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卵(ラン)タン 5

薔薇のおしえ

愛と美の象徴として、多くの人に好まれる薔薇の花。
その姿から高貴な女性を連想する人も少なくないと思います。
お部屋にこの花が一輪だけでも飾ってあるだけで、印象はがらりと変わります。

西洋文明では「赤いバラ」はキリスト教の象徴とされ、イエス・キリストが十字架上で流した真っ赤な血潮のイメージで、殉教の象徴ともされました。
また、「白薔薇」は聖母マリアの純潔を表したりしたようです。

パリのノートルダム寺院のノートルダムとは、「われらの貴婦人」の意味だそうで、フランスでは親しみを込めて聖母マリアをこう呼ぶようです。つまり大聖堂は「女性の中の女性」とされるマリアにささげられた建物になり、バラは「花の中の花」と称されています。

そういった由来を繙くまでもなく、薔薇には特別な力があるように感じます。
特に赤い薔薇は、他の花にはないような特別な印象を受けます。
その花言葉は、 「あなたを愛してます」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」「美貌」というようです。

女性が花を好きなのは、自分も花のように愛してほしいという願いが込められているからと聞いたことがあります。
全てがそうだというわけでもないでしょうし、真偽はわかりませんが、綺麗な花を咲かせるのは、十分な愛情が必要なのは間違いないと思います。
そして美しく咲いている花を見て無意識かもしれませんが、自分と重ねているのかもしれません。

ところが、花の命は、短くて・・・
部屋に飾った薔薇もしばらくすると、その頭は垂れ下がってしまいます。
そして、だんだんと花びらのみずみずしさは失われ、やがて枯れてしまいます。
もし、その姿に自分の姿を映し出すなら、少し哀れな気分になるかもしれませんし、やがて自分の身にも訪れる衰えという苦痛を感じてしまうかもしれません。

老いは苦である、釈迦の教える生老病死の四苦には、この老いが含まれています。
人生には、自然の移り変わりのように季節があると言います。
春夏秋冬の四季は、人生にも備わっています。
物事は、移り変わります。
生と死は、繰り返すコインの裏表のようなものかもしれません。

生命力が旺盛で、子孫を残す精力が漲る時期は、対極の性を引き付けるエネルギーがあります。
それは美の表れでもあります。
その美だけを女性の美だと捉えるなら、それは人生の季節の移り変わりの中で変化していくことでしょう。
だけど、人生の美はそれだけではないと思います。

僕の部屋に飾られた薔薇は、枯れた後もそのまま部屋を飾ってくれています。

その赤い薔薇は、みずみずしい美しさは失われたとしても、それと引き換えに、奥深しい赤色が増してきます。
この美しいワインレッド或いは、ラズベリー色と言えるような深くて濃い赤味は、枯れてこその美しさであり、生花では現れない色彩です。
僕は、この色が好きでとても美しいと感じます。
共に、この赤薔薇を女性に見立ててしまうのです。
女性の美も本来は、こういったものだと思います。
若いだけが女性の美ではないと思います。
確かに性的な魅力は加齢により変化をし、いつしか失われるのが現実だと思います。
しかし、それが女性の美だとすることには、異論を感じます。
だけど、世間的にそういった評価が一般化されていないのは、女性性の抑圧と無関係ではないと思います。
女性が、本来の自分を十分に解放し活躍できたなら、その輝きは失われるものではないと思います。
男性には、ミドルエイジを魅力と捉える一つの評価基準がありますが、女性には、これに匹敵できるものが一般的ではないと思います。
女性が老いを魅力の減退と捉えずに、自分の人生の積み重ねの表れだと自信を持って表現できる社会だと良いですね。
そして、その為に自信の培える人生を普通に送れる尊厳のある社会であるべきだと思っています。



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