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鳳虹庵日記 6

2011年11月25日

Yes,we are

前から、なんか気になっていたのが五十なんですが、
これは、イソと読み、それゆえ磯も気になっていました。
先日、訪れた伊勢(イセ)の天の岩戸は、磯部にあります。

伊勢神宮には、五十鈴(イスズ)川が流れています。

五十で気になる固有名詞は、他に
五十猛神(イソタケル・イタケル)、スサノオの御子神で木の神様。
五十瓊敷入彦命(イニシキイリビコノミコト)、垂仁天皇の第2皇子で、石上神宮に剣千振を納めています。
彦五十狭芹彦命(ヒコイサセリビコノミコト)、吉備津彦の本名、桃太郎のモデルで、倭迹迹日百襲媛命の弟。

五十と書いても、イソと読んだり、イだけだったり、イサだったりします。
おそらく、僕の感覚では、イ+サ行は、同じ意味なんじゃないかと思うのです。
イサ・・・・伊佐、伊射、伊邪、伊雑
イシ・・・・石
イス・・・・イスキリ
イセ・・・・伊勢
イソ ・・・・磯、五十
奈良の石上神宮は、石上と書いて、イソノカミと読みます。

これらは、何を意味するかと言うと、とんでも話になりますが、
イエスではないかと思うのです。そうです、イエス・キリストのイエスです。
イエスの名は、様々な言語によって、読み名が微妙に変わっています。
例えば、
古代ギリシャ語ではイエースース、
アラム語では、 イェーシューア、
ヘブライ語では、ヨシュア、
 (日本語の良しゃ(ヨッシャ)!はここからきてるのかな・・・)
ジーザスなんてのもよく聞くし、
日本正教会では、イイススだったようです。

だから、五十は、イエスを意味しているのでは・・・と考えるのです。
そうすると、キリストを意味する耶蘇(ヤソ)も関係してきます。
耶蘇は、中国語の音訳でイエスのことです。
では、ヤソを八十とするなら、五十も八十の同じ意味となります。
8は再生であり、イエスのシンボルでもあります。
ユダヤ教では、ヤーウェーの数字です。
五十も八十も、数字の後に十(クロス)があります。
五十と書いて、イと読み十を読まないケースがありますが、
本当に十は、記号であり、読まないのかもしれないですね。

意味的には、五十より八十が近いですね。
耶蘇の蘇は、蘇り(ヨミガエリ)です。
僕は、キリスト教最大の奥義は、死と再生だと理解しています。
いわゆる蘇りであり、復活です。

そういえば、蘇りの術を使う一族がいました。


その一族とは、物部氏です。
物部氏は、後に石上氏(イソノカミ)を名乗りますが、
その石上家が祭祀するのが奈良の石上神宮です。
その神宮では、宮中で行われる同じ日に鎮魂祭が行われ、
その意義は、冬の最も太陽の力が衰えた時期に、太陽神及び、天皇の力を復活させる儀式だそうです。
その元は、物部氏の祖神、ニギハヤヒが伝えたとされる十種神宝を使った呪術のようで、それによると死者をも蘇らせることができるといいます。


石上神宮には、七支刀という変わった剣が伝わっています。
これは、大陸由来だといいますが、ユダヤ教のメノラーを彷彿するという話も聞きます。
物部氏の祖神、ニギハヤヒは、太陽神です。
イエス・キリストもまた太陽を象徴しています。

そして、日神が出てくるなら、水神(水姫)が出てくるのが今のこの鳳虹庵のブログです。
石上神宮の元宮と呼ばれる場所に桃尾(モモオ)の瀧があります。
瀧の神といえば、瀬織津姫です。いわゆる水の女神です。
その名は出てきませんが、物部氏が水神を信仰していたと指摘している人はいます。
その瀧は、沢山の龍神を祀っており、修験の道場でもありました。
桃尾は、トビとも読め、ニギハヤヒの義理の兄であるトビノナガスネヒコとの関連も感じさせます。

さらに、桃が百(モモ)なら、五十と百の関係も見えてきます。
吉備津彦の本名は、五十狭芹彦 で、その姉は、百襲姫です。
また、吉備津彦は、桃太郎のモデルで、川から流れてきた桃から生まれました。
水神である桃から生まれた、五十がイエスなら、
桃は、マリア様ですよね。
僕は、マリア様のシンボルが百のような感覚があります。

桃尾の瀧は、瀬織津姫でありマリア様なのかもしれないです。
瀬織津姫の居る「サグナダリ」と「マグダラ」 は、なんか似ているなと以前思ったものです。
あるいは、聖母マリアのほうかもしれませんが・・・
どちらにせよ、五十と百は、イエスとマリアの関係だと思います。

だから、僕は物部(モノノベ)は、本来「モモノベ」だったんじゃないか・・・と考えるのです。
ひょっとすると、物部氏の先祖は、西洋人のような風貌だったかもしれません。
それから、物部氏は、剣の神を祀り武器庫(刀剣)の管理をしていたそうですが、
川から取れる砂鉄の管理をしている姿が重なってきます。
それゆえ、川神である水姫を信仰していたのかもしれません。

しかし、ある時期に、水姫、とりわけ瀬織津姫は抹殺されます。
その張本人は、藤原不比等だと言われます。
物部氏が、没落していく原因もまた、藤原不比等なのです。

マリア様を封じられた物部(モモノベ)は、
イエスのみの石上(イソノカミ=イエスの神)信仰しか残せなかったのかもしれません。


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