見出し画像

女神浪漫紀行 1

女神浪漫紀行1 出雲井社 旅の終わり、そして始まり。

ミワは、決して大きいとはいえない社殿の前に手を合わせ、その御祭神と対峙していた。その神は、岐神(くなどのかみ)という。

クナトの神は、久那戸神、久那斗神などの多くの別称を持ち熊野大神もその一つだという。また八衢神(やちまたのかみ)の名をもつように道の神、道祖神として古くから信仰を集めていた。

道祖神は、塞ノ神ともよばれ幸の神、生殖の神、縁結びの神としての信仰も持っている。このサイノカミのことは、重要なのでおいおい述べていくが、ミワがこの時に対峙していたのは、この御祭神というよりもこの神社を信仰していた民だったのかもしれない。

この神社は出雲大社の境外摂社、出雲井社という。

出雲井社

伊勢神宮と並び全国的に有名な出雲大社の摂社でありながら、ここへ参詣される人は少なく、その鎮座地もわかりずらい。

ミワは、出雲大社から少し離れているみせん広場に車を停め、地図をたよりにここまで辿り着いたのだった。

この地は、民家の並んでいる道に面して鎮座しており、殆ど取り残されたような境内であった。

出雲井社3

この社殿を前にしてミワは、ある書物の一節を思い起こしていた。


 「 この年、彼は大分地方裁判所の判事だった父のもとを離れて、本家の富饒若(にぎわか)さんの養嗣子になった。そして迎えた最初の冬、12月下旬のひどく寒い夜だったという。
「當雄、風呂場で身を清めてきなさい」
 養父が命じた。いったい、なにがはじまるのか?尋ねようと思ったが、養父がいつになく厳しい形相になっているので、声も出ずに、風呂場へはいった。
 全身を入念に洗い清めて、水をかぶってあがると、白い麻で織った衣服がそろえられていた。それは埴輪(はにわ)などで見たことがある古代服で、素肌にまとうと、麻のざらつく感触が、不意に彼の心を現世から引きはなすようだった。
 養父に従って、ハダシで玄関へおりた。養母が祈りをこめる目で彼を見つめた。火打ち石を鋭く鳴らした。切り火で清められた彼と養父は、お供の下男がかかげる提灯のあかりをたよりに星も見えぬ藪の中の細い道をたどった。

 出雲大社の東、宇伽山のふもとにある出雲井神社まで約15分、一言も口をきかず、ただ一心に足を速めた。出雲井神社は、竹藪の中にひっそりと忘れられたように建っている4メートル四方ほどの小さな社だ。だが、ここには富家の遠つ神祖、久那戸大神が祀られている。

久那戸大神は、日本列島を産み出したもうた伊弉諾、伊弉冊の大神の長男。つまり出雲王朝の始祖なのである。

 社殿の階に、葦を編んだ敷きものがひろげてあった。中央には塩が盛られ、養父は左に、16才の彼は右に正座して相対した。下男は帰された。まっくらな闇の中に二人きり、簸川平野をふきぬける寒風がごうーっと竹藪をゆすってゆく。彼はガチガチと奥歯を鳴らし、息をつめていた。 

・・・・・・と、父が口をきった。
「これから語ることは、わしが言うのではない。神祖さまがおっしゃるのだ。心して聞け。そして、しっかり覚えよ。いずれ、おまえが子に伝えるまで、たとえ兄弟たりとも他言無用。いのちにかけて、これを守れ!」
 父の声は、日ごろのものとは一変して、現世ではない遠い世界からひびいてくるかのようだった。その声を耳にした瞬間、彼の震えはぴたりと止まった。全身が緊張で熱くなり、脳髄が研ぎあげられたかと思うほど澄みきった。

―日本列島に人間が住みついたのは1万年前か、6,7千年前か、考古学の上ではそれすらはっきりしない。だが富當雄さんは、4千年前から口誦伝承されてきた祖先の生きざまをこの夜から10年間にわたって、連続反復して、養父から聞かされたのだった。

 それは、神と人とが対話する形式で語られた。質問は許されない。疑問を抱くなどはもってのほか。養父の言葉を、そのまま一語も洩らさず丸暗記するのである。」

吉田大洋著「謎の出雲帝国」の件であった。そしてその舞台がここ出雲井社だったのである。

ここは、ミワが追い求めていた女神の旅の始まりであり、終着地だったのかもしれない。

ミワは、この地で自分の旅の記録を手を合わしながら思い起こしていた。それは、古代出雲王家の人々と、我々日本人の祖先に対しての報告だったのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?