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鳳虹庵日記 47


2012年03月31日

高僧の為したこと

三河巡礼、岩屋観音で僕が話したことです。
少し補足して記録しておきます。

日本人のルーツとなる民の一つは、
大陸にて遊牧民として生活しておりました・・・

これは、僕の想像です。

彼らは、一っ処に定着しないで、
必要に応じて、土地を渡り歩きました。

古代の日本人も土地に縛られませんでした。
川が氾濫すれば、避難し、
だけど、その氾濫は、ナイル川のように恵みをもたらしました。
山が噴火すると避難し、
だけど、火山のエネルギーはまた恵みをもたらしました。
それらは、川の神、火の神として信仰されました。

熊野本宮の元宮、大斎原は、河原に建っていましたが、
川の氾濫による祭殿の崩壊が起こるため、今の本宮に移動されました。

しかし・・・

元々は、流すために建てられていたと思います。
この考えは僕だけではありません。

人々は、日々の参拝の度に自分のケガレを残していきます。
賽銭とは、自分のケガレを銭に移し、投げるものだという考えもあります。
つもりつもった、ケガレは流さなければなりません。
それが、川神の払いの力です。
瀬織津姫が祓戸の神だというのはそういう力を持っているからだと思います。
遷宮があるのもケガレを一掃するためだと思います。


さて、時は流れ、人々も増え、土地も争うほどになりました。
やがて大きな支配者が現われ、
人々を統治する時代がやってきます。
支配者は、人を土地に縛りつけ、移動を禁じます。
なぜなら、支配者はその土地からの利益を引き上げて富を得るからです。
その土地に人がいないと困るわけです。

しかし、神は今までのように暴れます。


そこで、国家鎮護を担う当時の仏教界は、神々を封じる使命を命じられます。
その代表者である高僧は、川神などの自然神を封じる作業をしました。
仏による上書きです。

ただ、人間に神を封じることなど無理な話で、
高僧は、呪をかけたにすぎません。
ロゴスを使ったわけです。
でも、高僧は、神の本質を知っていたので、
朝廷の命に従いつつも、
神は封じるのではなく、
上書きによる保護を試みました。

一方、土地から離れられない人民のために、
被害を最小限に封じるため、
土木工事も行っています。

高僧は神殺しの汚名を背負いつつも
人々のために、その法力を駆使しました。


現在、その封じられた神が蘇ってきています。
それは、単なるサイクルで活動期に入ったということです。
古代人は、そのサイクルを天文により感知しました。

高僧により上書きされた呪を解く人々が現われています。
しかし、それは高僧により聖地を守られたから可能なのです。


私達が巡礼の中で、頻繁に出会う
彼らの姿は、我々に未来をたくしたメッセージだと思います。

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