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鳳虹庵日記 18


2011年12月26日

3の倍数で神になる?

3の倍数でアホになる・・・
なんで、3なんやろ?
で、5で8か・・・

358
先日のシンクロは、7・5・3でした。
浅間大社と753参照)

多分、3・5・7という数字が何か意味があると感じている人は多いと思います。
おおざっぱに言うと、それらは、一つの塊というか、組織をなす数字だと思います。

3は、色の三元色、光の三元色。
一人称、二人称、三人称。
三部作。
三つ巴。
なんとなく、構成する要素を表します。

5は、五行。
五臓、五体。
五感。
五穀。
五大陸。
指は、5本。
なんとなく、各種類を集めたみたいな・・・

7は、それこそ組織です。
オクターブ。
七色。
曜日。
七福神。
七草。
七人のxx。
一つの単位を構成する要素です。


その中で、特に3というのは、創造の数だといわれています。
それは、自然界の3つのエネルギー
ポジティブ―ニュートラル―ネガティブに対応します。
また、三位一体/三神一体にも見られます。
ブラフマは、創造を
ヴィシュヌは、維持を
シヴァは、破壊を司ります。

3というのは、神の数字でもあると言えます。
以前、旧ブログでは、8にからめて少し書きました。
山と八と神参照)
日本の神にも三神はいます。
宗像三女神、住吉三神、ワタツミ三神、サクヤヒメの三息子、サルタヒコのアワの三神・・・


前回の辛嶋氏ゆかりの香春岳は、三連山でした。
その各岳に、それぞれの神を祀っていました。
KARA参照)

3の倍数で神になる?1


昭和の香春岳です。
なんか、凄さを感じてしまいます。

しかし、今は、

3の倍数で神になる?2


無残にも山は削られています。
神の坐す山を削っているのです。
これは、石灰石を採掘した結果のようです。
香春の神の一柱、忍骨命とは竜骨(石灰石)を意味するそうです。

同じようなことは、僕の地元の伊吹山にも見られます。

3の倍数で神になる?3


ヤマトタケルをも殺した荒ぶる神の住む霊山も
人間によると形を変えられてしまいます。
ここも石灰石を採取した結果と聞いています。


話を戻すと、
三の山には、神が住むということです。
これは、二の山でもそうです。
その場合は、男山女山とする夫婦神の信仰があります。

では、三はというと・・・
やはり三位一体だと思います。
それは、父・子・精霊
父・子・母の信仰です。


京都は、伏見稲荷にもこの信仰が見えます。
もともとは、一の峰、二の峰、三の峰にそれぞれ神を祀ったそうです。
それらは、稲荷三所大明神、稲荷神社三座と呼ばれていました。


稲荷神社は、秦氏の社です。
香春神社も辛嶋氏という秦一族の社です。
それらは、朝鮮半島を経てやってきました。

もう一つ、ぼくはピンときませんが、
イナリというのは、INRIだと言う人もいます。
伏見稲荷は、 宇迦之御魂大神 ・ 佐田彦大神、大宮能売大神 の三神を祀ります。
佐田彦大神とは、サルタヒコのことです。
大宮能売大神とは、その妻アメノウズメだそうです。
サルタヒコが父、
ウズメが母、
そして、子が、INRIことイナリだとすると意味は合います。

INRIとは、イエス・キリストが十字架に掛けられた時に頭の上に
掲げられた看板というか表札みたいなもので、
「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」 という意味らしいです。


江戸時代、群馬県の多胡(たこ)碑のかたわらから石槨 が発見され、そこにJNRIの文字が記されていたそうです。

3の倍数で神になる?4

また、多胡碑の下からは、十字架が見つかっているとか・・・
この多胡碑は、 和銅四年(711年)に建立された古代碑文 だそうです。
JNRIは、ラテン語のJesus Nazarenus, Rex Iudaeorumの頭文字をとった略語 だから、
INRIと同じ意味です。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm 参照)


多胡(タコ)の胡は、エビスの意味もありますから、
夷の民が多くいた地なのかもしれません。
エビスは、恵比寿にも繋がりますから、
恵比寿は、遠く西からやってきた神なのかもしれないですね。

  (エビスにタコ・・・なんか来ますね。
   本来は、鯛じゃなくて蛸を持っていたとか・・・
   ニュルニュルで持てないから鯛に変えた?)


恵比寿さんとくると大黒さんが相方です。

大黒さんは、大国主命ではなくて、大暗黒神、マハーカーラです。
これは、シヴァ神の別名でもあります。

シヴァは、セフィロトの樹で見ると、
僕の学んだ範囲で言うなら、
第三ロゴスのビナーにあたります。
第三ロゴスは、聖なる母と繋がっています。
僕が、水姫と呼ぶ水神はここに位置するものと考えています。
これが、大黒―弁天の仲です。
でもシヴァ神の妻は、パールバティでありサラスヴァティーではありません・・・


キリスト教なら、精霊の位置です。
この三位一体は、唐で栄えた景教では、
「妙身」(御父アラー)、「応身」(御子メシヤ)、「証身」(聖霊ルアハ)
と訳されたようです。

父の妙身は、妙見を連想させます。
天に居る父を、妙見さんと見たのかもしれないですね。
因みに、妙見、妙高は、須弥山の別名でもあり、
須弥山は、スメール又は、シュメールの漢訳らしいです。
これも意味がありそうです。
また、須弥山はイザタラ山とも呼ばれるそうで、、
キリストのことをアラブ語でイサ
ペルシャ語ではイシと言うそうです。
この辺りのことは、前にイソと絡めて書いています。
Yes,we are参照)

御子の応身は、応神天皇を思い浮かべます。
応神天皇は、八幡三神の一柱です。
それは、応神天皇、神功皇后、比咩神の三神です。
八幡宮の総社、宇佐神宮の創建に辛嶋氏が関わっていたことは、前回書きました。


やはり三神信仰は、秦氏がもたらした可能性がありますね。
ただし、この三の原理は、どこがルーツとかではなくて、
宇宙の原理であり、地球が生まれた時期から存在はしています。
だから、きっと超古代からあったものなんですね。

現代人は、忘れていますが、
古代の人々は、そんな知識を持っていたということだと思います。
八幡神も稲荷神も元は同じなのかもしれません。

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