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思考と意識

スピリチュアル的なエネルギーを感じる人と感じられない人の事を書いてきました。
どうすればエネルギーを感じられるのかという話です。
その中で、一つのアイデアとして、そのエネルギーは感じようと努力するものではなくて、何かに対して認識することによって、そのエネルギーが発現するという考え方を提示しました。

例えば、特に女神のエネルギーに関して書いてきましたが、ある物質に対してそこに女神性を感じるなら、そこに女神のエネルギーが発現するということです。
だから、女神の像に対して女神だと認識するなら、そこに女神のエネルギーが発現し定着できるわけです。
もし、ある人がその女神像に対して、女神ではなくブロンズの塊であったり石膏の塊であると認識するなら、多分、そこに女神のエネルギーは定着しないのだと思います。
これを発展するなら、花を見て女神を感じたり、自然を感じて女神を感じたり、パワーストーンを見て女神を感じたりできると思います。
そこには意識の拡大があり、意識の豊かさに対してエネルギーを感じる範囲が増えるのではないでしょうか。
しかしながら、存在しないものに女神を感じることはできないと思います。
ただ、この惑星が女神の宿る身体である限り、本来は、どこにでも女神のエネルギーは存在しているのだと思います。

さて、それでもエネルギーを感じる能力には個人差があります。
それを単純に意識の差とするなら、身もふたもありません。
能力のある人が、その人の普通の感覚で伝えたところで、誰もがすぐに真似のできるものではありません。
長嶋茂雄にバッティングを習っても誰もが天才バッターになれるわけではありません。
そこに誰もが訓練により身に付けられるメカニックが存在しないと出来ない人には、希望がありません。
例えば、僕の稽古する合気道は、力に頼らない武道であり、普通のスポーツ理論とは違った論理で動いています。
日常的な筋肉の動きに慣れている私たちには、この動きはとても難しいものですが、それでも稽古を重ねることによって少しづつ理解と実践が身についていきます。

だからスピリチュアルの感覚も資質や素質に頼らない誰もが身につく能力であってほしいと思っています。
何故なら、その先に女神との繋がりやハイヤーセルフとの繋がりといった感覚があるように思うからです。

まず、感じる人は、空気を吸うが如くエネルギーを感じます。
それを説明することはできません。
そして女性的な感性や感覚的な感性の強い人がこういったタイプによく見られます。
反対に男性的な思考や論理によって理解する人には、いつまでたっても感じることができません。
僕も思考的な性格であるために、四苦八苦しながら、この問題に取り組んでいます。

思考的な人は、科学的思考者でもあります。
ある仮説に対し、本当にそうなのかを実験し、疑いようのない事実に対して、それが正解であると認識します。
逆に言うと、疑いがあるものに対しては認められないわけです。
ここが最大のネックで、スピリチュアルのエネルギーは、疑うと存在しないのです。
まず感じることからアプローチしないとエネルギーに触れることができないのだと思います。
あるものに対して、「ああー」と感じ認めることにより、エネルギーが発現します。
一方、思考的な人は、本当に存在するのか?
どんな感じなのか?
はたしてこれがそうなのか?
といった分析が入ります。
思考的な人は、その分析の結果、それがエネルギーであると認めようと働くわけです。
しかし、これではアプローチが間違っています。

身体に効くか効かないかという実験にプラセボ効果というものがあります。
実際は、薬でもないのに、薬だと信じて飲んだ人に薬の効果が得られる現象です。
もしかするとこの現象も単に心理的な作用ではなくて、実際に意識のエネルギーが発現しているのかもしれません。
プラセボの効かない人は、この薬は本当に効くのか疑って飲む人だと思います。
僕も自分を顧みると、初めての薬を飲むときは、まず本当に効くのか、どれ程度効くのか、疑って飲んでいます。
その結果、体験として効果のある薬に対して、その薬効を認めています。
エネルギーを感じやすい人は、薬を飲むという事に対して、飲む前に良いか悪いか決まっているのかもしれませんね。

つまり、このようにスピリチュアルのエネルギーを試す人には、エネルギーは感じることができないのだと思います。
意識が働かないからです。
この社会は、疑うことで身を護ることができます。
なんでもかんでも信じれば良いわけではありません。
幸運をもたらすといって壺を売りつける悪徳な霊感商法も存在します。
こういった犠牲者には、感じる人が多いのかもしれませんが、実は、本当に感じる人は、そのエネルギーの質をかぎ分けられると思います。
直ぐには、難しいと思いますが、まずは良いエネルギーと悪いエネルギーの質を判別できる感覚を身に付け、その上で、思考ではなく、感じる力を身に付けると良いのかもしれません。
その為には、安全な環境整備が必要であり、安全なエネルギーに対して、疑いなしに感じる経験を増やすことが大事かな・・・と考えています。
そして、良いエネルギーとは高い波動を纏っているため、自分自身の波動も高める必要があると思います。
そうすることにより、低い波動のエネルギーに触れた時に不快感や違和感を感じるからです。
ただ言えるのは、これらは思考ではたどり着けない領域にあるしろものだと思うので、少し自分の信念を変えてみる必要がありそうですね。



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