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鳳虹庵日記 37

2012年02月14日

南の方の熊と楠

幕末から昭和にかけて在命した南方熊楠(みなかた くまぐす)という人がいました。
日本が世界に誇れる天才学者です。

彼のことは、ご存知の方も多いと思いますし、
有名な方なので、簡単に調べられますので、
あえて、ここでは記しません。
もとより、熊楠のことを書くのが今日の日記の目的ではありませんから・・・


ただ、先日の京都の後白河ワークの中でどうしても、
熊楠のことが頭をよぎりました。
後白河院は、最も数多く熊野参詣をされた上皇です。
熊楠は、熊野本宮がある和歌山県の出身です。
熊楠の南方家は、藤白神社を信仰しており、
そこには、 熊野神が籠もるといわれる子守楠神社があり、
藤白の「藤」熊野の「熊」そして、この大楠の「楠」の3文字から名前をとると健康で長寿を授かるという風習があるそうです。南方家の子どもたちは、すべて藤白神社から名を授けてもらっているそうで、
熊楠は特に体が弱かった為「熊」と「楠」の二文字を授かった。ということです。

今熊野神社には、後白河院が、熊野から植樹した大楠があります。
熊野と楠は、繋がっているようです。

熊野神というと、いくつか名をあげることが出来そうですが、
その中で、重要なのは、イザナミだと思います。
最初に熊野の地名が出てくるのは、日本書紀で、
イザナミが死んだ時に熊野の有馬村に葬られたという記事です。
そこは、花窟神社となっています。

熊野の地は、黄泉の国と繋がっている地の一つかもしれません。
これは、僕の個人的感覚なのですが、
クマノの「ク」は、隠れる、奥、黒の「ク」で、
何か、姿を消していく別の世界というイメージを感じます。


熊野には、補陀落渡海という小舟に乗ってあの世(浄土)に向かう信仰があります。
浄土は、西方と南方にあると考えられていました。
おそらく、我々の祖先は、西と南からやってきたのだと思います。
(北経由もあると思いますが、舟でやってきたのは、西の民と南の民のように思います。)
小舟が向かう海の果ては、太陽が登り、また沈む世界です。
この地上世界、諸行無常の世界であっても、
朝に日が登り、夕に日が沈むという繰り返しは、毎日行われます。
それは、永遠を意味し、
太陽がやってくる世界は、そんな永遠の世界だと考えたのだと思います。
ゆえに、その世界を常世、すなわち「常なる世界」と呼んだのだと思います。
常世信仰というのは、ある意味良くも悪くも永遠を求める信仰だったのかもしれません。
それは、朽ちゆく運命を持った肉体から離れることを意味します。
そして、常世から戻ることが甦り、
すなわち、世身帰り(常世から身が帰ってくる。)という意味なのだと思います。


話を楠に戻すと、
楠は、樟とも書きますが、樟脳の元です。
クスの木は、薬(クス)の木でもあると思います。
薬の神様、少彦名命もまた、常世神であり、
海の彼方から現われて、常世に去っていきました。
薬が尊ばれるのは、命の永続性を確保するのに役立つからです。
人は永遠を求めてしまうものです。


さて、熊という字と樟という字を持つ神様がいます。
それが 熊野樟日(クマノクスビ)です。
イザナミが死んだあと、イザナギから生まれたアマテラスとスサノオにより生まれた子神です。
その子神達は、五男三女神と呼ばれています。
余談ですが、僕は、これを自然界の五行或いは、中央と四方の五方向と
時間を示す過去・現在・未来を意味していると考えています。


クスヒは、 「奇し霊」(神秘的な神霊)という意味だそうです。
クマノクスヒが如何なる神様なのか、
まだ解かりませんが、
イザナミの甦りに必要な神かもしれません・・・

イザナミの甦りとは、
イエスの身の甦り(復活)の意味があるかもしれません。
それは、アマテラス(遍く照らす光神)の岩戸開きを意味することだと思います。

太陽が最も力を示す、
南の彼方にある
隠された(熊)神秘の薬(楠)を我々は手に入れることが出来るのでしょうか・・・

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