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鳳虹庵日記 73

2012年10月06日

無題

数日前から、書こうかどうか迷った話です。
書かなければ、進めないという思いと、
あまりにも個人的かもしれず、公開する必要もないという思いと。


僕の想い描く、世の中というか、
こういう世の中にいずれ為って欲しいな・・・
だから、そのために今、これを選択しておくという世界観があります。

それは、こんな感じです。

緑と自然に覆われた町。
清らかな水は、山々から瀧を流れ、
川となって大地を潤します。

人々は、日々、3~6時間の労働を行い、
それは、生きるための、
そして皆が食料に困らないため、
快適な住まいを守れるため、
人生を楽しめるために働きます。

貨幣は、便宜上でしか存在せず、
殆どのことは、好意で行われ、無償で行われます。

犯罪というものは、存在せず、
益と害との判断は、子供のころから躾として、教育として為されます。
個人的な嗜好と、全体への影響と、
それらは、バランスよく、個人の意識と他者の寛容の元に保たれています。

人々は、与えられた人生というものを謳歌し、
神々に感謝を持って生活していました。


そんなイメージを持っていますが、
果たして、この世はそんな世界へ移行されるのでしょうか・・・
人々のエゴはそれを否定します。

僕の感覚そのものが合っていないのかもしれません。

だけど、僕の感覚に同調する読者も多いと思います。
そんな人たちは、その理想に近づくために、この地球に転生したのかもしれません。


彼らは、かつてそんな世界を経験したのだと思います。
過去の地球か、または別の惑星か、
それとも別の次元か・・・

この節目の時代に、世はどこへ向うというのでしょう・・・
政治家を見ると、とてもそんな世界を見ている人には感じられません。
この世を変えたいと思うなら、
それは、絶望を持って応えられることになると思います。


しかし、10月に入って、僕の意識は少し変化を見ます。
十にこだわった僕の巡礼旅。
この10月はまた、別のエネルギーの流れを感じています。
このナガレは、僕だけでなく僕の巡礼友も共感しております。


この地球は、僕の理想とする世界と異なった崇高な実験場である。
ゆえに僕はその行方も見守るしかない。

これは、以前より感じていたことです。
僕は、常々、観察者だという思いがあります。
実行者でなく、それを限られた範囲で手伝える存在。


あちら側の世界の想いは、僕の思考を絶する存在であり、
簡単なものではありません。
それでありながら、とてもシンプルな存在でもあります。
それは、言葉で言い表せられず、
時折、感触として受け取ることしかできません。


霊と物質という重い存在のルールに従った
新しい進化過程。
それは、正しく実験であり、
それを補佐する沢山の霊が存在していると感じます。

そして、いろいろな思いで、それに参加する存在。
それらが、複雑に入り混じって、
今の世が成り立っているような気がするのです。


それぞれの進化過程に基づいた価値観と経験。
その実験には、成功も失敗もなく、
ただ新しい存在を生み出す運動なのかもしれません。

だから、僕は自分の価値観で、一喜一憂するのではなく、
見守ることが大切だと思うのです。


この地球の神霊が、望む世界へ、
創世も破壊も、その意の、ままに・・・


ただし、自分という個もその中で大切にすべきだと思うのです。
自分なりのYESとNOを、
自分のYESとNOを選択する、
YESをできるだけ集め、自分の世界を構築する。
それが、新しい世に繋がると思うのです。

理想という過去の価値観にも囚われず、
新しい世を作り出すために、
現実と理想の中間から生まれる自分の世界の創造を、
それが、この惑星の新しい実験だと思うのです。

この世の行く末を神にゆだね、
自分の生き方を全うする。
今は、そんな心境に至っています。
そして、とても希望に満ちているのです。
小さき世界ですが、生きているかぎりそんな自分の世界を創造したいと思っています。
それは、友や仲間との為しえる創造です。



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