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意識が個性(天才性)を創る


休校が続く中、学業の心配をする人は多いと思うけど、学校なんてわずか数週間や半年休んだって大したことない。


教育の現場はとっくに教室から離れて、「遠隔・場・旅」の3つに分かれている。知識は遠隔、知恵は旅、場はコミュニケーションを育てる役割をそれぞれ担っている。今まで通り可愛い子には旅させよう。そして場(教育環境・国)はころころ変えよう。本当のダイバーシティが備わり、おまけに語学というお土産もつく。

知識をめぐる環境は様変わりした。

今までの教育は発見から100年経って現場に降りてきたけれどこれからは違う。アカデミズムの発見はすぐに市民に届けられる(図)。しかしこれらの知識をさずけるのは学校の先生でなく残念ながらYouTuberだ。彼らは厳しい競争社会にあるから工夫を凝らしてシンプルにわかりやすく伝える努力を欠かさない。その意味での学校はいらない。場としての価値だけが残る。足並み揃えてきた学校での知識教育は単純にコストの問題だったがそれもなくなる。個々人が勝手に遠隔で必要な知識を学び取る。


そもそも日本の今の知識教育が設計されたのは福沢諭吉先生の「学問のすすめ」が発端だった。下級武士だった福沢先生は家柄より秀才を要職につけた。教育機関のトップが今の東大でそれは富国強兵のための大学だ(風立ちぬの零戦作りがピークだった)。東大の世界順位はたしか5年前で46位だから今は50〜80位、もしかしたら100位以下かもしれない。知識と偏差値の時代は終わった。いまだに東大系のテレビ番組をドヤ顔でやっているのを観ると寒々しさを覚える(もう過去でしょ!)


知識から意識への流れは止められない。

ラグビー日本代表の戦略を10年前から仕込んだ(外国人登用など)故平尾誠二は子供に教えるべきは、好奇心と洞察力だけだ、と話していたが必要なのはまさにそれだ。コロナで自粛する中、お母さんは大変だろうけどホームスクーリングがもっとも子供に創造性を与えるのは検証されているからここはぜひ腹を括ってとことん子供と向き合って欲しい(人ごとでごめんね)。ビリー・アイリッシュもホームスクーリングだし、ジョーカーを演じたホアキンフェニックスもそうだ。(ホアキンはあの超絶イケメン、故リバーフェニックスの弟だ。Amazon primeで「スタンド・バイ・ミー」観てね。)


親が子供にかけるべきは時間であってお金じゃない(子供の食事と環境にはお金かけてね)子供はかけた時間を親の愛に自然に転換して記憶しておく。受けた愛情は人生のセーフティネットになる。情報は瞬時に価値を失い、知識の賞味期限も短い。頼れるのは知識でない。人から受けた愛情量と自分の意識の制御力だけだ。平尾誠二が言う洞察力、好奇心はまったくもって知識でなく意識の問題だ。意識は五感を超えた知覚を発揮する。それは、想う、感じる、考える、留まるの4方向。日々の意識の動かし方の練習が成果につながってゆく(図)

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意識が個性(天才性)を創る。

子供(に限らず)の個性(天才性)を綿密に見極めその最先端への最短距離をサポートするのが親や周りの役目だ。コモディティ教育はいらない。教育の語源はラテン語でEducoだがこれは、個性を導きだすということに他ならない。アイヌの人々は6歳になるとその個性を見て初めて本当の名前をつける(これはわれわれ和人も見習うべきでは?)


それくらい個性(天才性)に立脚する生き方が大切なのだ。教育の教は社会秩序、育は個性、合わせて教育だ。だが現実を見よ。自分を含めた多くの若者が社会適合できずに会社、学校を辞めて引きこもっている。半分も社会適合なんてできちゃいないし、それで自責の念を持つなんてばかばかしい。日本の社会の仕組みは変わるし、それを是として生きてはならない。

日本なんてちっちゃな島国に過ぎない。その社会秩序なんてますます小さいし教え込ませるべきじゃない。あくまで個性(個人じゃないよ。個人主義なんて馬鹿馬鹿しい)に立脚した生き方を自分で設計することに注力することだ。皆が世界を舞台にしたライフアーティストにならねばならない。


幸か不幸かウィルスは人類の敵として、計らずも世界をひとつにしつつある。政府や隣人を批判しても仕方ない。おとなも子供も今は一旦足を止めて、想像力をもって世界とその未来を眺めるべきだ。

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