続いた。ラヴィットは生ライブでは初めてだったけどMVのミクと同じポーズ取ったりして楽しんだ。内臓ありますかはいつもは「はーい!」って言うんだけど今回それができないのでピノキオピーから「内臓あるって人は手挙げてください!」とアナウンスがあった。もうバッチバチに挙げた。内臓があるので。最後列で後ろに人いないしディスタンス的なあれで横の人とのスペースも空いてるので手挙げるとき飛び跳ねたりしてた。いやまあ普段のライブでも邪魔にならない程度に飛び跳ねるんだけども。今日は大ジャンプしました。

とかめちゃくちゃ楽しんでたら流れ始めたのは「君が生きてなくてよかった」のイントロ。MCで「初音ミクには内臓がないけど皆さんの思いが詰まっています」とか激エモなことを言い放たれて一気に感情が感動モードに持っていかれる。だんだん涙が出てくる。2番入ったあたりから涙で前が見えなくなってきて、袖で拭う。生きてない君に私は何度救われただろうか。生きてなかったからこそ何度も救われたのだ。そう思うと涙があふれて止まらない。『未来が楽しいかわからないけどもう少しここにいさせて』。

MVに流れる「88888888」の文字に因んで最大限の拍手を送りながら「そういや以前マジミラの企画展ライブでこの曲の後にボカロはダサいをやり始めてブチ上がったな~」なんてことを思い出していた。またそういうことしてこないかな?とか思っていた。

流れてきたのは「10年後のボーカロイドのうた」だった。少し引っ込んでいた涙がまた溢れ出してきた。『か細く不確かな日々とボーカロイドのうた』という歌詞で、つらい暮らしをボーカロイドに助けられていた10数年前の日々を思い出した。私が初めて聴いたピノキオピーの曲は、10年前のそんなか細いある日にニコニコ動画のランキングで見つけた「ボーカロイドのうた」だった。ボーカロイドとピノキオピーの楽曲に助けられてきた10年間が走馬灯のように呼び起こされ、嗚咽と涙が止まらなくなってもう前を向くことすらできなかった。マスクが涙と汗でぐちゃぐちゃになっていた。

最後の方で少し落ち着いてきて前を向けるようになって、「頑張ろう」って気持ちがまた浮かんできた。胸に手を当てながら最後まで聴いた。

そして始まる「すろぉもぉしょん」。ピノキオピーのライブでは最後に演奏されるのがお決まりなので「えっ愛されなくても君がいるやらないの!?」と思ったがイントロの時にいつも言う「最後の曲です!」を今回は言わなかったので「これは愛されなくても君がいるが最後に来る!」と確信した。

『すろぉもぉしょん ゆっくり変わっていく』という歌詞がしょっぱなに来るのだが、これがまた最近の自分にとても刺さった。最近いろんな人との関わりや気にかけてくれる人からの助けによって人に対する恐怖心みたいなものが抜けてきていて、人って変わっていくんだなあというのをひしひし感じていたのですろぉもぉしょんの冒頭を聴いて「そうだよな」と納得感を得た。他にも、自分のやりたいことが見えてきたりだとか前述したような優先事項の変化だとかそういった自分の中で変わっていく物事が最近とても多いので『ゆっくり変わっていく』『恥の多い生涯なんて珍しいもんじゃないし大丈夫だよ』という言葉に勇気をもらった。さっき感じた「頑張ろう」という気持ちが補強されていくような気がした。30代で身の丈知れるように頑張ろう。大丈夫だよたぶん。

最後の「愛されなくても君がいる」ではもうひたすらに「ありがとう!」って思っていた。初音ミクがいたから、ピノキオピーがミクを使ってくれたから、私は今こうして幸せなひとときを過ごしている。初音ミクは「君が笑うならずっとここで初音ミクでいさせてね」と歌った。私が今笑っていられるのは10年間支えてくれたミクのおかげだ。是非これからも初音ミクでいてほしい。本当に、本当にありがとう。まあミク及びボカロP側に誰かを助けるつもりなんてなくて私が勝手に助かってるだけだなんてことは知ってるんだけど。「心で歌え!」とピノキオピーが叫ぶ。拳を突き上げ、ガッツポーズを取りながら心の中で熱唱した。

10年後の私より

10年後のボーカロイドのうたを聴いて私の脳裏に流れた走馬灯の最後のほう、現在のシーンにライブ仲間たちやピノキオピーファンの仲間たち、またそこからつながった友達がいた。好きを共有できる仲間に恵まれて幸せだなあと思った。10年前の私はこんな未来を想像もしていなかった。

10年前の私は高校受験を控えた中学生だった。志望校を親に決められ、4月になると受験のためだとパソコンを取り上げられ大好きなインターネットの世界から隔絶された。ピノキオピーの新曲も追えなくなった。自分の考えた進路設計は否定され、自分の好きなものを「悪だ」と言って奪われた私は自分の好きなものや何を楽しいと思うのかが自分でもわからなくなった。毎日がつまらなかったし、そのせいで気の合う友人というものもおらず寂しい思いをしていた。家の中にも外にも安心できる場所がなかった。

そんな日々をなんとか過ごしていけたのはボーカロイドの曲があったからだ。たまに突然1日だけパソコンの使用を許される日があり、その日はせっせと容量256MBの音楽プレーヤーに好きな曲を詰め込んだ。特にピノキオピーの新曲が上がっていないかは必ずチェックしていた。そして寝るときにはこれを流して寝ていた。色々な曲に救われたが、やはりピノキオピーの曲が最も私に救いを与えてくれた。

自分のことが全然わからないしそれを自覚もしていなかったけど、唯一ピノキオピーのことだけは自信を持って好きだと思っていた。当時はまだまだ世間からのボカロカルチャーへの風当たりが強いと感じていたのもあって誰かに話したりはできなかったけど。

そんな唯一の好きを真摯に追いかけてきた。その結果、今私は最高の友達に恵まれている。仕事とかの苦労は多いけど友人関係という点においてはとても幸せになっている。これを10年前の自分に伝えたくて仕方がない。何も見えない中で唯一光るその好きを追いかけ続けてほしい。今はつらいかもしれないけど大丈夫。その光の先には素敵な未来が待っている。

この記事を書きながら聴きたくなった曲

どちらかといえば書きながら聴きたくなったんじゃなくて聴いたから書きたくなりました。


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