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アフター・コロナに「ピア経済」が台頭する


アフター・コロナの世界について書く。

まず働き方が大きく変わる。

もちろん「これからも遠隔でいいんじゃない?」となるし、そうすると組織の5割の人(なにもしてない人、もしくは他害的な人、無駄なレポート出せとか言う人)は今後、結構苦しい立場に追い込まれる。ただ遠隔だと生産性は上がるけど、あと一歩、カネにはなりにくい。営業の最終形は人と人とが握手する瞬間に生まれるものなのだ。トレーディングや投機のようにwin-loseのゲームならいいのだけど価値を創造する瞬間はいつの時代もやっぱりアナログだ。カネがぐるぐる回ったところで人々が幸福になるわけではないです。


遠隔会議で伝えられるのはコンテンツ(内容)とコンテキスト(文脈)だけ。zoomはノイズキャンセリングだけでなく字幕や翻訳機能もすぐに実装してますます便利になるよ。でもインスピレーションや熱量は伝わらない。それはリアルにしか伝導しないものだ。仕事をやった気になる、というのがデジタルタスクの一番怖いところで、実質的な幸福には直結しない。あくまで間接業務なんだ。それが主役になるのは恐ろしいことだけど、まだみんなあまり気にしていない。


遠隔業務が中心になれば、社員は家族の時間が増えるし、化粧も服装も気にしなくていいのは嬉しい。実は出勤は時間や運賃だけでなくもっと多大なコストだったと気づいてそれを削減するようになる。会社側もオフィスの無駄な家賃を省こうと考えるから超都心の釣り上がった賃料価格は中期的には下がるよ。(注 ただ東京はやがて日本から離れて超国家的国際都市になります。中心部は世界中から集まった優秀な外国人が住んで今の普通の都民は大宮や川崎や町田まで追い出されるね。だから都心の住宅価格は長期的には上がる。)


このコロナショックを善悪なしにニュートラルに捉えると良い面も多い。全国に200万人以上いる引きこもりニートは実は元気になっている。だってみんなが家にいるため、普段僕ら引きこもりだけが抱える罪悪感が減っているから。大貧民の革命ではないけれど最弱の3のカードが最強の2のカードを倒すチャンスだって出てくる。そういうパラダイムシフトを見抜いて生き方を再考する機会になる。平成から令和への最大のシフトは論点が空間(距離)から時間へとシフトしたこと。平成時代はとことん距離の概念をなくすことがビジネスだった(インターネットやLCC)。

そのトドメを刺したのがこのコロナ・ショックだ。世界から完全に距離が消え、ゼロとなった。ここ平成30年の成果だ。これからは時間が論点になる。世界は同時多発的に展開される。事件・テロ・産業・そして今回のパンデミックも。新興企業は生まれた時から多国籍だ。空間(平成)、時間(令和)が克服される(ゼロになる)とその次の時代、ようやく光(文系的には意識かな)が焦点になる。下図にあるように成功者はすっ飛ばしてもう意識を意識して全一性の中に生きている。そして時間を商売のネタにしている。


もちろん中心となる産業も変わる。

医療・教育サービスの遠隔化は当然だけど、最大のインパクトはなにかといえば「ピア経済」の台頭だ。これは遠隔効率化と真逆の発想だ。


ピアとは隣にいること。同じ空間をシェアすることの効果をピア・エフェクトやピア・プレッシャーという。人間は環境の奴隷だと言うけれど、進学校からなぜ東大に行くのかといえばそういう空気を6年間浴びるから。個人(スタンド・アローン)の力じゃない。空間の力だ。(僕が東大院に通わせてもらっている時、出会った面白い学部の子は大抵、地方のよくわからん公立校からひとりで東大入ってきた子ばっかりだった。彼らは天才肌かストリートスマートだ)


話を戻すと、このコロナショック最大のインパクトはつまり「本当に一緒に居たい人の価値」が明らかになることだ。これからの仕事(プライベートも)は、あの人とはコールで、その人とはzoom(遠隔テレビ)でいいけど、この人とは一緒に居たいという「臨在価値(ピアバリュー)」が明確になるし、そういう人の価格は競り上がる。

発言だけでなく、におい、触感のような5感だけでもなく、その人が発する空気、気の調和、エネルギーなど人間が言語化は出来なくても知覚ができるあらゆるものが価値化され値付けされそして流通するようになる。居たい人と居る、が人間の欲求の中心になり、それは経済活動の中心ともなるのだ。ピアビジネスこそ21世紀の本命だ。ピアバリューは、doing(やること)でなくbeing(あること)から生まれる


being valueの高い人を目指そう。

一緒にいて心地よい人、機嫌よい人、美しい人、澄んだ人、インスピレーションのある人、それは沢山の経験を積んだ人だ。
教育の目的も変わる。教育はいつも産業に合わせて進化するものだ。コンセプトは知識から意識へ。知識(それは凍った光だ)の吸収から意識(それは弛まず動き続ける波だ)の拡大へと舵を切り替えよう。意識を意識する、そして意識をより遠くまで飛ばし動かす、そんな意識のコントラビリティ(制御力)を習得しよう。21世紀の教育についてはまた今度。


追伸1)また余談だけど、モテるのもこれまでのような清潔感ばっちしの、のっぺらぼうのような無菌系塩顔男子から、ちょっと耐久力のありそうな免疫力高そうな善玉菌男子になりそう。具体的には誰なんだろうね。ロールモデルが知りたいです。


追伸2)最近は「外部性」についてばかり考えていて、今回のコロナ騒動のように無邪気で自分勝手な個人の行動が全体に与える良くない影響についてどんどん世界は捕捉し始めている。

僕は基本的には「ビジネスとは外部不経済」だと思ってる。つまりだれか利益をあげればその尻拭いを別の誰か(ほとんどが政府や市民コミュニティ)が時間差で背負っている。昔、母親は子守りが大変だったからマクドナルドに子供を連れて行ったけどそれは結果的に脳の炎症へとつながって医療的課題になったし、大人だって一見、健康に聞こえるサラダ油を使いすぎて認知症になっている。企業は中毒という究極の「サブスク」をこっそりと商品に忍ばせている。コカコーラのように。

でも人間は有機的な存在だからいつも一定ではあり得ない。脳に一定を指示する中毒はFacebookのようなSNSでもゲームでもなんでもマイナスであって社会がとばっちりを食う。グローバルウォーミング(温暖化)は主に化石燃料の消費の結果だろうけど、製造業界はその責任を取れないから世界中の人々がその対処をするしかない。自動車の社会的費用を読めば一台の自動車がその10倍の社会的費用をもたらすことがわかる。そのような外部性、とくに外部不経済を認知するのは創造力の彼方にあり、各個人の責任でもある。次の憲法に盛り込んで欲しいくらいだ。


追伸3)コロナウィルスが収束しても油断が生まれたころにまた襲ってくるかもしれない。今後、日本人は「地震・ウィルス・放射線」の3点セットとは常に戦闘態勢を強いられるだろう。

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